「ジャンプ時代は漫画家同士、バチバチだった…」 32年ぶりテレビアニメ化のキン肉マン作者・嶋田先生にロングインタビュー

 1980年代に社会現象まで巻き起こした国民的マンガ「キン肉マン」。7月には、32年ぶりのアニメシリーズの最新作「『キン肉マン』完璧超人始祖編」のテレビ放送がはじまる。昨年、紙面にご登場いただいた作者・ゆでたまごの中井義則先生に続く第2弾。原作の嶋田隆司先生に、ファンの一人でもある阪本晋治が質問をぶつける。(佛崎一成)

「不遇の時代も中井君と二人三脚で乗り越えてきた」と話す嶋田先生

 ─18歳で週刊少年ジャンプでの連載を開始され、キン肉マンは社会現象にまでなった。しかし、絶頂期にあったにも関わらず、連載終了。その経緯は。
 連載6年目に腰の持病を悪化させてしまい、原作を書くのもつらい状況でした。ただ、デビューの時から「週刊少年ジャンプの連載は休んだらダメだ。休めばすぐにクビ」と当時の編集者に言われ続けてきました。
 なぜなら、当時はゲームなどの娯楽が少なく、子どもたちは漫画という娯楽を拠り所にしていた。本当に楽しみに待っていたんです。
 特にキン肉マンは人気があったので、なおさらでした。それに加えて、僕たちは並行して「闘将!!拉麵男」もやっていたから、他にそんな漫画家はいなかった。こうした事情もあって、最後は「休んでいいよ」と言ってもらえたんです。
 ―嶋田先生としては、精神も肉体も追い込んでいたということか。
 でも、アイデアだけはどんどんあふれ出ていたので泣く泣く休んだのが本音です。中井君にも本当に迷惑をかけてしまった。
 ─その後、持病が改善して復帰したときのジャンプの様子は…。
 「ドラゴンボール」が1位を取る時代に変わっていました。休載する前は僕たちが勝っていた。いつの間にか、天下一武道会だったり、戦闘力を数値化したりとキン肉マンの要素が入っていたり…。「北斗の拳」もそうですが、キン肉マンは狙い撃ちにされました。そうして勝てなくなった。
 ─それでキン肉マンの筆を置くことになった。
 ずっと「1位でないと漫画家じゃない」と言われ続けたから、中井君と相談して「やめようか」と。代わりに「ゆうれい小僧がやってきた!」の連載をスタートしました。
 でも、少しずつ人気がなくなっていき、1年も経たないうちに「やめてください」と言われてしまったんです。

©ゆでたまご


 ―「キン肉マン」も「ゆうれい小僧─」もそうだが、嶋田先生の原作のアイデアはどこから来るのか。
 小学3年生のころには自宅にたくさんの漫画がある環境で育ちました。特に僕は漫画を研究するのが好きで、印刷のにおいを嗅ぐだけで、どの漫画雑誌か分かるくらいでした。その状況を18歳まで続けていたので、蓄積が大きかったのだと思います。
 ―漫画を研究? 具体的には。
 僕は梶原一騎先生が好きで「あしたのジョー」「巨人の星」にはものすごく影響を受けました。
 例えば、「キン肉バスター」が破られると「キン肉ドライバー」「マッスルスパーク」と技を進化させられたのは、巨人の星で大リーグボールが2号、3号と進化させていたアイデアからヒントを得ました。ほかにも「ケッケケケ」などの奇妙な笑い方はタイガーマスクで梶原先生が最初にやっていました。
 ―ゆでたまごの先生方が発明した漫画のテクニックもありますよね。
 はい。例えば、漫画ではラストのことを〝引き〟と言いますが、昔の少年漫画の〝引き〟は「うっ、なんだこれは!」とか「ゲッ、これは」とか答えを見せないケースが多かったんです。おそらく描いたときは、作者も答えを考えていないのだと思います。
 僕はこの手法に常々「何か違うな」と思っていました。だから僕たちは〝引き〟で答えを見せるようにしたんです。そのうちライバルたちも、答えを見せる〝引き〟を真似るようになりました。
 ―昔は漫画家同士も編集者同士も仲が悪かったと聞く。
 本当に当時はバチバチでしたね。でも、今は戦友のような感覚でいます。キャプテン翼の高橋陽一君の連載からの引退もショックでしたし…。
 ―年上の漫画家の中で、10代の少年二人が1位を取り続けられたのはなぜか。
 おそらく僕たちは読者とも年齢が近かったので、読者の考えていることが手に取るようにわかったからだと思うんです。でも、他の先生は24、25歳の人が多く、流行りのCMやドラマ、お笑いなどが分かっていないと感じていました。「これすればヒットする」というのが僕たちには見えていたんです。

