【短歌に込める経営者の想い㉚】関西エアポート 山谷佳之相談役

(歌人・高田ほのか) 

 山谷佳之相談役は言葉を選ぶように一拍置き、それから、少年のような眼差しでこういった。「僕は、万博少年だったんですよ」

 1970年にひらかれた大阪万博。当時中学1年生だった彼の家は、千里会場まで徒歩30分。学校が終われば、胸を弾ませて会場へ向かった。30回以上通い、その半数をひとりで巡ったという。

70年万博当時は中学1年生。30回以上も通うほどの万博少年だった山谷相談役

 各国のパビリオンに満ちる異国のにおい、月の石をのぞき込む群衆のざわめき、スピーカーから流れる多言語のアナウンス……。彼の眼は、わくわくと映像を記憶した。

 なかでも印象的だったのが、岡本太郎の「生命の樹』だったという。「太陽の塔の内部に入り、生命の誕生から人類に至るまでを体感できるのが『生命の樹』です。生命が進化していく様子、発されるエネルギーの強さに、大きな感銘を受けました」。暗がりのなかで浮かびあがる原始の命。枝を伸ばし、時を重ね、光へ向かう造形。そこには、説明を超えたエネルギーがあった。

 その強烈な記憶は、のちの仕事に思いがけないかたちで現れる。オリックス不動産の相談役時代、東京スカイツリーの基壇部にある「すみだ水族館」の構想に携わった。「生命の誕生順に展示を構成したのですが、その着想の原点を考えると、やっぱり『生命の樹』なんです」。空間とは、思想の立体化にほかならない。少年の眼に刻まれた映像は、数十年のときを経て、空間デザインというかたちで物語の枝葉を広げたのだ。

 創業から約10年の長きに渡り、関西エアポートのトップとしてその指揮をとった。2018年は台風21号により甚大な被害を被り、コロナ禍においては国際線旅客がほぼいないレベルまで減少するという未曽有の事態に直面した。しかし、山谷相談役は何時も責任の所在を曇らせない。「災害や感染症は自分が生んだ問題ではない。しかし、インフラを預かる者としての責任はすべて負う。その覚悟は常にしています」。その眼に宿るのは、役割を引き受ける者としての潔さだ。

 線引きを明確にすることで、悩んでも解決しないことで悩まなくなるのだという。「たとえで、1足す1は2.5になるとか、3だとかいうけど、1足す1はやっぱり2なんですね。2.5や3にしたいなら、必ず何かを変えなければならない」。物事を分解し、構造を見抜き、へこたれない組織をつくる。その明快さは、堅苦しい説明より、遥かに聞く者の心響く。山谷相談役の思考は極めてシンプルで、健全なのだ。

 2025年、関西国際空港は「ファーストパビリオン」として万博を迎えた。55年の歳月を経て、万博少年は世界を迎える側になったのだ。「子どものころ憧れていた万博がもう一度来るんだ、こんなことが起こるんだという、素直な感動ですね。今回の万博も、ほぼひとりで回りました」。大屋根リングの下で世界各国の人々が手を取り踊る光景を見つめながら、彼の眼が映す映像にはきっと、あの日みた塔が立ち上がっていたに違いない。

 未来とは、外から与えられるものではなく、少年の心に芽吹き、ときを経て現実になるものなのだ。

生命の樹を仰ぎし少年われにあり五十五年かけ万博に立つ

ウェルカムボードがお出迎え
万博への来場者輸送への尽力に博覧会協会より感謝状が送られた
山谷相談役(右)と高田ほのか

【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版)  。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)

タイトルとURLをコピーしました