【パソナ農援隊・田中康輔社長】本当の豊かさは地方にある。〝国民総農業〟のムーブメントを

 兵庫県の淡路島―。人口約12万人、日本神話「国生みの島」でも知られるこの地で、総合人材サービスのパソナが存在感を増している。2008年から島で農業や観光事業に着手し、観光拠点などを次々と建設。コロナ禍では本社機能の一部も島に移し、すでに淡路島の社員数は1000人を超えている。彼らの目的は一体何なのか? 渦中の淡路島事業の中心人物であるパソナ農援隊の田中社長に、阪本晋治が迫る。(佛崎一成)

「農業には人を元気にする力がある」と話す田中社長

 ―コロナをきっかけにいち早く本社機能を地方に移転する施策に出られた。目的は何か。

 実は急に浮上してきた話ではない。以前から創業者の南部靖之が構想していた。東京一極集中が進む中、われわれも人材サービス分野で飛躍的な成長を遂げてきた。ところが、経済指標で物質的、経済的な豊かさを感じる一方、「そこで働いている人たちは果たして幸せなのか」という疑問も持つようになった。

 経済が豊かと言っているのに、みんな忙しくて食事を簡単に済ませようと、いつもコンビニは長蛇の列だ。住居も東京中心部は地価が上がり過ぎ、家賃が高騰。多くは郊外に暮らすようになり、毎日2〜3時間、満員電車にもまれる生活だ。家族と過ごす時間も犠牲になる。これで本当に豊かなのか、という問いが原点だった。

それで地方に目を向けた。

 私自身、パソナに入社して最初の勤務地が神戸だった。北に六甲山を望み、目前に港が広がる風光明媚な場所で、東京のように人は密集しておらず、常に心の安らぎが隣り合わせにあった。なんてバランスの良い街だと感動したのを覚えている。

 そう考えると、地方にこそ本当の豊かさがある。しかし、地方の現実は消滅都市が出るほど人口減が深刻。その最大の要因は雇用がないからだ。パソナの役割は社会の問題点を解決すること。われわれなら地方で雇用を創出でき、日本の隅々までを元気にできる。そのミッションを掲げ、農援隊はスタートした。

 ―なるほど。事業を通じて地方創生に取り組むということか。ところで〝農援隊〟の名称が示す通り、農業に着目したのはなぜか。

 第一次産業の農業は、人間が生活する上で重要な〝食〟の産業だ。これまでの日本は欧米を追いかけて工業の分野で伸びてきたが、逆に一次産業を衰退させてしまった。しかし、米国やフランスを見てほしい。欧米は工業大国といえども食料自給率で50%を切る国はほぼ存在しない。

 「日本は資源がない」と言われるが、実際には豊かな自然があり、水資源も豊富。それなのに、農業が衰退し、食という根幹が危機的状況だ。この農業分野を復活させるのが農援隊のミッションだ。

 ―確かに。今は海外から食糧を安く調達できるが、国家間のいざこざなどで、この先どうなるかわからない。自国で賄うための食料自給率は安全保障の面からも重要だ。

 お店に行けばいつでも食にありつける状況だから実感がわかないが、そもそも農業従事者のおかげで食べ物は供給されている。今は海外から買えても、世界の人口は爆発的に増えているから、いつまで輸入できるかの不安もある。

 1950年に25億人だった人口は現在80億人。2050年には100億人が見えてくる。1960年に約1800万人いた農業従事者(食料自給率79%)も、70年には半分になり、2000年には約390万人で、今は120万人だ。50年には今より8割減る試算もある。農業の平均年齢も約70歳と高く、放置すれば教える人もいなくなる。国として成り立たなくなる危機的状況なのに、そんな話題は一切出てこない。今アクションを起こさないと大変なことになる。

 ―農業従事者を増やすには、やはり農業で稼げることが大事なのではないか。

 その通りだ。そのために農業分野のスターを作り、盛り上げることが大事。日本の農業技術は高く、実はすごい人たちが大勢いる。「シェフ」という職業はミシュランなどの影響でスターが誕生しているが、農業にもスターをつくり、若者が憧れる産業にしなければならない。そこに気づくには、実際にみんなが農業に関わっていくことが大事だ。専業でなくてもいいから、国民みんなが少しずつ農業に関わる〝国民総農業〟のムーブメントを起こしたいと考えている。

 ―農業は個人でやっている印象が強いが。

 現在の農業はある意味ベンチャーだ。昔は生産したら販売はJA(農協)だったが、今はインターネットで消費者にダイレクトに届けられるようになった。さらに生産した野菜を加工して販売する人や、レストランをやる人も出てきた。それを発信するためのマーケティングも必要になるなど、農業にはいろんなビジネスが介入できる余地がある。産業界を巻き込めば農業がもっと盛り上がり、地方の雇用創出にもつながる。

