連載終了も「キャプテン翼」は終わらない 作者の高橋陽一先生にインタビュー

 日本のサッカーブームの火付け役となり、世界の有名選手にも影響を与えた世界的な漫画「キャプテン翼」が、4月で43年の連載に幕を閉じた。漫画は五輪編の途中にあって、作者の高橋陽一先生の体力の衰えなどが理由だが、物語はそこで終わったわけではない。今後は鉛筆描きの形式を取り、新ポータルサイト『キャプテン翼WORLD』で、翼君の物語は続いていく。世界的漫画家の高橋先生に、阪本晋治が迫る。(佛崎一成)

「翼が日本代表でワールドカップに出場し、そして優勝するまでのストーリーを世に残したい」と話す高橋先生

 ─4月の「キャプテン翼マガジンVol.20」の掲載話を最後に43年続いた漫画連載に幕を降ろされた。理由は体力的なものか。

 やはり年齢的なものもあってペンで漫画を描くことに、時間がかかるようになってきました。自分の頭の中にはキャプテン翼のストーリーはまだまだ先まで構想を描いているんですが、肉体的なことを考えると全部を描き切れないという状況にありました。

 このため、鉛筆書きのみでペンは入れないネームという形で制作を続けていくことにしたんです。このスタイルであれば、背景を描いたりペンを入れたりしないで済むので、よりスピーディーに漫画が仕上がっていきます。だから、ストーリー自体は今まで以上のペースで読者に届けられると思います。

「日本のワールドカップ優勝」 そして「翼を世界一の選手」に

 ─先生の頭の中で、キャプテン翼のこの先のストーリーは、どこまで描いているのか。

 翼の日本をワールドカップで優勝させること。そして翼は世界一のサッカー選手になりたいというのがテーマになっているから、そこまでは描きたいと僕自身は思っています。

 ただ、物語の現在地は五輪の日本代表として戦っている状況で、すごく時間をかけて描いています。このスタイルで漫画を描き続けると、おそらく五輪編を描き終える時点で年齢は80歳くらいになってしまう。

 そこで、鉛筆書きであればさらに先の話まで進められます。翼が日本代表でワールドカップに出場し、そして優勝するまでのストーリーを、もしかしたら世に残せるかもしれない。そう考えて今回の決断をしたんです。

 僕自身がペンで描く五輪編は残念ながら途中で終わってしまいましたが、鉛筆書きで翼の物語を最後まで描きたいです。

©高橋陽一/集英社

 ─「キャプテン翼」は世界的に影響を与えた漫画でもある。もともとサッカーを題材にした理由は。

 小学校高学年くらいから漫画を描いていたのですが、僕は野球が好きだったので、最初は野球漫画ばかり描いていました。ところが、1978年にアルゼンチンで開かれたワールドカップに影響を受けて。当時、18歳の高校生だった僕はそこからサッカーが好きになりました。ただ、僕が描き始めたころは、サッカーというスポーツ自体は日本であまり人気はなかった。

 ─スポーツ系の漫画と言えば、線が太くて力強いイメージを持っていたが、先生の絵はやさしくソフト。しかしながら内容はスポ魂漫画で、他の漫画とは違う感覚で読んでいた。

 漫画家にはそれぞれ自分の絵柄があります。僕の場合はどちらかというとカワイイキャラクター。好きな漫画をまねていくうちに、自然と自分のスタイルが出来上がったのだと思います。

 ─キャプテン翼と言えば、翼君のドライブシュートや日向君のタイガーショットなどの決め技も特徴の一つだと思う。何から着想したのか。

 子どものころに見ていた巨人の星、大リーグボール1号・2号などの影響が大きいと思います。スポーツ漫画の特徴なのかなと思い、それが体に染みついていたのかもしれない。

©高橋陽一/集英社

 ─先生が影響を受けた漫画家は。

 ドカベンの水島新司先生やあしたのジョーのちばてつや先生が好きでした。水島先生は漫画はすごくリアル。それまでの野球漫画は、例えば巨人の星では必殺技があったり、スポ魂みたいに、相手に負けて強くなるみたいな流れが主流でした。

 しかし、僕も高校野球をやっていたのですが、高校球児のリアルな感じがすごく表現されていたんです。必殺技がなくても、投球フォームやバッティングフォームなどの野球のリアルなシーンでおもしろい漫画が描けることを知り、衝撃を受けたのを覚えています。

 ─キャプテン翼が社会的な影響を与えているというのは、どのくらいの時期から感じていたのか。

 そうですね。最初は週刊少年ジャンプの読者だけでしたが、テレビアニメの放映でより多くの人に知ってもらえる機会を得たころでしょうか。その頃からスポーツ店からサッカーボールが売り切れたり、サッカーをやる子どもたちが増えたりして、僕の漫画の影響があるのかなと感じていました。

 ─先生も親しいキン肉マンの作者、ゆでたまごの嶋田先生聞いたのだが、当時の週刊少年ジャンプといえば、非常に競争が激しい。誰が一番を取るかという感じだったと思う。先生はどんな感じだったのか。

 僕にはそこまで1位を取りたいという感情はありませんでした。確かに、ジャンプは人気が落ちれば連載を打ち切られてしまう。だいたい人気投票の10位以内にいなければいけない。

 そういった状況でしたが、僕の場合は1位を取ることよりも、どうやって生き残るかを考えていました。あとは毎週の連載していく中で、スポーツ漫画なので物語は当然、いつもトップギアなのではなく山谷があります。だから、地味な回のときはあまり人気が取れないことは分かっています。その代わり、ゴールを決めるときやクライマックスを迎える回では人気を取りたいという考えでやっていました。

