「捨てられない価値をつくる」 世界的ブランドデザイナー アートディレクターGRAPH 社長 北川 一成さん

不確実な時代。成功体験にとらわれず、常に現状を疑え

 中小企業から海外の高級ブランドまで数多くを手掛けるデザイン界の巨匠、GRAPH(グラフ)社長の北川一成さん。テレ東の「カンブリア宮殿」やNHKの経済ドキュメンタリー「ルソンの壷」などにも出演した北川さんは、家業で倒産寸前だった北川紙器印刷を、世界で活躍するオンリーワンのブランディングカンパニーに育て上げた。世界的なブランドデザイナーである北川さんに、阪本晋治が迫る。

「答えより何を問うかが大切」と話す北川社長
「答えより何を問うかが大切」と話す北川社長

─どんな少年時代だったか。

 小学生の僕は特別学級にいた。現在でいうアスペルガーやディスクレシアなどの兆しがあった。目の前で会話をしていても、隣の席の会話に集中してしまったり、他人からどう見られようと全く興味がなかったり…。ただ、絵を描くことにはすごく興味を持ち、テストになると答案用紙をすぐに裏返し、絵を描き始めた。だから、回答用紙はいつも白紙。成績は散々だ。

─成績は悪くても友達は多かった。

 他人よりカブトムシを捕まえるのが得意だったし、家が印刷屋なので微妙な印刷の違いを見分け、祭りの当たりくじを引くことができた。放課後の〝オモロイヤツ〟として友達に人気があった。

─半面、成績が悪く、友達の親から「一成君とつきあったらあかんで」などと厳しい視線を浴びていた。

 馬鹿にされていたのは分かっていたが、他人にどう思われているかに興味がなく、全く傷つかなかった。ただ、母親は辛い思いをしていたと思う。
 こんなエピソードがある。あるとき、村の神社の鳥居のところに虹が架かっているのを見つけた。その虹を取るために自転車を必死にこいだ。途中で2、3人で井戸端会議をしている母親の姿を見かけたが、猛スピードで横を駆け抜けようとすると「一成! そんなに飛ばして危ないじゃないの」と引き留められた。とっさに僕は「あそこに虹が見えるやろ! あれを取りに行くんや」と叫んだ。
 それを聞いた他の親たちはクスッと笑って、僕を馬鹿にしている様子がうかがえた。ところが、母親は「あんた!そんな自転車のカゴやったらすき間があるから無理や」とサッとビニール袋を取り出し、「これに虹を入れておいで」と言ってくれた。

─母親の愛情を感じるいいエピソードだ。

 母親は他の親とは対照的に、「あんたアホやな」と言いながらも、いつも真剣に向き合ってくれた。そんな母親だったから、僕はうつになったり、自己否定をすることなく育ったのだと思う。本当に感謝している。

─でも北川さんは偏差値の高い筑波大に進学された。何がきっかけで勉強に目覚めたのか。

 別に目覚めたわけではない。僕は長男だが、下の3人のきょうだいはすごく勉強ができた。卒業式を終えた後、家族で茶の間を囲み、両親がこんな話を始めた。「兄ちゃんが小学校を卒業した。義務教育は中学校までだからあと3年はいけるが、兄ちゃんはこんなんやから高校は無理やと思う。でも、みんなで兄ちゃんを支えていこう」と。
 ショックだった。テストで0点を取っても自分が馬鹿にされるだけで済むと思っていた。ところが、家族に迷惑がかかっていたことを知り反省した。だから、答案用紙は白紙で出さず、答えを埋めてから絵を描くことに決めた。

─本当は答えが分かっていたのか。

 全部分かっていた。ただ、問題を解いていると絵を描く時間が少なくなるのが嫌だっただけだ。当然だが、回答欄を埋めるようになると成績がめまぐるしく伸び、周囲の目も変わっていった。中学を卒業するころには、成績優秀生だった。

─みんな小学生のころの記憶がなくなっていた。

 ただ、自分の中の本質は何も変わっていない。家族に迷惑をかけないよう答案用紙に答えを書いているだけ。それなのに卒業式で、特別学級で親友だった友達から「お前、知らん間にかしこくなって、さみしいわ」と言われショックだった。

─高校3年の時、フランスに行ってカルチャーショックを受けたとか。

 自分のあまりの視野の狭さにがく然とし、もっと勉強しなければと強く思った。どうせなら東大で芸術を勉強しようと思い、進路指導の先生に打ち明けると「何を言うてる。東大に芸術学部はない」と言われ、赤本で偏差値の高い順に調べ、筑波大の芸術専門学群に決めた。
 これまでの人生は、家族に恥ずかしい思いをさせないようにと、他人の思いばかり反映していたが、大学は初めて自分の意思で行きたいと思った。