 ―パソナは淡路島に入り込んでいるが、その目的は「地方にこそ豊かさがある」という実証のためか。

 その通りだ。まずは自分たちが実践してみなければ説得力がない。それで淡路島に2008年から入り、農業のプロジェクトを開始した。農地法が改正され、企業も農地を借りれるようになったので、自分たちの農地を設けて生産技術を学び、どう販売すれば手元に利益が残るかを模索し続けてきた経緯がある。全国から農業従事者でない人を募集し、3年ほどトレーニングして、独立を支援する事業を進めてきた。

 ―なるほど。報道などをみていると、急に淡路島にパソナが乗り込んできた印象だったが、実際には以前から根強く活動してきたということか。

 そう。実はもう16年目になるから結構長い。もっといえばパソナが農業分野に着手しはじめたのは03年からで、南部の一言だった。当時はわれわれも「なんで農業やるの?」と思っていたが、今になってみるとその理由がよくわかる。経済は豊かになったが、心は豊かになっていなかった。

 ―なるほど、創業者らしいすごい先見の明だ。ところで、淡路島の印象はどうだったのか。

 自然が豊かで農業、漁業、畜産業のすべてが盛ん。島の食料自給率も100%を超え続けている。都市も近いし、4つの空港に囲まれ地の利もある。ものすごいポテンシャルを持った島だとわかった。

 地域の食の資源を表現できる腕の良いシェフが集まれば、〝世界一の食の島〟になるのも夢ではない。

 ―それで島の北側にシェフガーデンなどのレストランやホテル、エンターテインメントを楽しめる施設を開設した。

 地域の一次産業者から食材を仕入れれば地域への波及効果がある。さらに観光で呼び込めれば、また潤う。単に企業が地方に進出して自社の事業を展開するのではなく、その地域の資源を生かした産業を興し、自ら雇用を作っていく。これがうまく行けば、日本中の地方創生のモデルとなる。そういうチャレンジを淡路島でやっている。

 ―なるほど。淡路島での活動がある意味、地方創生の社会実験とも言えるわけか。

 本当の豊かさという原点に戻るが、やはり心と体が元気でないと人間は幸せになれない。東京から転勤してきたパソナの社員は、週に1回でもいいから農業に取り組むようにした。するとよ社員たちからものすごい良い感想が帰ってきている。

 普段は社屋で仕事をしているが、農地に行って太陽を浴び、土にふれ、体を動かすことで心と体が元気になる。また、自分たちが食べるものがどうやってできているかを知ることができ、生産者への感謝も生まれた。さらにいえば自然環境をなぜ守らないといけないかがわかったという声もあった。SDGS教育を机上でやっていてもわからないが、農業に関われば全てが見えてくる。

 ―健康経営、いわゆるウェルビーイングを打ち出す企業は多いが、勤務時間の短縮や休日を増やすなど表面的な取り組みで終わってしまっている感がある。

 農業には心と体を元気にする力が間違いなくある思っている。子どもから大人まで、みんながちょっとずつ農業に関わる国になると、日本人は豊かになると確信している。農援隊のミッションとして、時間はかかるかもしれないが、国民総農業のムーブメントを起こしていきたい。

 ―正直、田中社長の話を聞くまでは、パソナが淡路島に大挙して押し寄せ、ネガティブな印象を持っていた。しかし、実際には、地方の雇用創出や食の安全保障、そしてウェルビーイングなど今後、日本が向かうべきことに取り組まれていることがわかった。

 確かに、大勢で来られると不安がるのは仕方のないことだと思う。ただ、実はこの農業の取り組みが住民の方々にもプラスに働くと思っている。社員が農業をし始めて農業のノウハウを身につければ、淡路タマネギの収穫の繁忙期などにサポーターとして手伝いに行けるようになる。同様に、全国の企業が農業に携わるようになれば、各地域でサポーターとして応援に行けるようになる。そこで地元とのコミュニケーションも生まれる。

 ―企業の地域貢献といえば、地元催事に協賛するなどのパターンが多いが、農業を通じた地域との支え合いとなれば関係性はより深くなる。何より農業に携わることで自分たちが健康になれるのがいい。

 農業には単純に食べ物を生産するだけでなく、人を元気にする力がある。実は不登校の児童・生徒たちも学校は行かないが、うちの畑には積極的に足を運んでくれるところを見ても、農業には不思議な力がある。日本を元気にするためにも、この取り組みを広げていきたい。

田中社長(左)と阪本晋治=大阪市北区のパソナ・大阪

パソナ農援隊 「日本の地域農業を支える〝強い農業者〟を育成する」をミッションに2011年に設立。農業分野の人材育成や新たなビジネスモデルの構築などを展開。2008年にスタートした淡路島での新規就農者支援事業「チャレンジファーム」は、当初4㌶だった農地を現在は10㌶まで拡大。農作物の生産にとどまらず、「のじまスコーラ」を拠点に加工、販売までを一貫して行う仕組みを確立し6次産業化を進めた。