「ジャンプ時代は漫画家同士バチバチだった」と話す嶋田先生


 ―1987年の連載終了から、再び98年に「キン肉マンⅡ世」として戻ってくるまでのストーリーを聞きたい。
 昔、手塚治虫先生に「漫画を描く時は武器を3つ持て。いろんなジャンルを3つ書けて一流だ」と言われたことがあります。それでキン肉マンが終了した後は、妖怪漫画やロボット漫画を描いてみた。赤塚不二夫先生や手塚先生の時代は、いろんなジャンルを一人でやっていましたから。
 でも、その後の漫画と言えば、自衛隊や金融屋など専門的な方向へ移っていった。実は「ドカベン」の水島新司先生もいろんな漫画を描かれていたけれど、メインはやはり野球漫画だったんです。僕らはそこに気が付かなかった。
 だから、ロボット漫画の「SCRAP三太夫」が低迷してして終わったときも、ドラゴンボールはずっと1位。鳥山明さんに絶対勝てない状況が続いたんです。
 ―生活は大丈夫だったのか。
 ジャンプにいると集英社から1年間の契約金がもらえるので、漫画を描かなくても十分に生活ができました。でも、ファンからすれば「なんやコイツら。漫画を全然、描いてないな」と言われてしまう。
 それで中井君が突然、「ジャンプをやめて他の雑誌で描こう」と言い出すんです。
 僕は独身だったのでいいけれど、中井君は家族を養っていたので「大丈夫なん?」と聞き返しました。それでも中井君は「読者からゆでたまごという漫画家を忘れられるようではダメだから、他の雑誌で描こう」って。
 ―そのような判断は嶋田先生がされている印象を持っていたが。
 意外と大胆なんですよ、中井君は(笑)。
 フリーになると多くの雑誌社が声をかけてきました。ジャンプでヒット作を出してやめる漫画家はほとんどいなかったので。
 ―まるでメジャーリーグの大谷翔平選手の移籍のような、大物漫画家の移籍だ。
 数あるオファーの中から、講談社の月刊デラックスボンボン、エニックスの月刊コミックガンガンの2誌で連載をはじめました。しかし、全然人気が出ない。雑誌社からすればメジャーの4番バッターとエースを獲得したのに不発、という感覚だったと思います。
 角川書店の月刊少年エースでやった料理漫画の「グルマンくん」もすぐに終了してしまい、10年間はほぼヒットのない時代が続きました。
 ―二人の仲は大丈夫だったのか。
 もちろん、二人とも自分のやり方を通そうとして徐々に仲も悪くなりました。ただ、連載がすべてなくなった時、中井君と約束したのは「週に1回だけご飯を食べに行き、新しい漫画のアイデア会議をやる」ことでした。
 そんなある日、角川の編集者から「キン肉マンの読み切りをやってほしい」と声がかかったんです。それで久しぶりに少年エースに「キン肉マン」の読み切りを出した。するとめちゃくちゃ売れて、コミックスも増刷に次ぐ増刷だったんです。読者は「キン肉マン」を待ってくれていたんだと知り、涙が出るほど嬉しかった。先ほど話したとおり、水島先生に野球漫画を描かせたら誰にも負けないように、僕たちはプロレス格闘技漫画で行こうと決めたんです。
 ―その後、週刊プレイボーイでキン肉マンの連載が始まり、今夏からはアニメ放送もスタートする。そうした中で、現在はリアリティーを追求し過ぎて本当に良い漫画なのかと疑問を感じる部分がある。嶋田先生は何を大切にしているのか。
 確かにリアリティーを追求しすぎて嫌な漫画も多いと感じます。僕たちは少年漫画家としてスタートしたので、いつも目線は10歳に向けて書いているつもりです。
 過去にキン肉マンでアメリカ遠征編をやったときに全く人気がなかった。理由は海外旅行に行く子どもが当時は少なかったからです。それなのにアメリカで戦うというシナリオを中心にやってしまった。やはり、キン肉マンのテーマは誰かのために戦うことなんです。アメリカ遠征編を通じて学んだことです。
 ―中井先生の絵も筋肉の描き方などが進化しています。
 不遇な時代には、僕も格闘技を習いに行っていましたが、中井君は中井君で美術解剖学の教室に通い、絵を勉強するなどしていました。その努力が「キン肉マンⅡ世」で結実したと思います。
 特に今のキン肉マンは中井君の絵に助けられている部分が大きい。格闘技の技って、実はそんなにないんです。キン肉マン辞典の中で1400の技を作りましたが、それ以上は出て来なくて。
 でも、僕が原作で〝バックドロップ〟と書くと、中井君がこれまでと違う〝バックドロップ〟を描いてくる。だから、すごく助けられている。

