
「子どもの頃から、家業だけは絶対に継ぎたくないと思っていました」。竹内香予子社長は、意外な言葉から、平安伸銅工業の三代目になるまでの道のりを語り始めた。
平安伸銅工業は昭和27年、大阪・十三の銅加工の町工場として創業。戦後、住宅の大量供給が求められるなか、創業者である祖父は、アメリカからアルミサッシの製造技術と工作機械を導入し、日本の暮らしに新しい窓を開いた。二代目の父は、都市部の住宅が手狭になる時代に、アメリカでシャワーカーテンをつるすために使われていたテンションポールに着目。釘やネジを使わずに収納場所を増やせる「突っ張り棒」として提案し、日本中に普及させた。

祖父と父は時代ごとに異なる商品を生み出したが、その根底には「アイデアと技術で暮らしを豊かにする」という同じ思いが流れていたのだ。
一方、竹内社長は、経営方針やお金を巡って祖父と父の意見を違える姿を見て育ち、「私は跡を継がず、別の道を歩みたいと思っていました。祖父の『女性も手に職をつけ、自立したほうがいい』という言葉が響き、情報を伝えることで、社会をよりよく変える一助になりたいと、新聞社に入社したんです」
取材した相手の仕事や思いを知ることには喜びを感じたが、事件や事故の現場では、悲しみの中にいる人から言葉を引き出さなければならない。「取材に尻込みし、上司から叱られることもありました」。報道の使命を理解しながらも、自分はそれを引き受けられるほど強くはない。そうした経験を重ねるなかで、自分が本当に伝えたいものに気づいていったという。「私が好きなのは、斬新な発想から生まれた、まだ広く知られていないものを、必要とする誰かに届けること。そこに、自分の本当に伝えたいことがあると思いました」
父の入院や転職への迷い、結婚という転機が重なるなか、当時交際していた夫から「親の会社という基盤を生かすことは、香予子にしかできない」と背中を押された。「家業を継ぐことは、記者として抱いていた夢を諦めることではない。別の方法で実現できるかもしれないと考え、入社を決意しました」
入社後、突っ張り棒は便利でありながら、どこか野暮ったいものと思われていることに疑問を抱いた。そこで、使う人の視点から価値を捉え直し、インテリアとしても魅力的な製品を生み出していく。それは既存商品の改良ではなく、暮らす人の目線から、その役割を再定義する試みだった。
「何かを決めるときは、どちらを選ぶと後悔するかを考えます。やらずに後悔するより、挑戦して失敗するほうを選ぶ。失敗は、次の挑戦の糧になります」。祖父や父と同じように、竹内社長も時代に合わせて、一人ひとりが自分らしく、自然体で過ごせる空間を常に模索している。受け継ぐとは、同じものを守り続けることではない。先代の思いを胸に、時代に必要な形へと変えていくことだ。
「アイデアと技術で、『私らしい暮らし』を世界へ」。突っ張り棒が二つの壁の間に新しい空間をつくるように、竹内社長もまた、伝統と変革の間に一本の棒を掛け、人々の暮らしに新たな可能性を生み出し続けている。
まっ白な壁のあいだに一本の線を渡して「さあ、暮らすがえ」




【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版) 。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)
