甲子園球場には土砂降りの雨、重機の轍(わだちに)に負けないグラウンドの有名な〝神整備〟がいる。しかし、その陰で数千人規模の観客を短時間で入れ換える〝神案内〟が存在することはあまり知られていない。事故なくスムーズに、しかも観客に感動の接客でもてなすイベント運営管理のプロ集団「BE-ING(ビーイング)」。プロ野球やJリーグ、アリーナコンサートは、彼らの存在なくして成功はない。感動をアシストし続ける同社の安國正隆会長と三由忠志社長に迫った。
(インタビュアー/阪本晋治 ・ 佛崎一成)
─夏の甲子園の「神案内」として、朝日新聞に取り上げられた。
三由社長(以下三由) 高校野球は1日4試合のペースで組まれるが、アルプス席は必ず試合ごとに総入れ替えになる。わずか20分ほどの間に、約5000人を入れ替えなければならない。加えてブラスバンドや応援団、学校によっては人文字を作るので、座る場所もある程度決められている。入れ替えをスムーズに進めるため、回が進んだ攻守交代のときを狙い、退場の手順を拡声器で伝え、すぐに球場を出られるように荷物をまとめるよう呼びかける。
─雑踏事故が起きないように気遣いも大変そうだ。
安國会長(以下安國) 実はビーイングを起業するきっかけは、相次ぐ事故を防ぎたいという思いがあった。3名が亡くなったラフィンノーズ公演雑踏事故や、大阪でもライブハウスで雑踏が押し寄せ死者が出た。そんな時代だったから、イベント運営のプロフェッショナル集団を組織すれば世の中の役に立ち、ビジネスにもなると考えた。
─起業前もイベント運営の仕事をされていたのか。
安國 フェスティバルホールでアルバイトをしていたので、コンサートの裏方を手掛けていた。当時は観客がすごかったので、郷ひろみさんの公演では整理員が120人ほど必要になる。「安國君、集めてくれへんか」と言われ、アルバイト募集も担当していた。
─120人ともなると、集めるのも苦労したのでは。
安國 いや、当時はすぐに集まった。楽屋で郷ひろみさんと同じ弁当も出たし、ものすごく待遇が良かったから。求人誌に小さく募集を出すだけで、嫌と言うほど人が来た時代だ(笑)。
─最初の話に戻るが、事故が相次ぐ主因は何だったのか。
安國 群集心理だ。当時の観客はステージに近寄りたい一心。観客はステージに近づくため、まず立ち上がり、次に通路に出てくる。だから、立ち上がった瞬間、通路に出ようとする観客をとにかく止める。開演から終演までずっとその対応に追われた。
─そうしたノウハウを積み重ね、ビーイングは今や、甲子園や京セラドーム、劇場、アリーナ級のコンサートなどの運営に欠かせない存在となった。事業が急拡大する転機は何だったのか。
安國 スポーツの仕事を手掛けるようになったのが大きい。劇場にはじまり、藤井寺球場、甲子園球場へと繋がった。
三由 最初は近鉄劇場の受付や案内係の仕事だった。その繋がりで、近鉄のグループ会社が管理運営する藤井寺球場も任されるようになった。1989年には近鉄がパ・リーグ優勝し、藤井寺で日本シリーズも開催した。その優勝経験を見た阪神から甲子園球場の仕事を依頼された。このプロ野球の実績が、Jリーグ「ガンバ大阪」の試合の運営管理にも繋がっていった。
─そうした中、コロナの影響でエンタメ業界はかなりの痛手を受けたのではないか。
三由 過去に阪神淡路大震災(1995年)が起きたときもイベントがすべて中止になったが、われわれの仕事はエンタメにしか通用しないわけではない。
─どういうことか。
三由 震災で阪神電車の三ノ宮─青木(おうぎ)間が被災し、同区間の移動手段をバスが担った。ところが、電車なら一度に約2000人を運べるが、バス1台では50人ほどしか乗車できない。バス停は人であふれ返っていた。この状況を改善しようと阪神側が、普段から甲子園で入場待ち列の整理をしている当社に連絡が入った。バス停の待ち列を整理してほしいという要望だ。この経験からエンタメだけでなく〝人が集まるところにビーイング〟は必要とされることを再認識した。ただ、コロナ禍はソーシャルディスタンス、人が集まってはいけないとなったので、我々も動けなかったが(笑)。
─年間登録者3000人と膨大なスタッフを抱えておられる。さまざまな業界が人手不足に悩む中、それだけの人材を集める秘訣は何か。
