仏教伝来ゆかりの百済最後の都 韓国・扶余(プヨ)

 日本に仏教が伝わったのは、6世紀半ばに百済王が仏像と経典を倭国へ贈ったことがきっかけとされる。その百済の最後の都が置かれたのが、現在の韓国中西部にある扶余だ。寺院跡や王陵が残り、主要な遺跡群は世界遺産として登録され、見どころも多い。2025年10月には清州国際空港と扶余中心部を結ぶ空港バスが開通し、アクセスが大きく改善した。今回は扶余郡役所文化観光課に見どころを聞いた。(山崎博)

百済文化団地に復元された泗沘宮。百済の最後の都、泗沘(しび)にあった王宮を再現した施設

世界遺産とドラマ撮影地が点在する町

百済最後の都へ

 古代日本と交流を持ち、660年に新羅・唐の連合軍によって滅亡するまで栄えた百済の最後の都が扶余である。「白村江の戦い」は、この地域をめぐる百済復興戦の一環で起きたとされ、日本の教科書にも登場する。寺院跡や王陵など百済に関わる遺跡が今も残る。
 その一つが定林寺址だ。寺院そのものは現存しないが、中門址、金堂址、講堂址が確認され、南北一直線に配置された伽藍構造は当時の仏教寺院の特徴と一致する。中心には五層石塔が残り、百済期の石造建築を伝える遺構として知られる。

扶余・定林寺址に残る五層石塔。1400余年の月日を越え、素朴な美しさを保っている

百済金銅大香炉の展示施設が開館

 扶余を代表する文化財が「百済金銅大香炉」である。1993年の発掘で出土したもので、高さ61・8㌢、重さ11・8㌔の香炉だ。蓋は23の峰が重なる山形をなし、笛や弦楽器、太鼓を奏でる5人の楽士、16人の人物像、虎や龍、鹿など実在・想像上の動物39体が立体的に造形されている。木や岩、小道、滝、湖などの景観も表されている。現在は国立扶余博物館に所蔵され、昨年末からこの香炉のみを展示する専用施設が敷地内に開館している。

国宝の百済金銅大香炉(国立扶余博物館蔵)。百済の高度な鋳造技術と芸術性が垣間見える

歴代の王陵集まる

 王陵園(旧・陵山里古墳群)もある。扶余中心部から約2㌔に広がる百済王族の墓域で、泗沘期(538〜660年)に整えられたとされる。複数の王陵が並ぶ景観が特徴で、百済の葬送文化が感じられる。近くには防御施設として築かれた扶余羅城の痕跡も残る。扶蘇山城を中心に東西へ伸びる防御線で、築造は538年頃とされる。

王陵園入口部、百済王族の古墳
扶余羅城跡の城壁と土塁

韓国ドラマの撮影地

 百済の都市空間を体感できる施設として「百済文化団地」がある。王宮跡をもとに復元した泗沘宮と王室寺院の陵寺を中心に、古墳公園や歴史文化館が配置され、当時の都市構造が再現されている。城門や楼閣の内部を歩いて見学でき、韓国ドラマの撮影地としても知られる。
 また、王族の離宮跡とされる宮南池も訪ねたい。7世紀に造られた人工池で、現在は庭園として整備されている。池の周囲には蓮池が広がり、夏には一面に花が咲く。町では蓮根や蓮の葉を使った料理が提供され、蓮の葉ご飯などが名物だ。

ロマンチックな写真スポットへ

 扶余の町を見下ろす高台には、地元で「ラブツリー」と呼ばれる一本木が立っている。百済時代の城址へ向かう道の途中にあり、夕暮れには錦江と山並みを背景に枝が弧を描く。韓国ドラマの撮影地として知られ、写真を撮るために訪れる人も多い。遺跡を巡った後、この場所で夕日を眺めると、古い都が今も静かに続いていることを感じられる。

夕日が美しい『ラブツリー』(扶余・扶蘇山城付近)。ケヤキの木の幹と片方の枝がハート型になっていることから愛の木と呼ばれ、SNSでも話題に
蓮の葉で蒸した名物「蓮の葉ご飯」。香ばしい蓮の葉の香りが特徴で、健康食品としても知られている

※掲載画像はすべて「扶余郡」提供

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