自らを「花人」と称するフラワーアーティストの赤井勝さん。最高級ブランドのイベント装花、仏ルーブル王宮内のパリ装飾美術館での装花など世界的な地位を確立。このほど〝写真の中に花を生ける〟美術館もオープンした。阪本晋治のインタビューを通じ、伝わってくるのは氏の謙虚さ。一つ一つの仕事に気づきを得ながら、今もなお進化を続けている。(佛崎一成)
─花の人と書いて「花人」のコンセプトは。
わかりやすく説明するのに少し前置きが必要だ。花屋の子に生まれ、21歳で独立したとき、ちょうどバブルが終わりかけている時期だった。
今でこそ、花を使ったディスプレイなどが当たり前になったが、昔の花屋の仕事は後付け的な存在だった。例えば、喫茶店から「空間がさみしいからちょっと花を置きたい」「隣客の顔が近いから植木で間仕切りしてほしい」と空間が物足りない時のパズルの最後のピースのようなものだった。
しかし、バブルが崩壊すると、空間やインテリアの重要性が高まった。この頃から文化レベルが一段、上がったように感じている。
こうした中、花屋でもなければディスプレイ屋でもない、でも何か空間をつくる、空間で表現するような依頼が入るようになった。当時はフラワーアーティストのような言葉もなかったから、僕は花屋の子に生まれ、花の仕事をしているから「花人」で行こうと。
─バブル崩壊を境に、なぜ文化レベルが上がったのか。
バブル時はお金があるから、花を10本飾るより「100本持ってこい」という時代だった。しかし、バブルが崩壊しても、その残像が残っているから、量よりも工夫の流れになったのだと思う。
─なるほど。ただ、空間を表現するにはやはりセンスが必要だと思う。そのセンスは何で身についたのか。
自分ではセンスがあるなんて思っていない。ただ、花屋に生まれ、花にふれられる環境で育ったのは大きいかもしれない。母子家庭で母親と二人暮らしだったが、生け花を習わせてくれた。
生け花はもともと、床の間や玄関がある家に対し、考えられたスタイル。しかし、僕は母親と狭い文化住宅に暮らしていた。自宅に床の間はなく、玄関らしい玄関もない。だから、生け花を持って帰り、四つ足のテレビの上に置いたり、下駄箱の上に置いたりしていた。すると、だんだん置く場所がなくなっていく。
─それで、どうしたのか。
いろいろと置き場所を考えるようになった。花屋の仕事を終え、帰宅した母親を驚かせるためにフライパンに生けたり、食器棚の中のコップに生けたり…。風呂の湯船の中に生ければ、ふたを開けたときに驚くんじゃないかとか。
─今で言うアレンジだ。
狭い家だからそうするしかなかったが、母親は叱らなかった。「へぇー、こんな風にやってんねんな」と感心してくれた。
─「花」が忙しい母親とのコミュニケーションツールになっていたわけだ。当時の工夫が今に生きているのか。
そうかもしれないが、一番は母親の口癖だ。「お花の仕事はいいんやで。みんなに喜んでもらえる。仕事としてお花を届けているのに、きれいなお花をありがとうねと言ってもらえる。すごく恵まれた仕事やよ」。親の仕事を誇らしく思えるこの言葉に、良い意味で導かれた。
─なるほど。子どものうちに感性を伸ばす経験ができていたのはすばらしい。先ほどの話に戻るが、空間を表現する花の仕事が一気に動き出したタイミングは。
先ほども説明したが、バブルの終わりかけ頃に「こんな依頼が来るのか」と感じたのが一つだ。
─ということは、先生が仕掛けたわけではない。
時代だと思う。今まで存在しなかった仕事が増えたり、存在していた仕事がなくなったり…。そんなタイミングだったのではないか。
─そこから海外でも有名になり、さまざまな賞も受賞されている。
無理難題もあったが、周囲の要望に一生懸命に取り組むうち、いつの間にかこうなっていた。だから最近では、花と人にご縁をいただき、両方に助けられているから「花人」なのかなと思っている。
─花で人がつながり、人がまた花でつながって輪が広がっている。一輪の花に共感してもらったり、100本、1000本の花で人の心に訴えかけたり…。そんなイメージで活動をされていると。
花はメッセージ性のあるコミュニケーションツールだ。花束をもらうと「わーっ、ありがとう」とテンションが上がるし、辛い出来事があっても花を見ればなぜか癒やされる。僕の年代より上の男性は「花のこと、なんもわからんねん」と言いながら、「嫁はんに買うのはちょっとかっこ悪いけどな、怒ってそうやから」と言いながら花を買ったり、「花なんてプロポーズの時ぐらいかな」と照れくさそうに言ったり…。キザ過ぎて贈るのを躊躇するほど花にはメッセージ性がある。