三由 初めて来たアルバイトにていねいに教えることだ。1回のイベントだけにアルバイトに来る子も多いので、リピート率を上げる取り組みをしている。
─具体的には。
安國 〝バイト君〟ではなく、〇〇君、〇〇ちゃんときちんと名前で呼ぶことが大切だ。多くの企業から「人が育たない」という悩みを聞くが、大切なのは、一人の人間としてていねいに接することだ。
─なるほど。だが、人材を雇用の調整弁として扱うなどコストと見なしている企業は未だ少なくない。
三由 確かに、人を物のように扱う企業も耳にするが、私には理解できない。やはり人は人として接しなければ。
安國 うちの社員は99%をアルバイトから登用している。アルバイトから幹部になり、社長になっていく。
三由 実際に私も最初は学生アルバイトだった(笑)。会社側も人間性を分かっているし、アルバイトも仕事内容や社風を知っている。互いに分かり合った中での社員登用だからミスマッチがない。このため、離職率も低い。今は若干上がっているが…。
─それは時代かもしれない。
安國 それでも他社に比べれば離職率は低い。他社はもっと大変だと思う。
─昔、ビーイングでアルバイトをしていた人たちが親世代になり、その子どもたちが今、アルバイトをしていると聞いたが。
安國 そう。親がアルバイト先として、過去に自分が働いたビーイングを推薦してくれているようだ。もう少しで3世代も出てくる(笑)
三由 当時、私と一緒にアルバイトを務め、今は大企業の役員をしている方がいる。彼は人事を統括しているが、この前、話をしたときに「もう出身大学で選ぶのは辞めた。ビーイングでいい人材がいたら紹介してくれ。これからは現場で役に立つ人材の方が重宝する」と言っていた。今の大学生の扱いに、大企業も悩んでいるようだ。
─学歴よりも実社会で通用する地頭の良い人材の方が貴重だ。言われたことをできる人はいるが、言わないことをできる人は少ない。話を伺い、やはり人を大切にすることで人生も豊かになると確信した。次に取り組みたいプランはあるか。
三由 実は業界はかなりの人手不足に陥っている。コンサートのイベンターやステージの設営会社、チケット販売会社、照明、PA…。いずれも人材難だ。現在もビーイングのアルバイトスタッフをエンタメ企業にあっ旋する就職説明会に取り組んでいる。その流れで今度はエンタメの学校を作ってほしいと業界からの要望がある。
安國 今は不景気だから、エンタメ系の専門学校に通うのも経済的に大変だと聞く。だから、ビーイングで良心的な授業料で通える学校を作ってほしいと。弊社ならイベントの管理運営を実地で学べるし、即戦力を社会に送り出せる。現役を退く人々に講師として協力してもらえばセカンドキャリアの仕組みも整えられる。今、試案を作成中だ。
─ビーイングが人を大切にする企業であることがすごく伝わった。最後に御社の企業理念について教えてほしい。
安國 英語では〝JUST ONCE〟、日本語で〝一期一会〟。例えば、コンサートなら仮設のステージを作り、本番をやって、そのまま徹夜で撤収する。この間たった数日だ。つまり、観客もスタッフも、その瞬間だけに集まった奇跡の出会いで結ばれているということだ。その一度きりの出会いを最上のものにするのが最大のミッション。これからも我々は、感動の〝一期一会〟を創り続けたい。
BE-INGグループ企業紹介
1986年に創業したイベントの管理運営を行う企業。アリーナ級のコンサートをはじめ、プロ野球やJリーグなどのプロスポーツ、宝塚大劇場やフェスティバルホールなどのイベントの運営管理を一手に引き受ける。スタッフ配置や会場の導線、観客の群集心理などを熟知し、そのノウハウをもとにスムーズな入退場を実現する〝神案内〟や感動の接客が高く評価されている。2020年からはホールディングス化し、コンサート運営の「ビーイングプラス」や、ホールや球場の運営管理を行う「スタービーイング」など専門分野に特化した4社体制。
ビーイングホールディングス株式会社/大阪市西区靱本町1-7-18 ビーイングビル10F/[グループ企業](株)ビーイングプラス・(株)ライズビーイング・(株)神戸ビーイング・(株)スタービーイング