【短歌に込める経営者の想い〔11〕】三山株式会社 三山真司社長

(歌人・高田ほのか)

 三山は昭和22年(1947年)、三山真司社長の祖父である三山賢司氏によって創業。戦争から帰還した賢司氏は、日々を食つなぐために手押し車を引っ張り、軍の横流し品の絹糸を松屋町筋の闇市で売っていた。何度も警察に捕まり、そのたびに妻(三山社長の祖母)が迎えにいったという。松屋町の坂の先には上町台地があり、賢司氏はその坂を見上げながら、「成功して、いつか上町台地に会社を建てる」という思いを強くしてゆく。

 「祖父は絵に描いたような昭和のオヤジで、従業員にも家族にもとにかく厳しかった。〝男子厨房に入るべからず〟が信条で、小学生のころは冷蔵庫の扉を開けただけで怒られました。『ワシの言うことは絶対や』と言いながら、『絶対という言葉はないんや』と(笑)。矛盾したことを堂々と言ってのける人でした」。

三山社長

 戦後の混乱期を生き抜いた三山は、次第に日本国内の繊維業界においての地位を築き上げ、創業から4年後、念願の上町台地に社を構える。

 「幼いころは、糸が積みあがる事務所のなかを走り回り、勝手にデスクの引き出しを開けて飴玉を食べたりしてました(笑)。祖父が、取引先の人たちに上町台地に会社を立てたことを誇る声もたびたび聞いたりしましたね」。そうして成長するに従い、三山社長の中で「ぼくも将来ここで働くんだ」という意識が芽生えてゆく。

 国内の工賃が高くなってきた80年代、海外に打ってでたのが三山社長の父、三山雅史氏だ。「祖父は戦争経験者なので、海外にいいイメージを持っていませんでした。親父は海外をビジネスの視点で捉えたのです」。工場で糸を染めようとすると、一般的には糸を100本、200本単位で作らねばならない。しかし三山は、メーカーから卸売の仕組み作りを行い、1本から販売が可能だ。お客さまはその1本を使って商品づくりができるので、本当に必要な分だけ柔軟に製造できる。三山はこのスタイルを日本で初めてつくる。そしてバブルの波に乗り、一気にシェアを海外へ拡大していく。

 バブル期から一変、繊維業界が低迷の一途をたどるなか、三山社長は2017年に父から社長を引き継ぐ。「いま三山はSDGsにも取り組んでいます。この業界は、糸を染めるときに化学薬品を使う。もちろん、使う量を極力少なくする努力はしていますが、ゼロにすることはできない。ぼくらの仕事が地球環境に負荷を与えていることは間違いないんです。しかし、みんなが白い服しか着なくなれば、地球環境はよくなりますが、日々の暮らしは張り合いのないものになるでしょう」

 三山社長には、若かりし頃に画家を志した父からもらった言葉がある。【様々な繊維製品を生み出す「創り手」と、適した素材を提供する「素材屋」は、いわば「画家」と「画材屋」の関係。三山は、画家が最高の作品をつくるために、期待以上のものを届ける素材屋でなくてはならない】「ぼくも、その精神を引き継いでいるのだと思います。染色の専業企業というところはブレずに、今を生きる人たちが彩りある生活を送れるよう、この地から、時代に合わせた取り組みを発信していきたい」。祖父、そして父から受け継いだ三山社長の覚悟が、確かな重量感をもって上町台地に響いた。

祖父の声を手繰り寄せれば絹糸を束ねたような上町台地

【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版)  。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)