
上田理恵子社長は、創業当時のことを振り返りながら言った。「私は、会社をつくりたいと思って創業したわけではないんです」
上田社長は1961年鳥取県米子市に生まれ、幼少期から大阪で育った。専業主婦の母は経済力を持たず、夫との不仲に耐えながら暮らしていた。その姿を見て「女性も働くべきではないか」と母に問いかけた。だが返ってきたのは、宝物だった絵本を燃やされるという衝撃的な出来事だった。「女性は家を守るもの」という時代の価値観に縛られた母の反応は、幼い心に深く刻まれた。上田社長の「不合理に抗う物語」はここから始まったと言える。

幼少期から、弱い者を守るのが自分の役割だと信じ続ける彼女にはこんなエピソードがある。「幼稚園のころ、正義のヒーロー、パーマンに影響を受けて。首にスカーフを巻き、塀から飛び降りたんです。結構なケガをしました(笑)」上田社長の真の凄さはここからだ。そんな経験をしたにも関わらず、それからさらに二度も飛び降りたというのだ。「二度目は頭を4針ぬい、三度目は足の裏に釘がささりました」。真っ向から正義を信じる少女には、「飛べないかもしれない」という発想自体がなかったのだろう。
そんなスバ抜けた正義感から、小学生の頃は友人をいじめる男子に立ち向かい、中学時代は嫌がらせをする男子に水をかけて撃退。大学卒業後は大手企業に勤めたが、結婚・出産を経ると、優秀な女性であっても仕事を奪われるという現実に直面する。能力は変わらないのに、子どもを産んだというだけで仕事を任されなくなる。理不尽な差別に「同じ人間なのになぜ」と憤りを覚えた。上田社長が会社をつくったのは、「子育てをするお母さんに笑顔で働いてほしい」という夢ができたからだったのだ。
そうして「キャリアと家庭両立を目指す会」を設立。新聞で紹介されると、1日で80名を超える申し込みが殺到した。寄せられた悩み相談は7年間で2万件にのぼる。上田社長は夜な夜な手紙を書き、相談者を励まし続けた。会は、働く母親たちにとって唯一の拠り所となった。
やがて「悩みを聞くだけでは変わらない」と痛感し、2001年にマザーネットを創業。病気の子どもを預かるチャイルドケアサービスを事業化し、世の女性たちの代わりに、100社の企業に「子育てと仕事の両立支援を」と切り込んだ。最初は「うちの女性社員は子ども嫌いだから」と門前払いされたが、共感する人事担当者から少しずつ導入が広がっていった。今では約100社と契約し、働く母親たちの大きな支えとなっている。
創業のきっかけをつくったのは、二人の息子の存在だった。「私はいつも息子たちに『働くお母さんを応援する会社をつくりたい』と話していたのですが、周囲の反対もあり、次第にその話をしなくなっていました。それを見た彼らは、「お母さん、夢をあきらめたらあかん」と、自分たちの貯金箱を差し出してくれたのです。ここで引いたら子どもたちも自分の夢を描けなくなる、と創業を決意しました。ちなみに、貯金箱の中身は1200円と676円でした」。創業から24年たった今も貯金箱の数字を覚えているのは、その重みを忘れないためだろう。
現在、64歳を迎えた上田社長は関西経済同友会で「女性リーダー塾」を立ち上げ、男性経営者向けには「育児・家事塾」にも取り組む。「女性だけでなく、男性が変わることで社会が変わるんです」。そう語る表情には、幼少期からの正義感がにじむ。
インタビューの最後、上田社長は「一番の理想は、マザーネットがなくなることです。なくなるということは、女性が子育てとキャリアを両立できる社会が実現しているということですから」とやわらかく微笑んだ。
不合理に抗う心から始まった物語は、ページを重ねるごとに厚みを増し、働く女性の未来を支えるという壮大な夢を描きつづけている。
「お母さん、これつかってよ」ちさき手が貯金箱ごと差しだす未来




【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版) 。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)