さらに言えば、人種や宗教、文化が違えど、花が訴えかけるメッセージは共通している。だから僕は〝花は世界の共通語〟だと思っている。
─先ほど美術館を見させていただいたが、モノクロで表現された花の写真がずらりと並んでいた。モノクロなのにまるで色が付いてるように想像をかき立てられた。
見ていただく人に、どうクエスチョンを持ってもらうか。僕は疑問を持つことが、 一番大事だと思っている。仕事を終えたとき、いつも「これでよかったのか」と疑問を持つ。「やはり、こうだったのかな」とか「次にやるときは絶対こう」とか。
─その姿勢が文化をアップデートしていくのか。
建築で説明するとわかりやすい。例えば、天井高が2.5㍍しか取れないマンション。通常より20㌢低いわけだから、入り口だけをわざと高さ2.2㍍ぐらいに抑えてダウンライトで演出すれば、そこから2.5の天井高に広がったとき、2.8㍍くらいの開放感を錯覚させることができる。
ほかにも、4階建てでエレベーターのないマンションの階段を心理的に疲れさせない方法がある。例えば、階段は80㌢幅でつくり、ターンする場所だけ1㍍に広げ、再び80㌢に狭める設計にすれば、上るときにリズムができて軽やかに駆け上がれる。
間口が狭く奥に長い〝うなぎの寝床〟と呼ばれる町家も参考になる。建物が奥に長い特徴を生かし、まず2段の階段を上らせフラットにする。そこには展示物を置き、そしてまた2段の階段をつくる。2段で40㌢だから、3回繰り返せば1㍍20㌢上がったことになる。2階まで上がるのに、いつの間にか半分上がらせたということだ。一気に12段上がるよりも精神的に2階へ上がりやすくなる。
─なるほど。確かに疑問が起点となり、文化が積み上がっている。
僕らは花を飾るとき、建物のオーナーや設計士と話せるわけではないので、意図を想像する。「ここに一つの窓があってライトを落としてるが、どういう意味があるのか」と考えながら取り組む。
─この美術館をオープンした意図は。
今から考えると恥ずかしいが、若いときから自分なりに上手にできた花の作品を、記念に写真に残していた。
そこから撮影の仕事も受けるようになり、つまずくことになる。花を生けて撮影するとイメージ通りに仕上がらないからだ。「なぜ思い通りに表現できないのか」という疑問が解決するまで、ものすごい時間を費やして、ようやく気づいた。
例えば、僕の目から見る花のピンク色と、レンズを通して撮影したピンク色は微妙に変わってしまうということだ。そこで「写真だと思い通りにならない」というこれまでの視点を「こう生けると、写真ではこういう色や表現になるのか」と受け入れることにした。つまり、写真をゴールに見据えて、花の生け方を変えたということだ。
これまでは最高の状態で生けた花を、写真に〝移す〟ことばかり考えていた。しかし、それは無理であることを受け入れ、写真に最高の状態で映るように、生け方を逆算すればうまくいくことがわかった。
─剣豪・宮本武蔵の「一枚の葉を見て木が見えず」「木を見て森が見えず」のように、立ち位置を変えてアプローチの仕方を考えることが大切と言うことにも通ずる。
僕は水が溜まるものであれば花瓶になると思っている。例えば、クリアファイルも角に水が溜まれば花瓶になる。そう考えると、そもそも花瓶の定義とは何かと一緒で、花を写真の中に生けようと考えた。
─その考えがこの美術館に反映されたわけだ。ここには生花がなく、写真に生けた花がずらりと並んでいる。お話を聞きながら、先生はいろんなものに感想を持たれているようだ。何事にも感想を持つことから問いが生まれ、その問いを解決することが文化レベルの向上に繋がる。
僕はそんな大層なことは考えておらず、たださまよい、迷っているだけ(笑)。
僕は生涯花屋だが、一つずつ仕事をいただきながら、また新しいことに気づかされ続けている。だから、花を極めるなんて大層なことはできないと思うから、一生懸命に取り組んでいくだけだ。
赤井勝さんプロフィル 1965年、大阪生まれ。花という素材を通して心を伝えていくことこそを自分の仕事と考え、自らを「花人(かじん)」と称する。また自身の飾る花を、華道でもフラワーデザインでもなく、あえて「装花(そうか)」と呼ぶ。「エンポリオ・アルマーニ」のイベント装花、ルーブル王宮内のパリ装飾芸術美術館で桜の枝約700本を飾ったり、ローマ教皇への謁見(えっけん)の際にブーケを献上したりするなど国内外で活躍。このほど堺市に、写真の中に装花した作品の美術館「Akai Masaru Art Museum」もオープンした。