 ─当時、意識していた漫画家は。

 ゆでたまご先生は同世代なので、頑張っているなという感じで見ていました。

 ─メッシやネイマールらもキャプテン翼のファンだ。各国の有名選手も翼に影響を受けてサッカーにのめり込んだという話もよく聞く。先生はこの状況をどう感じているのか。

 僕自身は日本でもっとサッカーの人気が出てほしいという気持ちで描いていました。それが、日本よりもさらにサッカーの歴史が長いヨーロッパや南米の人にも認められ、僕自身のサッカーの見方や考え方というものが間違っていなかったのかなと思えたので、すごく自信になりました。

 ─有名選手からどんな言葉をかけられるのか。

 多くの選手は子どものころにキャプテン翼を見て「勇気をもらったとか」「モチベーションが上がった」とか話していただけることが多いですね。

 ─普段は自分がスターの有名選手たちにとって、先生の方がスターという状況はおもしろい。

 普段はサインをする側の選手たちが、僕のところにあいさつに来るのを見て、周りの人が一番ビックリしています。

 ─ここまで連載を続けた中でアイデアは枯れなかったのか。

 僕自身が漫画のアイデアを出しながら取り組んできましたが、それ自体が好きなことなんだろうと感じています。自然と次のストーリーはこんな展開だったら面白いんじゃないのかなとか。朝起きたら自然とエンピツを持ち、描きたいという意識になる。ある意味、朝起きたら歯磨きをしたり顔を洗ったりするのと同じように、僕にとっては絵を描くのが自然だったので続けられたと思います。

 ─ただ、ずっと描いていると辛いなと思うこともあると思うが。

 当然、「疲れたな」「辛いな」と思うことはあります。だからといって、「描くのをやめたい」と思ったことはなかったですね。漫画家をもうやめようかなと思ったことは一度もない。

 もちろん、漫画家人生ですべてが順調だったわけではありません。自分が思っていたほど人気が取れず、打ち切りになった作品もあったし、自分が描きたいと思っていたのに打ち切りになることもある。そうなったときはやはり落ち込みますし、自分が漫画家としてこの先やっていけるのだろかと不安になったこともあります。一方で、そこからまた這い上がっていかなければいけないとも思っていました。

 ─先生自身は面白いと思っているのに読者に受け入れられなかった場合、そこからどんな学びがあるのか。

 なぜ人気が出なかったのかを分析します。「こういう描き方が良くなかったのかな」「これはちょっとオーバー過ぎたから読者に受けなかったのだろう」などと、自分なりに結論を出して、次に進むようにしています。失敗したときほど、次はそうならないようにしようと経験を積み重ねていきました。

 ─積み重ねていくと何かが見えてくるのか。

 うーん、見えているのかな(笑)。でも、どこまで行っても人間は完璧ではないと思っているので、常に努力していかないと生き残っていけないとは思っています。

 ─先生のアイデアの源泉は。

 毎週のように行われているサッカーの試合を見るのも好きだし、実際にリアルなサッカーは何百年も続いているので、漫画もそれくらい続けていけるのかなとプラスに考えています。

 ─漫画家は、人の心を動かす仕事でもあると思う。先生が理念として大切にしていることは何か。

 やはり、自分がおもしろくなければダメだと思っています。描いた漫画をすぐ読み返して、自分がそれを楽しめるかどうかが一番の基準になっています。納得できなかったらやり直さなければいけません。

 ─描き上げた後に、実際にやり直すこともあるのか。

 はい。

 ─締切のタイトなジャンプ時代にも。

 ありました。

鉛筆描きの形式で、まだまだ続く〝翼〟の物語

©高橋陽一/集英社

 ─先生は現在63歳。今、社会では人生100年時代と言われており、定年後のセカンドキャリアに困っている人達もいる。夢の持てない大人達もいる。先生から何かアドバイスは。

 まあ、僕はここまで歳を取ると正直、やり残したことはほぼないとは思っています。それでも生きていくために何かしていかなければならない。僕は割と「今の高橋陽一という人物にできることは何か」と自分自身を俯瞰して見ています。若いころのように元気はないわけだから、その中でできる範囲内でやっていければ良いのではないでしょうか。

 ─先生はサッカーチームも立ち上げられた。どういう思いからなのか。

 僕自身はサッカー漫画を描きながら、サッカー中継も多く見ていますが、やはり自分が応援するチームがほしいという思いがありました。サッカーは地域密着のスポーツで、南米やヨーロッパなどのサッカーの盛んな地域でもやはりそうなっている。こうした背景もあって地元東京・葛飾区で「南葛SC」を立ち上げました。Jリーグまで昇格してくれたら本当に夢がある。

 ─最後に、新しくネームという形で連載を続けられるが、見どころなどを。

 これまでのように僕自身がペンでちゃんと背景も描いた漫画ではありませんが、翼のストーリーはまだまだ続いていくので、毎週アクセスしていただいて読んでいただけたらうれしいです。

 高橋陽一先生プロフィール 東京都葛飾区生まれ。1980年、『キャプテン翼』(集英社)でデビュー。1983年にはアニメ化。同作品は日本でのサッカー人気はもとより、世界のサッカーの普及・発展に大きく貢献し、数多くの海外サッカー選手たちへも影響を与えている。現在でも世界中で愛され続けるグローバルコンテンツとなっている。
 2024年4月にシリーズの漫画連載を終え、同年夏よりWEBサイト『キャプテン翼WORLD』に掲載の場を移してネーム形式で連載を継続している。
 2023年にはアニメ最新作『キャプテン翼シーズン2 ジュニアユース編』の放送が開始され、海外でも順次放送されている。
 葛飾区よりJリーグ入りを目指すサッカークラブ「南葛SC」のオーナー社長を務めるなど、漫画家以外の活動も積極的に行っている。