〝絶滅危惧種〟のムード歌謡を甦えらせ、レコード会社移籍の崖っぷちから快進撃のディオ「はやぶさ」

 男性2人のディオ「はやぶさ」が一時〝絶滅危惧種〟と言われたムード歌謡を甦らせ、レコード会社移籍の崖っぷちから息を吹き返した。日本クラウン移籍第2弾「赤坂レニー・ナイト」は前作「外苑西通り」と同じく、ムード歌謡コーラスグループで一世風靡した〝鶴岡雅義と東京ロマンチカ〟のリーダー鶴岡雅義(90)の作曲。「昭和を代表する歌謡ジャンルに新しい息吹を」と張り切っている。

大阪発流行歌ライブで並んで歌うはやぶさの2人

 2年前に10年所属したレコード会社を辞めた。年長の大滝ヒカル(37)はトリオ時代を含め〝最大の危機〟と受け止め「正直〝終わったかな?〟と思った」と振り返る。演歌・歌謡曲の専門会社・日本クラウンから声が掛かり移籍第1弾はヒカルのソロで一昨年秋にゴチゴチの演歌「あの日の花吹雪」を出し、一気にオリコン週間演歌・歌謡シングルランキング1位に。続いて昨春のムード歌謡「外苑西通り」を経て、昨夏に今度は相棒の駿河ヤマト(30)がソロでムード歌謡「ズルい男に乾杯!!」を出し、再びシングルランキング1位に並んだ。「はやぶさ」名義で過去に「ロマンチック東京」(14年)など1位を獲得した楽曲が数点あり、「それぞれで1位を頂き、コンビでも1位。〝これで三冠王だ!〟って回りの方に冷やかされています」とヒカルは照れた。

大阪発流行歌ライブ終了後、他の出演者と共に記念写真に収まるはやぶさ(左から2,3人目)

 「外苑~」と「赤坂~」は鶴岡のレキント・ギター(小型のクラシック・ギター)に憧れていたヤマトが鶴岡に「どこで買えますか?」と恐る恐る質問したのがきっかけ。鶴岡から「僕の使っていない分があるから」と、思いかけずギター1丁を提供され大感激。レッスンも併せて受けるうちに楽曲提供まで話しは一気に進んだ。曲調はロマンチカをほうふつとさせる本格派ムード歌謡。ヤマトには〝ネコにカツ節〟状態だったが、ド演歌派のヒカルには難易度の高い曲。もともと器用なヒカルは意を決っしてバックコーラス役に徹し、たった2人でムード歌謡コーラスの味わいを見事に醸し出して快進撃を演出した。

大阪発流行歌ライブでCDを手売りし、ファンと交歓するはやぶさの2人

 夏にはアルバム「三つ巴」を出す。デュオとヒカル、ヤマトがそれぞれ三者三様の曲を集めた事に由来するタイトル。ヤマトが「僕は当分、好きなムード歌謡で」と一直線なのに対し、ヒカルは「僕ははやぶさとして、ヤマトを生かす事に当面全力を。独りの時は演歌で」と二刀流を宣言した。

 元々ソロ歌手希望の3人が集まってスタートしたのが、11年秋。18年春に今の2人が残り高音のヒカル、低音のヤマトでアニメソングも含めさまざまに試行錯誤をしながら一歩ずつ成長してきた。

新緑の大阪で私服でくつろぐはやぶさの2人

 ムード歌謡は、かつてロマンチカをはじめ、黒沢明とロス・プリモス、内山田洋とクール・ファイブなどが昭和40年代に全盛期を迎え、今では男性4人人気グループ純烈へと受け継がれている。ヤマトは「新曲は、雨の赤坂で別れた彼氏を思いながら涙する女性の歌。ムード歌謡好きの皆さんにぜひ口ずさんでほしい」と話している。

(畑山博史)