【アドベンチャーワールド・山本雅史社長】パーパス経営で社員・ゲスト・社会のSmileつくる 

 家族連れで、友人同士で、恋人と一緒に…。関西人にとって誰もが思い出深い場所であろうアドベンチャーワールド(和歌山・白浜)。開園から45年が経ち、幾多の危機を乗り越えながら、時代とともに進化を遂げてきた。テーマパークにとっては休園を余儀なくされ、存在意義を問われたコロナ禍。あれから3年が経ち、現在のパーク運営はどのような状況なのか。8年前からパークを率いるアワーズの山本雅史社長に阪本晋治が迫る。(佛崎一成)

「私たちには企業理念しかない」と話す山本社長

 ―開園から45年。これまでのパーク運営を振り返ると。

 常に順調ではなかった。いい時期、悪い時期が交互にやって来た。開園人気の反動で急降下した後、バブル期にかけて再浮上。しかし、バブルの崩壊とともに来園者数が激減。そこから徐々に盛り返して2019年には過去最高売上となったが、新型コロナで3回目の苦しい時期を迎えた。

 バブル崩壊後の学びは多かった。バブル時代は団体旅行が中心で、企業が大型バスで白浜にやって来て宴会して一泊し、翌日はパークで遊ぶという流れがあった。ところが、核家族化が進み、個人旅行へと切り替わるタイミングにうまく移行できなかった。

―それはなぜか。

 当時は集客目的で大型イベントを実施していた。例えば、エリマキトカゲやウーパールーパーなどの話題の動物を招いたり、中国雑技団のショーなどを開催したりしてパークに人を呼んだ。しかし、観光が団体から個人に切り替わり、そのやり方は通用しなくなっていた。このため、父が運営していた時代に「一人一人のお客様を大事にし、私たちにできる方法でお客様の笑顔を作る」という方針に切り替えた。

 ―具体的には。

 例えば、それまでサファリエリアはケニア号という列車型のバスでしか回れなかったが、みんなでアイデアを出し合い、自転車で回るツアーを作ったり…。

 こうした取り組みが実り、コロナ前までの約15年は平均して100万人の年間来場者数を確保。デフレ下の日本経済でもパークは順調だった。

サファリキャラバン=アドベンチャーワールド提供

 ―そこへコロナ禍が訪れた。

 2カ月間の休園を余儀なくされ、タイミング的に春休みとGWが飛んでしまった。私たちは普通の事業と異なり、約120種、約1600頭(取材日1月23日現在)の動物たちの飼育管理が必要だから、パークは営業していなくてもスタッフは出勤しなくてはならない。しかし、政府の雇用調整助成金は、出勤するともらえない。この状況が続けば…と不安もあった。

 ただ、過去2回の苦しい時期の経験から、それを乗り越えられる人財育成にコロナ前から取り組んできた。

企業理念は縛られるものではない。逆に可能性を広げてくれる

 ―それが山本社長が掲げられるパーパス(企業理念)経営か。

 その通りだ。私たちの企業理念は「こころでときを創るSmileカンパニー」。この共通の目的を全社員が理解し、自分自身に何ができるかを考え、作り出していく経営だ。

 ―具体的な取り組みは。

 理念自体は新しいものではなく、これまで私たちが大切にしてきたことを言語化しただけ。この理念に全社員に向き合って考えてほしいと思い、代表就任後すぐに新社屋を作ることにした。

 ―新社屋と理念経営がどう結びつくのか。

 80万平方㍍の広大なパーク内には、部署ごとにバラバラで事務所が点在していた。このため、部署ごとに文化も異なる。スタッフ同士も顔は知っているが、話したことはないという状態だった。

 ―なるほど。一体感が取れない課題があった。

 だから、統合した社屋が必要だった。1日の始まりの場所として集まり、パーク内で仕事を終えれば戻ってくる場所を作りたかった。社屋の名前は「麗しの我が家」。昼間は人が少ないが、夕方になるとスタッフが集まってきてワイワイガヤガヤとやっている。

 ―新社屋を建てるプロセスも大事にしたと聞く。

 企業理念を浸透させるには、自分ごととして捉えてもらうことが大事。このため、新社屋を作るプロジェクトチームを組織し、3つのことをお願いした。

 一つは予算で、もう一つは納期、そして三つ目は「こころでときを創るSmileカンパニー」という企業理念を具現化したオフィスにするミッションだ。

 アンケートなどで全社員を巻き込みながら出来上がった新社屋には、心を大事にしたアイデアがあったり、人を育てるエリアがあったり…。1階には健康をつくり出す社員食堂もある。

