Spyce Media LLC 代表 岡野 健将
東京大学(以下東大)を含めた国立大学が相次いで授業料の値上げを検討していることに対して、東大の学生らが抗議しているという。東大に受かる程の学力があることを考えると理解に苦しむ行動だ。学生は「大学が学費を値上げしてしまえば、本来全ての人に開かれるべき高等教育の機会を閉ざしてしまうことになる」と訴えているが、本来高等教育と呼ばれるモノは全ての人が受ける事を前提にしていない。
現在、東大の授業料は年間で53万5800円。そこから約10万円引き上げられても65万円程度で、日本の最高学府の授業料としてはまだまだ格安としか思えない。
世界のトップクラスの大学であれば、10倍とは言わないまでも、東大の何倍もの授業料を設定しているが、それでも学生は世界中からやってくる。高額な授業料を払ってもその授業料に見合うだけのモノを提供しているからだ。この点では海外の大学はとてもシビアな学生獲得競争を行っており、この大学を卒業するとこれだけのメリットがある、という事を徹底的にアピールしている。
私は母校のニューヨーク州立大学に東大より高い授業料を支払ったが、それだけの価値はあったと思う。何を学習したかだけでなく、将来必要なさまざまなスキルや思考を身に付けたり、同級生と切磋琢磨(せっさたくま)したことや人的ネットワーク、卒業後のキャリアパスなど総合的な観点から「価値があった」と感じたのだ。
海外の大学を経験した人なら、差はあっても同じ様な事を感じたのではないか。
それに対して日本の大学ではどれだけのメリットと呼べるモノを学生に提供しているのか?この観点で見ると、日本の大学の授業料は割高なのかもしれない。しかし東大や国公立大学に関しては、卒業して就職すればそれなりに稼げる仕事に就ける確率は高いので、費用対効果という面ではまだまだ年間65万円程度の授業料は決して高くないと言えるはず。だから学生は、授業料アップ反対と訴えるのではなく、それだけの額を要求するなら、それに伴った内容を提供しろ、と訴えるべきだ。
残念ながら日本の大学の半分くらいは、授業料を払ってまで通う価値があるのか疑わしい。大学に行く事が全て良い結果につながるとは限らない。多くの学生が奨学金という借金を背負って大学に通うため、授業よりもアルバイトに時間とエネルギーを取られているというのは本末転倒。それでもそこに学びたい学問や明確な目的があればまだしも、ただただ「大学生」になる事が目標だっただけであれば救い様がない。
大学をより価値のあるモノにするために、授業料はもっと高く設定する事が日本の将来にプラスになる事は間違いない。