外から見た日本 岡野 健将
毎日、我慢して生活していないか? 明日のため、来年のため、将来のため、まだ見ぬ未来のために今を犠牲にした日々を送っていないか?
確かに時間をかけて小さなことを積み重ねていかないとたどり着けない世界や、身につかない技術や経験はある。そのための我慢は必要だ。
しかし、多くの人の「我慢」は、明確な目的やゴールに向かった「我慢」なのか? むしろ、やりたいことや夢、目標が見つからず、ただ漠然と今を我慢して「仕方ない」と自分を納得させてやり過ごしていないか?
生活のためと自分に言い聞かせ、限られた人生の時間を、ただ切り売りしていないか? 今の我慢を強いられた生活の先に、自分が期待する明るく楽しい未来はあるのか?
先月で25年を迎えた9.11米同時多発テロ。早朝、世界貿易センタービルのオフィスにいつものように出社し、コーヒーを飲みながらメールをチェックしていた時、旅客機が激突した。筆者もその数週間前に訪れていたビルだ。突然人生の幕を閉じた人は約3000人。誰一人として自宅を出る時に、今日が命日だと思っていなかったはずだ。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災でも、最後の朝日を見ることなく人生を終えた人は何人いただろうか。日常に目を向けても、交通事故で亡くなる人は毎年2千人以上いる。彼らも最後の日になると思っていなかったはずだ。
筆者がいた頃のニューヨークは、今よりもっと危険で犯罪が頻発していた。当時ニューヨーカーに「今日、無事に自宅に帰って来れたのはただのラッキーだ。それは普通でも当たり前でもない」と言われたことを覚えている。毎日のように誰かが犯罪に巻き込まれて亡くなっていたため、殺人事件というだけではニュースにもならなかった。そんな都市に住んでいると「何もなかったことがラッキー」と言っている意味も分かる。
世界を見渡しても、平穏な日々を過ごしている日本と違い、多くの人が日々、さまざまな理由で命を落としている。
つまり、「人はいつ死ぬかわからない」ということだ。自分には関係ないと思っていても、ある日突然、その不幸がやって来る。遅かれ早かれ人は必ず死ぬ。それが早いか遅いかの違いだけだ。
しかし、平和な日本で暮らしていると、明日も今日と同じような一日が来ると思ってしまう。やりたいことも夢も目標もない。だから、与えられたことを仕方なくこなし、我慢しながら一日を終える。そして、また同じ明日が来る。そんな毎日を繰り返していないだろうか。
もしかしたら今日が人生最後の日かもしれない。そう考えたとき、今の「我慢」をし続けるべきか。筆者は9.11を目の当たりにし、人生がいかに突然終わるものかを痛感した。そんな経験をしなければ、命に限りがあることを実感できないのだろうか。
人生なんていつ終わるかわからない。本当に簡単に終わってしまうのだ。だからこそ、やりたいことがないのなら、まずはそれを探してみればいい。夢や目標が見つかれば、そのために努力することも、我慢することも意味を持つ。今をただ耐えて過ごすのではなく、自分の人生を自分で動かしていく。意味のない惰性の「我慢」なんてしている場合ではないのだ。

