ペット市場が急拡大している。犬の新規飼育頭数は過去10年間で最多の42万6千頭。犬猫を合わせると、およそ5世帯に1世帯が飼っている状況だ。一方で、愛犬と室内で生活する歴史は浅いことから近年、室内犬のヘルニアや脱臼などの関節疾患が増えているという。原因と解決策を探った。
手ざわりなめらかな天然木なのに、しっかりグリップ
人口減でも世帯は増加
日本は人口減が進む一方で、世帯数が増加している。昔は親子三世代で一つ屋根の下に暮らしていたが、今は核家族が主流。一人暮らしも増えており、世帯を構成する単位はどんどん小さくなっている。2020年の国勢調査によると単身世帯の割合は38%で、5年前よりも3・4%増加。都市部はさらに顕著で、東京の一人暮らし率は50・2%と過半数を超えている。ちなみに大阪も41・8%と高い。
世帯の単身(ソロ)化が加速する一方、孤独感を埋め合わせたり、健康や幸福度が高まるとして、近年は犬猫と一緒に暮らすライフスタイルが定着してきた。
これに合わせてペットと暮らせる分譲マンションや賃貸住宅も増加。阪神エリアで「ペット飼育が可能」な分譲マンションはすでに98%以上になっている。
犬であれば、昔は庭に犬小屋を建てて屋外で飼うのが一般的だったが、現在は室内飼いが主流。ところが、この愛犬とのライフスタイルが、新たな問題を生じさせている。
室内飼いで生じた問題
その問題とは愛犬の疾患だ。椎間板ヘルニアや後ろ足のひざのお皿がずれる膝蓋骨脱臼(しつがいこつだっきゅう)などの関節疾患が増えている。
犬は走ったり歩いたりする際に、地面につめを食い込ませて前進する。ところが、フローリングはつめが食い込まず、滑ってうまく歩けない。常に踏ん張りながら歩かなければならないため、足腰に負担がかかる。加えてフローリングで滑ったり転んだりするから脱臼しやすくなる。
特に大型犬より小型犬に多く、ダックスなどの胴が長い犬は、ヘルニアにかかりやすい。このため、犬自身も滑ることを怖がり、じっとしてあまり動かなくなる。
床の滑りが招く犬の疾患について、飼い主の多くはすでに熟知しており、滑り止めのマットやカーペットを敷いて対策を講じるが、「マットがすぐにボロボロになってしまう」「何度も洗濯するのが大変」と悩みは尽きない。
滑りにくいフローリングが好調な売れ行き
こうした愛犬との暮らしの問題に挑む企業がある。銘木商の流れを汲む床材メーカー大手「朝日ウッドテック」(大阪市中央区)だ。愛犬の「滑り」を防ぐ新たな床材「ライブナチュラル・フォー・ドッグ」を開発し、発売してからの売れ行きは右肩上がり。現在は毎月約170件、面積にして2000坪分のペースで受注が舞い込んでいる。
開発者は同社の佐々木大輔さんで、2匹の愛犬との暮らしがきっかけだった。
「年齢が上の犬がマットやクッションの上で過ごすことが多くなったことに気づき、しばらく観察していると、フローリングの滑りを気にしていることがわかった。滑らないようにカーペットやラグマットを敷いてあげたのですが、床材メーカーの人間として、天然木の美しさが隠れてしまうとい葛藤があった。そこで、犬対応のフローリングを作れば、需要があるはずだと思ったんです」
天然木の質感 失わぬよう試行錯誤
ところが、開発は一筋縄にいかなかった。滑りにくさと高級な天然木のさわり心地を両立するメカニズムは、真逆のベクトルを向いているからだ。「床を滑りにくくする最もシンプルな方法は、表面に凹凸を付けることですが、最初の試作品は手ざわりがザラザラでとても天然木とは言い難かった」と振り返る。
銘木商のプライドとして、天然木の高級感はどうしても譲れない。佐々木さんは塗装の粒子のサイズを細かく変更してみたが、どうしてもなめらかな手ざわりは再現できなかった。
そこで、佐々木さんは根本から発想を転換することにした。「凸凹ではなく、樹脂塗装をやわらかくしてグリップを出そう」と思いついたのだ。
ただ、やわらかくすれば当然、汚れやすいし傷もつきやすい。佐々木さんは塗料メーカーと何度も塗装の調合について実験し、ようやく「天然木のなめらかさ」と「滑りにくさ」を両立した最適解にたどり着く。
調合が決まれば、次は床材の「滑りにくさ」をどの程度に収めるかだ。客観的な評価指標として、東京工業大が開発した床の滑り抵抗値を使って検証。犬の足の肉球はゴム片に麻をかぶせて再現し、実験を重ねた。
同社の取締役でマーケティング部長の山本健一郎さんによると、「単純に滑りにくくしただけでは、逆に足が引っかかってしまい、歩きにくくなる。このため、適度な滑りは必要。しかも人間と犬では、それぞれ快適な滑りにくさの範囲が異なるから、双方にとってちょうどいいバランスを取るのに苦労した」という。
こうして誕生した人間と犬が共生できるフローリング「ライブナチュラル・フォー・ドッグ」。着想からは、実に3年半の月日が流れていたという。
ショールームで記者も体験してみた
ものづくりに賭けた同社の物語を聞いた後、ショールームで実際の床を確かめてみることにした。
「こちらが通常の床で、奥が犬にやさしい床です」。山本さんに案内され、順に床を踏み比べてみる。若干グリップが効いている感じがするが、どちらも違和感はないく、天然木の感触がする。今度はしゃがんで手ざわりを確認。天然木のなめらかさが指の神経を伝ってきた。
続いて山本さんが、坂道になった実験用のフローリング架台を持ってきてくれた。「左側が当社の一般的な床で、右側が犬にやさしい床です。先ほどお話しした肉球モデルで滑りを比べてみてください」
山本さんの説明を受けながら、最初は通常の床に試験体を置く。すると坂道を1秒ほど掛けてすーっと滑り落ちた。次は犬にやさしい床を試す。同じように坂道の一番上に試験体を置き、手を離すがピクリとも動かない。人間の体重ではさほど違いを感じなかったのに、体重の軽い小型犬にはしっかりとグリップが効いている。これなら愛犬も快適に過ごせそうだ。
一緒にショールームを取材した同僚の記者は、私よりも滑りにくさを感じていたようで、「これは犬だけではもったいない。小さな子も転ばないから安全だと思う」と感動していた。
「つい先日も、高齢でいつもじっとしていたワンちゃんが、床を変えた途端に室内をぐるぐる走り回るようになったと聞きました。ワンちゃんも滑るのが怖かったんでしょうね。お客様が喜んでくださるたびに、開発してよかったと感じます」(山本さん)
耐久性もお墨付き
ところで、床材の表面を覆う塗装だが、耐久性は大丈夫なのだろうか。山本さんは「しっかり耐久実験もしています。4人家族が1日20回、30年に渡って同じ位置を歩行したことを想定し、43万8千往復しても塗料の残存が確認でき、滑り性能の低下はありませんでした。同じ実験をシート製の床材で試した場合は、表面がツルツルになりましたが…」と苦笑い。
同床材は床下に根太のないマンションでも利用できるように、遮音等級で一般的なL45よりもレベルの高いLL40もラインナップ。さらに、犬が外を散歩することも考え、抗ウイルス、抗菌加工をしてある。こうしたかゆい所に手が届くのが、一流メーカーらしい。