ビッグオーシャンを舞台に、バンドウイルカ、カマイルカ、ハナゴンドウ、オキゴンドウとトレーナーが共演する大迫力のマリンライブ「Smiles」=アドベンチャーワールド提供

 ―パーパス経営は現場にどんな変化をもたらしたのか。

 これまでやってこなかった分野にも全員が自発的に踏み出すようになってきた。

 例えば、社員発案のドリーム・デイ・アット・ザ・ズーは、障害のある子どもをパークに招待し、笑顔を作るプロジェクトで毎年11月にやっている。1000組約4000人のご家族を無料招待し、当初は私たちだけでやっていたが、地域のボランティアやさまざまな企業も関わるようになり、社会的にも大きなうねりになった。

 他にも動物のロボットを作る社内サークルでは、来園できない福祉施設の子どもたちを訪ね、リアルなペンギンロボットを動かして笑顔を作っている。

 これまではパーク内で何かをするという価値観しかなかったが、企業理念を根に考えると、パーク内外で活躍できる自分たちの可能性にも気づける。

 ―なるほど。企業理念と聞くと縛られているようにみえるが、逆にそうではないと。パークから飛び出すこともできたわけだ。

 多くの企業には経営理念があるが、私たちには企業理念しかない。経営理念は経営者が交代すれば変わるが、企業理念は企業が存続する限り変わらない。100年も200年も存続する。私の勝手な解釈なので「違うよ」と言われるかもしれないが、私はそう信じている(笑)

 ―パーパス経営による人材育成がコロナ禍の苦しい時期にも役立ったか。

 来園できないのにどうやって価値を創れば良いかを考え、みんなで24時間オンラインライブに取り組んだ。24時間の配信となると各部署で企画を考え、全社員が関われる。 結果、多くの人に視聴してもらうことができ、休園していても自分たちに存在価値があることに気づけた。

 いろんな人に支えられて、私たちの事業はあることを再確認する良い機会になった。

 ―コロナ禍が明け、海外からのインバウンドも8割くらいに戻っていると聞く。現在の状況はどうか。

 アドベンチャーワールドは、もともと99%が国内のゲストなので、実は回復が早かった。今期は消費が減退しているが、前期は一気に100万人を超えた。

 ―最後に今後の展開について聞きたい。

 パークが使われていない時間帯を有効活用し、価値化していきたい。

 例えば、夜はパークの営業時間外だが、夜行性の動物たちがどのような活動をしているかを学べるようにしたり、サファリエリアで焚き火をしながら自分と向き合い自己探求したり…。さまざまなプログラムを社員が考えてくれている。

 なかでも面白いのがホースコーチングプログラム。馬は共感性の高い動物で、自分の内面を映し出す「ミラーリング」という特性を持つ。そこから人間関係やリーダーシップを学ぶというものだ。

 あとはパンダやイルカの前でのフォトウエディングができるなどブライダル事業にも力を入れる。結婚する時はみんな笑顔だから、そこに関わりたい。

 我々のリソースを最大限に使い、我々にしかできないことに取り組んでいく。

 現在は世界的にも動物園や水族館の存在意義が問われる時代になった。だからこそ、エンターテインメントだけではなく、そこにエデュケーション(教育)を掛け合わせ、楽しみながら成長する「エデュテイメントパーク」を目指す。アドベンチャーワールドに来たら、自己肯定感が高まったり、命を考えるきっかけになったり、人生のターニングポイントになる場所にしていきたい。

山本社長(左)と阪本晋治

アドベンチャーワールド概要

 1978年に開園した和歌山県西牟婁郡白浜町にある動物園と水族館、遊園地が一体になったテーマパーク。国内で1970年代後半から80年代にかけて、大分のアフリカンサファリ(76年)や山口県の秋吉台サファリランド(77年)などの開園が相次ぐ中、和歌山県にもサファリ型動物園をと「南紀白浜ワールドサファリ」の開発が始まった。
 開園当時は別のオーナーが経営。山本社長の祖父が創業した会社が建設を請け負った関係から事業を継承。3代目となる山本社長の代からはパーパス経営に取り組み、その一環でパンダのエサとなる竹の幹を廃棄せずに竹あかりや商品に再利用するなど100%循環型パークを目指すなど、事業の新たな可能性を切り拓いている。

株式会社アワーズ 本社/大阪府松原市丹南3-2-15 電話072(335)7100