【短歌に込める経営者の想い①】サクラクレパス 西村彦四郎社長

(歌人・高田ほのか)

 クレパス、と声に出したときの響きが好きだ。跳ねるような軽やかな「く」のK音から、口の奥で舌を巻く「れ」のR音、弾けるようにポジティブな「ぱ」のP音、そしてさらさら流れるような「ス」のS音の余韻が耳に心地いい。 

 クレパスは大正14年(1925)にサクラクレパスが発明した描画材料だ。大正時代に輸入された舶来品のクレヨンは子どもたちの垂涎の的だったが、高価で公立の学校は導入することが叶わなかった。多くの企業が国産クレヨンをつくり始めたが、当初は線描が主体で表現に限界があった。すでに大正10年(1921)からクレヨンの製造を開始していたサクラクレパスは、子どもたちがもっと自由にのびのびと描けるよう改良に取り組み、4年の歳月をかけてクレヨンとパステルの長所を兼ね備えた描画材料を完成させる。初代社長の佐々木昌興は、〝棒状絵の具の大革命〟と呼ばれたそれを、クレヨンのクレとパステルのパスを取って「クレパス」と名づけた。 

西村社長(右)と高田ほのか

 5代目である西村社長の胸元には、30年間おなじ一本のペンが留まっている。28歳のとき商品企画部に配属された西村社長は、大型文具店で売れるような高級感のあるペンを商品化せよ、という課題を与えられる。西村社長には、サクラに入社したときからいつか依頼したいと心に決めていた由良拓也さんというデザイナーがいた。

 由良さんはレーシングカー専門デザイナー。西村社長は小学校のころ雑誌でその遊び心あるそのデザインに一目惚れしたという。課題を与えられた西村社長は、由良さんに宛てに3枚に渡る手紙をしたためた。文具をデザインした経験はなかった由良さんだが、その熱意を受けとめ、フラッシュサーフェイス(カーデザイン用語でボディ全体に凹凸が少なく、表面が限りなく滑らかな状態のこと)をコンセプトにした美しいフォルムのペンをつくり上げる。満を持して発売したそのペンの売り上げはしかし、芳しくなかったらしい。

 西村社長はいう。「当時の私はいいものをつくれば必ず売れると信じていたんですね。でもそんなにあまいもんじゃなかった。つくった後、ちゃんと店に置かれてお客様の目に触れることも、いい製品をつくることと同じくらい突き詰めて考えなければいけない。マーケティングの難しさと重要性を身をもって経験しました」西村社長は戒めの意味もこめて、30年以上、このペンを使い続いてるのだ。 

 1921年(大正10年)の創業から100年余。サクラクレパスは子どもの美術教育を支え続ける一方、懐かしさと新しさを併せもつ大人のための筆記具にも力を入れている。「20代~50代を対象にサクラブランドの調査を行うと、赤いサクラマークの認知度が非常に高かった。また、サクラブランドに対して『親しみやすい』、『懐かしい』というように、非常に高い好感度を持っていただいていることがわかりました」多くの大人にとって、サクラマークは子どものころの楽しいお絵かきの思い出と結びついていたのだ。この気づきから、大人向けの筆記具にもサクラブランドを打ち出していくことになる。 

 西村社長は「最近になり、私の胸元に留まるペンを見た人たちから『そのペンいいですね』『私もほしい』という声を多く聞くようになったんですよ」とはにかんだ。サクラマークが入った由良モデルのペンが復刻する日も近いかもしれない。 

【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版)  。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)