中島貞夫監督を偲ぶ 東映やくざ映画全盛期に活躍

 東映やくざ映画の全盛期に活躍した映画監督・中島貞夫(昨年6月、88歳で死去)さんを偲ぶ会が2月24日、京都市内のホテルで開かれた。映画界から俳優や製作者など約200人が出席した。

中島監督の遺影と生前使っていたディレクターズチェアやカチンコなど

 中島監督は千葉県出身で、東大卒業後に東映入社。今は東映太秦映画村を併設する東映京都撮影所に配属され、1964年に監督デビュー。時代劇から任侠、バイオレンス、ドキュメンタリー、お色気ものまで幅広く手がけ、計60数本に及ぶ。

 またテレビも含めた脚本、演出のほか、作詞家としても活躍。長年、大阪芸術大教授や京都国際映画祭実行委員長を務め、映画産業発展に寄与した貢献で京都府京都市などの文化賞をはじめさまざまな顕彰を受けた。

展示された作品のポスターや台本、書籍など

 広い交友関係を反映し、この日は門川大作京都市長、大﨑洋大阪関西万博催事検討委員会共同座長や俳優の富司純子、三島ゆり子、橘麻紀、寺島進らも出席。演壇には、中島監督の遺影とカチンコなどが飾られ、トロフィーや賞状が所狭しと並び、残された台本やスチール写真、ポスターなども展示。順に参加者が思い出や功績を語り、会場内では映画論や演出論にあちこちで花が咲く独特の雰囲気に。二次会も含め、夜遅くまで同監督をめぐる交歓の輪が広がった。

(畑山博史)

献杯の発声をした富司純子
中島監督の思い出を語る寺島進