上方落語家、桂かい枝(55)が芸歴30周年の記念独演会を所属の吉本興業の本拠地・なんばグランド花月(NGK)で開催。約900席ある1、2階席全てが埋まった高座からの景色に思わず涙したかい枝は「私たち吉本落語のメンバーがここ(NGK)での本公演出番は月1、2回しかない。上方落語家は松竹(芸能)なら角座、米朝事務所はサンケイホール(ブリーゼ)と本拠地がある。本公演で常に吉本落語のメンバーが出演できるように我々の年代が頑張らないと」と決意を口にした。
独演会には、かい枝がこの日口演した大ネタ「芝浜」を教えた松竹所属の先輩落語家・笑福亭鶴瓶(73)をはじめ、若い頃にかい枝と共同で東京にアパートを借り首都圏で一緒に活動していた文楽人形遣い・吉田玉翔(48)、入門前から〝落語大好き娘〟で当時若手だったかい枝とは古くから顔見知りで後輩の桂二葉(38)と縁のあるメンバーが結集。
玉翔らの三番叟でめでたい幕開け、前半は三者三様に軽い噺でつなぎ中入り。後半はかい枝が「芝浜」をたっぷり45分語り、広い会場の特性を生かしたライトの使い方や終盤の降雪など新たな見せ場を工夫した。
終演後かい枝は「『芝浜』は鶴瓶さんに稽古を付けてもらい、とにかく音源や映像が残っている東西の過去現在の諸先輩の口演を見られるだけ見た。そして得た結論は〝全部内容が異なる〟という事。つまり有名な大作なのですが定型がない。それで随分迷って、落語作家の小佐田定雄先生に相談に乗ってもらいました。今日もギリギリまでトリのネタを〝やっぱり三十石にしていいですか?とスタッフに聞こうか?〟と思ったぐらい。鶴瓶さんの芝浜とも異なる内容で途中まで必死にせりふをつなぎ、最後の下げでおじぎをして満員のお客さまから万雷の拍手を頂いた瞬間、ホッとして思わず涙が…」と感無量の表情。
新年1月11日にかい枝と共に「新春二人会」(天満天神繁昌亭)を予定していた桂雀々が持病の糖尿病が悪化し11月20日に肝不全で64歳の若さで死去。「一緒にハルカス寄席をやってきたお仲間でしたから大変なショック。僕自身も健康に気を付けてこれからも頑張ります。当日は追善公演とさせて頂きます」と言葉少な。
30周年を振り返り「大学で落語研究会員でもなかった僕を師匠(五代目文枝)が弟子にして頂いたおかげ。今日は師匠の出囃子を使わせて頂き感激でした。このNGKで漫才の方の間に入って出演する本公演と違い、落語だけのために舞台設備全てを用意して頂いた。客席にはさまざまなご縁のある方のお顔を多くお見受けし、いろいろな事を走馬灯のように思い出し、私が一番感動しました」と言葉を込めた。
吉本興業所属の上方落語家は、戦前に初代桂春団治(1934年、57歳で死去)が人気を博し、戦後は三代目林家染丸(68年、62歳で死去)と五代目桂文枝(2005年、74歳で死去)が上方落語の低迷期を地道に支え数多くの弟子を育成。やがて笑福亭仁鶴(21年、84歳で死去)と後に六代桂文枝となる三枝(81)が大人気となり、今日の礎を築いた。かい枝は同期の桂吉弥(53)や二代目桂春蝶(51)、二代目林家菊丸(50)らと共に〝華の94年組〟と呼ばれ、次世代を担うリーダー候補として期待されている。
「我々吉本所属の落語家はNGKを満員にできるように頑張らないといけない。ここは笑いの殿堂。かつて漫才が苦しい時期に落語が支えた時期もあった。毎日の本公演に、我々世代の所属落語家が出演してお客さんを呼べるように皆で切磋琢磨していきたい」と決意を述べた。
(畑山 博史)