北新地 近松門左衛門「曽根崎心中」の舞台 花街に眠る〝川の記憶〟

 北新地といえば、大阪・キタを代表する歓楽街。花街の歴史と現代が交わる大人の社交場だ。飲食店が軒を連ねる通りを歩けば、開店祝いの花が目に留まる。新たな店が次々に生まれる一方で、静かに姿を消していく店もある。そんな変化の激しい街に、ひっそりと「蜆川(しじみがわ)」の石碑が残されている。かつて、ここには川が流れていた。その川を埋め立てて築かれた場所である。今ではその面影は見えないが、史跡をたどると、水の都・大阪の記憶がふとよみがえる。喧騒の裏にひそむ、知られざる歴史をたどってみたい。

昔、北新地に存在した川の歴史をたどる
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昔、北新地に存在した川の歴史をたどる

資料:摂津国大阪府区分新細図 明治12(1879)年
資料:摂津国大阪府区分新細図 明治12(1879)年

お初と徳兵衛の恋物語

 江戸時代、徳川幕府は豊臣秀吉が進めていた町づくりを踏襲し、中之島や堂島川の右岸には蔵屋敷が立ち並び、「天下の台所」と呼ばれる大阪の姿が形づくられた。町の成熟とともに文化も花開き、歌舞伎や人形浄瑠璃といった娯楽が庶民の間で人気を博すようになる。中でも近松門左衛門の『曽根崎心中』は、あまりに有名だ。

近松門左衛門の名作『曽根崎心中』で知られる遊女・お初と手代・徳兵衛ゆかりの像=大阪市北区・露天神社(お初天神)。物語の舞台となったこの地には、今も多くの参拝者が訪れ、二人の純愛に思いをはせる
近松門左衛門の名作『曽根崎心中』で知られる遊女・お初と手代・徳兵衛ゆかりの像=大阪市北区・露天神社(お初天神)。物語の舞台となったこの地には、今も多くの参拝者が訪れ、二人の純愛に思いをはせる
縁結びのご利益で知られる「お初天神」。恋人の聖地として若い世代に人気を集めている
縁結びのご利益で知られる「お初天神」。恋人の聖地として若い世代に人気を集めている

 かつて花街が広がっていた北新地周辺。遊女・お初と手代・徳兵衛の報われぬ恋の心中劇は、「影暗く風しんしんたる曽根崎の森」と描かれた、露天神社(つゆのてんじんじゃ)の境内「天神の森」が舞台となっている。現在の街並みからは想像しにくいが、当時の境内は今よりも広く、木々がうっそうと茂っていた。花街のにぎわいと、曽根崎の森の静けさ。対照的な二つの風景を今に重ねて想像してみるのも一興だ。

縁結びのご利益で知られる「お初天神」。恋人の聖地として若い世代に人気を集めている。
縁結びのご利益で知られる「お初天神」。恋人の聖地として若い世代に人気を集めている
浄祐寺には、五大力事件の犠牲者を弔う墓があり、花街の名残を今に伝えている
浄祐寺には、五大力事件の犠牲者を弔う墓があり、花街の名残を今に伝えている

静かな路地に老舗あり

 神社でお参りを済ませた後、裏路地に足を踏み入れると、昭和の風情を残す店がひっそりと顔をのぞかせる。なかでも「瓢亭」は大阪を代表する名店のひとつ。名物「夕霧そば」は、白いそば粉に柚子の上皮を練り込んだ、香り高く品のある一杯だ。大阪人なら知っておいて損はない。

大阪を代表する名店「瓢亭」の名物「夕霧そば」
大阪を代表する名店「瓢亭」の名物「夕霧そば」
瓢亭の前には「ここ瓢亭」の石碑がある。昔から、ここを目指して食べに来た人が多かったからだろうか?
瓢亭の前には「ここ瓢亭」の石碑がある。昔から、ここを目指して食べに来た人が多かったからだろうか?

 夜になると、ステンドグラスが素敵なバー「北サンボア」も趣を増す。戦後、卵が貴重だった時代の名残を伝える「卵のバターむし」など、今ではなかなか出合えない一品が楽しめる。

ステンドグラスが素敵なバー「北サンボア」
ステンドグラスが素敵なバー「北サンボア」
蜆楽筋
蜆楽筋

 御堂筋を渡ると、滋賀銀行の壁面に「しじみはし」の親柱を模した石碑が埋め込まれているのが目に留まる。これは、北新地に蜆川(しじみがわ、現在の曽根崎川)が流れていたことを示す証のひとつ。ここから西へ進むと、「蜆楽筋」と呼ばれる、かつての川の名に由来する細い路地があり、さらに新地本通を進めば「曽根崎川跡の碑」、その先には「桜橋跡」の石碑が見つかる。

明治後期まで北新地を東西に流れていた蜆川の跡
明治後期まで北新地を東西に流れていた蜆川の跡
江戸時代の米取引所跡。大阪が「天下の台所」と呼ばれた背景にある経済拠点
江戸時代の米取引所跡。大阪が「天下の台所」と呼ばれた背景にある経済拠点

 一見、昔の痕跡など何も残っていないように見える歓楽街だが、史跡をたどり歩けば、次第に失われた川の姿が浮かび上がってくる。

蜆川跡たどり、西へ

 かつて蜆川(曽根崎川)は、堂島川から北西に分流し、現在の北新地・曽根崎周辺を流れていた。堂島は薬師堂を中心とする小島で、四方を川に囲まれ、文字通りの〝島〟だったようだ。川の名は、シジミがよく採れたことに由来するともいわれている。1909(明治42)年の「北の大火」で出たがれきにより出入橋から東側が埋め立てられ、24(大正13)年には西側も埋め立てられて姿を消した。

川を挟んだ北の歓楽街を「曽根崎新地」、商業地として発展した南を「堂島新地」と呼んだ。1909(明治42)年の北の大火で架けられた橋の多くが焼失
川を挟んだ北の歓楽街を「曽根崎新地」、商業地として発展した南を「堂島新地」と呼んだ。1909(明治42)年の北の大火で架けられた橋の多くが焼失。
阪神高速の高架下にある出入橋の碑
阪神高速の高架下にある出入橋の碑

 そんな出入橋の名を今に伝える甘味が「きんつば」だ。かつてこの周辺は水運の要所としてにぎわい、多くの船が行き交っていた。船乗りたちが片手で手軽に食べられる甘味として重宝され、今も変わらぬ人気を誇っている。手土産にも最適で、店内でも味わえるので、散策の途中に立ち寄ってみるのもいい。
 夏季限定で登場する、大阪発祥とも伝わる冷やし和菓子「しがらき」も見逃せない。名物きんつばに並ぶ〝もう一つの看板〟で知られ、今では全国的にも扱いが少ない貴重な一品だ。

甘さ控えめ、手土産にも最適な名物のきんつば=出入橋きんつば屋
甘さ控えめ、手土産にも最適な名物のきんつば=出入橋きんつば屋
出入橋きんつば屋で夏季限定で販売される冷やし和菓子「しがらき」
出入橋きんつば屋で夏季限定で販売される冷やし和菓子「しがらき」