─北川さんと言えばブランディングだ。大学ではどんな学びを。

 まずブランドとは物質的な価値ではなく無形資産だ。これを不動産や株価のように数値化できないか、ということに興味があった。同じ土地でも東京・銀座の土地はなぜ僕の実家の土地より高いのか。それは、土地の面積ではなく、見えない可能性があるからだ。絵を描くのも好きだが、大学ではこうしたブランド価値を研究し、大学院にも行って研究者になりたかった。ただ、途中で一族の印刷会社が倒産しそうになり、帰ることになってしまったが。

─ブランドは高級だという印象があるが、そういうものではないのか。

 そういうものではない。ブランドに高い低いはなく、みんなにあるものだ。倒産しかけた会社にだってブランドはある。そのブランドをどうやって、できるだけ上げていけるかが重要なのだが、そこには道徳性や倫理性、社会への存在意義も関係している。企業として利益を追求するだけでなく、ステークホルダー(企業を取り巻く関係者)や競合他社も含め、存在していることが非常にポジティブに受け止められるならブランド価値は高い。

─広告とブランディングの違いは。

 全く別物だ。広告は即効性があり、短期的なものだ。来月や来年のイベントを告知するとか、今売れていない商品を売り切るために2割引きのクーポンを付けるとか。どの媒体に載せ、どんなクリエイティブで人に認知してもらうか。それが広告だ。
 一方で、ブランドは子育てと同じだ。苗木から大木に育てるように、中長期的に積み上げていくもの。ルイ・ヴィトンやエルメスはカバンを売っているように見えるが、実は人々はルイ・ヴィトンやエルメスの伝説を買っている。アップルもスティーブ・ジョブズへのあこがれだ。つまり、物ではなく、伝説やあこがれなどが無形の価値を形成するわけだから、一朝一夕にでき上がるものではない。経営者の人間味とか人間力を含めてブランドになっている。そこを磨いていくことが、企業を成長させていくのに非常に重要で、3年、5年、10年という時が必要になる。

─ただ、先のことは分からないから、そこに投資できる日本の経営者は少ない。

 欧米、特に米国に比べて日本は無形資産に対する投資が弱いのは確かだ。銀行の融資の仕方を見ても、どちらかと言えば不動産をどれだけ持っているか、キャッシュがいくらあるか、といった有形資産でリスクヘッジしたがる。つまり、無形の物に融資したことがないし、経験の範囲内でしか物事を想像できないから投資ができない。
 一方で米国はどうか。90年代に米国のメーカーは日本のトヨタやソニーに負けた。日本より米国の方が人件費も高く、生産品では太刀打ちできない。そこで、米国が経済の立て直しにとった戦略は当時、軍事技術だったインターネットを開放することだった。そのときから無形資産に舵を切った。米国は敗北したからこそ無形資産に投資し、その結果、時価総額で国家予算を超えるGAFAMを生み出した。
 一方の日本は物売りで勝てた自負があり、成功体験におぼれて遅れを取った。それが失われた20年だと思っている。
 日本でも戦国時代を見れば、大名がやっていたことはブランディングだ。義理人情とか人間味にあふれるとかさまざまな人心掌握のやり方がキャラクターになっている。日本人も昔からブランディングを理解していた。

─これからの時代、ブランディングは大切になりそうだ。

 同じ答えを解く速さを競っていた時代から、不確実で先が見えない現代は、答えより何を問うかが大事だ。どんなことに対して、新たな発見を見出すかが重要になる。
 そのためには現状を疑うことだ。ニュートンが質量を持つ物体は周りの物を引っ張るという「万有引力の法則」を提唱した後に、アインシュタインは質量を持つ物体は周りの時空を歪め、その影響を受けて引っ張られたように動く「一般相対性理論」を完成させた。アインシュタインは決してニュートンを否定したわけではなく、アップデートしたわけだ。
 つまり、否定ではなくアップデートが今の世の中には必要だと思っている。日本の経営者がもっとブランディングを学べば、先を見るためのツールにもなるかもしれない。
 過去の成功体験は必ずしもオールマイティーではない。固定電話を独占していたNTTがなぜ携帯電話をやり始めたか。富士フイルムが化粧品や医薬品をつくり始めたのはなぜか。
 当時の知識の範囲では、未来をすべて見通せないということだ。人間は知らないことの方が多いわけだから、謙虚さや好奇心を常に持っておくことが大切だ。

北川一成さんプロフィル

 1965年兵庫県生まれ。筑波大卒。2001年に世界最高峰のデザイン組織、AGI(国際グラフィック連盟)の会員に選出。04年に仏国立図書館に〝近年の印刷とデザインの優れた本〟として多数の作品が永久保存される。16年にはブランディングを担当した「変なホテル」が「はじめてロボットがスタッフとして働いたホテル」としてギネス世界記録に認定。経営資源となりうる強度のあるデザインと、売上目標達成や企業イメージ向上などの成果をもたらすアイデアが、多くの企業経営者の支持を得る。

北川社長(左)と阪本晋治
北川社長(左)と阪本晋治

グラフ株式会社
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