内海美幸が新曲「希望という名の駅」のPRのためニュージーランドから一時帰国

 女性がカラオケで歌う定番曲の一つ「酔っぱらっちゃった」(1982年)が大ヒットした歌手の内海美幸が3月に1年半ぶりに出した新曲「希望という名の駅」のPRで居住先のニュージーランドの首都ウェリントン市から一時帰国した。

久しぶりの大阪・梅田の街に驚く内海

 神戸市兵庫区出身で今も90歳を超えた実母が湊川公園駅前でお好み焼き店「絵夢恵夢」を営む。「母が元気なので年に2回ぐらいは1カ月単位で帰国しています。コロナ禍の際はなかなか行き来できずに困った」と振り返る。

作曲家・浜圭介との思い出を語る内海

 新曲は「酔っぱらっちゃった」を作曲した恩師でもある浜圭介(79)の作。たまたま昭和歌謡を特集した歌番組でこの曲をスタジオで歌う内海の姿を見て、後日ツテを頼って浜から電話が掛かってきた。「ちゃんと歌えてるじゃん。本格的にやってみる気はある?」との熱意に突き動かされての挑戦となった。

 新曲は浜が内海のために用意した4曲の中から、作詞の水木れいじや日本クラウンの担当ディレクターを交え選んだ。特に浜が推したのが「希望~」で「ポップと演歌の間で、元々フォーク歌手だった君の魅力が発揮できる」との理由から。悲しみを乗り越えて明日へと歩き出す大人の女性をイメージしている。またヒット曲も「酔っぱらっちゃった2025」として、かわいい女をイメージした当時の曲調から新たに大人っぽい雰囲気にアレンジして再録した。作詞の千家和也(2019年、73歳で死去)が居ないため歌詞は昭和のまま。浜は「彼が生きていたら令和の時代に合うように変えたかも」と悔しがったそうだ。

内海美幸の新曲「希望という名の駅」のCDジャケット

 1977年プロデビューの彼女は、当時の女性歌手には多かったフォークソング出身。同い年で同様に「ヤマハボーカルオーディション」を受けて上位に残ったのが、当時「クッキー」という名で活動していた後の「ピンクレディー」の2人。「彼女らとは一緒に合宿したりして楽しかった。あちらは〝スター誕生〟を経て一足先にデビュー。私も翌年にプロデビューしました」と振り返る。

 ニュージーランドでの子育て休業を経て、現地で日本人女性3人のボーカル&ピアノのアコースティックユニット「Na-Na-Mi 七海」を結成。ソロだけでなくユニットと自由な音楽活動を20年来続けてきた。「幸せな歌手人生だったと思います、好きな事をずっと続けてこられた。若い時にジャズダンスもやっていて、今もランバダなどのラテン系音楽も好き。大好きな2つの国をつなぐお手伝いがこれからもできたら」と笑顔で締めくくった。

 (畑山 博史)