住宅地に眠る「謎の石垣」 豊臣期か江戸か明治か… 深まる歴史ロマン

 大阪と奈良を結ぶ阪奈道路から少し入った大東市寺川の住宅地に、大きな石垣が残っている。約50年前にこの地へ嫁いだ増井末子さんは、以来ずっと「一体何の石垣なのだろう」と気にかけてきた。図書館に通い、市の職員や歴史の専門家に話を聞きながら正体を追ってきた。だが、今も決め手となる答えは出ていない。豊臣期との見方もあれば、江戸や明治以降との説もある。確かなのは、正体不明の石垣がここにあるという事実だけだ。

 豊臣期とみる理由の一つが、神戸方面産の御影石だ。一部に大坂城と同じ石が使われているとの見方もあり、事実なら相応の権力が必要だったといわれる。寺川や中垣内周辺は、東高野街道と奈良へ向かう中垣内越が交わる要衝で、軍事拠点が置かれても不思議はない。先には三好長慶の飯盛城跡もある。付近のかつての小字「城の越」も手がかりとみられている。一方、石垣の矢穴は四條畷神社のものと同じ形状との見立てもある。同時代の明治中期に築かれたとすれば、「なぜここに」という別の謎も浮かぶ。

 歴史的価値を裏付ける古文書や記録は、今のところ見つかっていない。それでも増井さんは、長年見守ってきた石垣に特別な思いを寄せる。前の竹林についても「400年以上前から城を隠す役割を担ったとの説もあり、城造りの名手で知られる豊臣秀長の家臣・藤堂高虎が関わっていたのでは」と想像を巡らせる。歴史ロマンを胸に、「文化財として後世まで残ってくれたらうれしい」と願う。寺川に残る謎の石垣は、今も静かに答えを待っている。(山﨑博)

正体不明の石垣の謎を追い続ける増井末子さん(山﨑博撮影)
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