©ゆでたまご


 ―昨年、中井先生にお話を聞いた時、相棒の嶋田先生にほめられるとうれしいとおっしゃっていた。ジャンプ黄金時代に1位を取り、苦しい時も二人三脚で乗り越えて来られた。嶋田先生にとっての中井先生とは。
 キン肉マンにとって、なくてはならない存在です。小学生のときに一切漫画を読んだことがなく、野球選手になりたがっていた中井君をこの世界に引きずり込んだのは僕ですし。仕事のない不遇な時代も中井君の家で奥さんに食事を作ってもらいながら仕事をしていた。だから、中井君には、まだまだ良い思いをしてもらいたい。
 キン肉マン2世をやった時も、45周年の時もピークだと思ったけれど、まだまだピークはあると思っています。次のピークも中井君と一緒に迎えたい。
 ―嶋田先生は現在63歳で、キン肉マンで育った世代もセカンドキャリアの時期を迎えている。いつまでも輝き続けられる秘訣は。
 僕もふと「セカンドキャリアの年なんやな」と思うこともありますが、自分ではまだ50歳くらいの気持ちでやっています。プロレスの漫画では絶対誰にも負けないという自信もある。
 連載も僕と中井君が元気なうちは続けられると思いますから、キン肉マンを見て幼少期に戻ったような気持ちになってほしいですね。
 ―最後に。アニメの見どころを話せる範囲で。
 週プレでの連載は、東日本大震災の年に始まったわけですが、被災者に元気を与えるような漫画にしたかった。「もし、この世に超人がいたら助けてくれたんじゃないかな」というのがすごくあった。
 「正義超人」「完璧超人(パーフェクト)」「悪魔超人」が手を握り合って。それぞれの正義はあるが、どれも正しい。その中で、キン肉マンは争わないで分かり合おうという精神がすごくある。
 昔と違って、善悪だけでは片付けられない。だから、今度のアニメは悪魔超人を好きな人もいるだろうし、完璧超人(パーフェクト)が好きな人もいる。正義超人が好きな人も多い。
 とにかく超人がいっぱい出てくるので、そこを楽しんでほしい。キン肉マンは狂言回しみたいな存在で、ほかの超人の方が活躍しているくらいの内容になると思う。一人一人の超人にはちゃんと背景があるので、将来的には彼らのスピンオフも描きたい。

「超人がいっぱい出てくるので、そこを楽しんでほしい」とアニメの見どころを話す嶋田先生

ゆでたまごプロフィール キン肉マンの作者・ゆでたまご。原作は嶋田隆司先生が担当し、作画を中井義則先生が担当する。2人は1971年に大阪市立住之江小学校で出会い、78年に「キン肉マン」で第9回赤塚賞準入選。79年に10代で週刊少年ジャンプで連載を開始し、87年まで連載やアニメ、映画、グッズゲームなどマルチメディア展開が行われ、社会現象にまで発展。特にキャラクターをかたどった「キンケシ」は当時の子どもたちの間で大流行する。2011年から週プレNEWSでキン肉マンが24年ぶりに連載開始し、現在も連載中。7月には新作テレビアニメ「『キン肉マン』完璧超人始祖編」がCBC・TBS系列で日曜23時30分から放送される。