教育一筋40年、家族なき教師の葬儀に広がる感謝の輪
生涯を通じて教育の現場に立ち、人生の最期まで生徒に寄り添った元塾講師の男性が、40人を超える教え子たちに見送られ、静かに旅立った。
故人のAさん(享年70代)は教育歴40年。亡くなる直前まで家庭教師として教壇に立ち続けていた。しかし、家族や親戚といった遺族はおらず、財産や貯金もほとんど残っていなかった。医療・福祉サービスも受けておらず、身寄りのない高齢者として警察による検視が行われていた。
そんな中、Aさんが暮らしていたマンションのオーナーであるBさん(40代)が、自ら葬儀費用の全額を負担し、遺体の引き取りも申し出た。しかも、その連絡はBさんが香港出張中のこと。異例の申し出に周囲は驚いたが、その理由はBさんの帰国後、明らかとなった。
「先生は第2の親だった」
Bさんは帰国するなり、故人の携帯電話を手に、一人一人に訃報を伝え始めた。相手は皆、かつてAさんに学んだ生徒たち。そして、Bさん自身の子どももAさんの教え子の一人だった。
5月某日、執り行われた葬儀には中学生から社会人まで、教え子約40人が集まった。「どうしても感謝を伝えたい」と弔辞の希望者が相次ぎ、代表して4人がマイクの前に立った。誰もが口をそろえて語ったのは、「先生には本当にお世話になった」という言葉だった。
寄せ書きは紙一面に小さな文字でびっしりと埋め尽くされ、棺には「ありがとう、先生」と書かれたカードやメッセージが貼られていった。焼香とともに読み上げられた弔意文。お経が響く中、参列者の思いがあふれ、儀式は形式を超えた〝感謝の時間〟へと変わっていった。
「先生といえば、いつも革靴だった」「アールグレイの紅茶が好きだったね」。生前の思い出を語り合う声が絶えず、棺には思い出の品が詰め込まれ、蓋が閉まらないほどだった。
火葬場では、親族でない教え子たちが釜前に立ち、拾骨にも立ち会った。形式上の〝家族〟は存在しなかったが、そこには確かな〝心の家族〟があった。
Aさんに金銭的な余裕がなかった理由も、葬儀後に判明した。自身の生活は後回しにしても、常に教育に全力を注いでいたからだ。自宅は雑然としていたが、それは生徒にとって必要と思えば、惜しみなく手を差し伸べていた証だった。受験の祈願には一緒に神社を訪れ、時には気分転換にUSJへ出かけたこともあったという。
香典文化が薄れつつある現代にあって、参列者の多くが自発的に香典を持参し、葬儀費用の一部となった。すべては「先生に何か返したい」という思いからだった。
「先生は第2の親だった」「他人だけど、みんなで送りたかった」。一人で生き、一人で亡くなったはずのAさんの葬儀は、多くの人々の心をつなぐ時間となった。
「人は、こんなふうに生きることもできる」―。その姿が、参列者に〝生きる勇気〟を与える葬儀となった。
<取材協力>エンディングライフサポート葬祭/大阪市阿倍野区阿倍野筋5丁目13−10/電話(0120)805787
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