琵琶湖畔に残る天下人の原点 秀吉が築いた城下町・長浜市を歩く

 秀吉、出世の原点はここにあった。豊臣兄弟のきずなや「幻の嫡男」の悲話など、滋賀県長浜市を歩けば歴史の教科書には載らない素顔が見えてくる。城下町の面影と琵琶湖の絶景をめぐる時空を超えた旅に、さあ出かけよう。

「長浜城・城下町復元図」(イラスト:佐々木洋一)/長浜市提供。秀吉時代の長浜城は内堀、内外堀、外外堀の三重の堀に囲まれた広大な城郭構造だった。現在はそのほとんどが市街化や公園整備に伴い、埋め立てられている

大河で注目! 秀吉が築いた城下町 長浜を歩く 琵琶湖畔に残る天下人の原点

 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目が集まる豊臣秀吉ゆかりの地、滋賀県長浜市を訪ねた。1574年頃から約10年間拠点とした長浜城は、秀吉(当時は羽柴秀吉)が初めて築いた自身の城。城下町では楽市・楽座などの政策で、発展の基礎を築いた。(文・写真/山﨑博)

境界碑や移築門… 町に息づく豊臣ゆかりの物語

滋賀県長浜市

長浜城歴史博物館。2層の大屋根に望楼をのせた初期天守の様式で、「秀吉の長浜城」を再興しようという市民の熱望によって天正期の城郭を想定し建築されている

 滋賀県長浜市へは、JR大阪駅から新快速で約1時間半。JR長浜駅から湖に向かって歩くと、ほどなく長浜城歴史博物館が見えてくる。豊臣秀吉が初めて城持ち大名として築城した地として知られる長浜城跡に建ち、展望台からは琵琶湖の景色が一望できる。
 館内では、秀吉や秀長に関する書状など、貴重な資料を見ることができる。公園として整備された城跡には「太閤井阯」と刻まれた石碑などが見どころとなっている。
 また、博物館の入り口付近には「旧長浜領境界碑」が置かれている。「これより東 長浜領。これより南 長浜領」と刻まれ、もとは長浜町の西北隅に建っていたとみられる。
 江戸時代の初めには、町の周囲に三十数本が建っていたとされ、ほぼもとの位置に現存するのは4本だけという。秀吉は城下町の住民に対して年貢や諸役を免除する政策を取ったが、その範囲を知るうえで貴重な資料。この特権は徳川幕府にも追認された。
 現在は市内に復刻版も建てられており、長浜市内を歩く際に少し意識しておくと、秀吉がいたころの長浜領のおおよその範囲を思い描く手がかりになる。

天守跡に建つ秀吉の銅像。博物館周辺は史跡「長浜城跡」となっている
豊公園にある「太閤井址」。琵琶湖の水位が下がっているとき足下の石組みが見られる。秀吉時代のものなら、長浜城が今より湖中にせり出した城郭だったことになる

城下町の記憶

 長浜には、ガラス細工などで知られる黒壁スクエアを中心に、観光の見どころや土産物店が集まっている。1日かけて歩くのも楽しい町だ。秀吉ゆかりの地を巡るなら、長浜別院大通寺にも足を延ばしたい。この寺にある台所門は、長浜城の「大手門」を移したものと伝わっており、その先にある知善院の門も、長浜城の「搦手門」だったといわれている。

大通寺台所門。秀吉が建造した長浜城の大手門であると伝えられる

受け継がれる物語

妙法寺の境内にある羽柴秀勝廟。長浜で夭折したと伝わる秀吉の長男。長浜曳山祭は、秀吉に子が生まれたことを祝ったとされ、その子が「秀勝」だったという伝承も

 また、意外と知られていないスポットが妙法寺で、境内には「羽柴秀勝公廟」がある。秀勝といえば、信長の五男で後に秀吉の養子となった人物がよく知られる。だが、ここで弔われているのは別人で、幼名を石松丸といい、秀吉が長浜城主だった時代に生まれた最初の男子と伝わる。
 秀勝は長浜城内で幼くして亡くなったとされ、生母についても秀吉の側室「南殿」など諸説ある。秀吉がその誕生を喜び、城下の人々に砂金を振る舞ったことが長浜曳山祭の始まりにつながったという話も残るが、これには異論もある。とはいえ、こうした物語が今もこの町に息づいている点は興味深い。
 もし、時間に余裕があれば琵琶湖汽船に乗り、パワースポットで人気の竹生島まで足を延ばすのもいい。島には豊臣期大坂城の唯一の遺構、極楽橋だったとされる国宝・唐門が残っている。

長浜城の搦手門の伝承を持つ知善院の表門
長浜では、戦国武将や姫をモチーフにした「飛び出し坊や」が設置されている。写真は羽柴秀勝
豊国神社の絵馬。長浜の町を歩くと、秀吉ゆかりのひょうたんをあちこちで見かける
行列は当たり前、鳥喜多本店の親子丼
郷土料理「焼鯖そうめん」で有名な翼果楼(よかろう)
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