【外から見た日本】稼ぎに見合ったアウトプットを産み出していますか?

Spyce Media LLC 代表 岡野 健将


 先日、イーロンマスクが「猛烈に働くか会社を辞めるかどちらかを選べ」というキツい選択を迫りました。そこでサラリーマンが多い日本であえてこれを書いてみます。

 一般的にお金を稼ぐ場合、時給、日給、月給など時間がベースになって、これだけ働いたからこの金額を受け取る権利がある、という考えがベースになっていると思います。しかし、これは受け取る側の労働者から見たら至極当たり前の理論でも、雇う側から見たら大いに疑問のある考え方になります。

 最初に仕事を得る際、企業が人員を募集し希望者がそれに応募します。このとき、「こういう条件で仕事をして欲しい。それに対して◯◯円払う」という企業側からの条件に対して、応募者は「その条件で構わないので、雇ってください」と返事をして雇われる事になります。

 この時の条件に時間数や日数が記載されていても、それはその時間に仕事をしてさえいれば良い、と言う事ではなく、この時間の中で企業が期待するアウトプット(付加価値)を生産して初めて給料に見合う仕事をしたと言う事になるのです。

 人によって向き不向きや得意不得意があり、仕事のスピードや丁寧さなど、さまざまな違いが出ます。その結果、同じ時間で同じ仕事をしたとしても、そのアウトプットには差が出ます。製造業だと明確に個数などの量でその差は解りますが、そうでない業務でも差は必ずあります。

 ただ、差があっても全員が企業の求めるアウトプットのラインを越える生産性を維持していれば問題ありませんが、実際はそうでない事があります。

 給料に見合うだけのアウトプットを生産していなくても、規定の時間だけ働いたのだから給料を受け取る権利がある、と労働者が主張しても、企業側からしたら、それは違うのです。契約時に提示した条件を満たすだけのアウトプットを生産出来なければ、給料は減給されるべきだし、諸々の待遇も改変すべきです。

 しかし、日本の労働法はこの時間を基本に設定されているので、無能で給料に見合う生産性の無い労働者でも時間ベースで保証される給料を受け取れてしまうのです。こういう部分の生産性の低さが日本全体の生産性の足を引っ張ってしまい、本来もっともらえるはずの人まで安く賃金を抑えられてしまっている可能性がかなりあると思います。

 また、労働時間が長いとブラック企業とレッテルを張ってバッシングしたりする風潮もありますが、その企業で働きたいと履歴書を持って応募してきたのは労働者の側ですから、業務内容が納得出来なければ離職すればいいだけの事で、労働条件や環境に納得して働いている人だけが残っていれば、その企業をブラック企業と呼ぶ事もないはずです。これもメリハリや柔軟性がなく、簡単に解雇が出来ない日本の硬直した労働環境の弊害です。

 最低時給に関しても、生活のためにはこれだけ必要、ということで計算されていますが、時給は市場における労働力の需要と供給の中で自然に決められるべきものです。先の道理と同じで、最低時給にすら見合わないアウトプットしか産み出せない労働者でもその時給を払わなければならないのは雇用者からしてみたらとんでもない事です。実際に、この人は間違いなく最低時給に見合うアウトプットを産み出していない、と思う人が労働市場にたくさんいるのは厳然たる事実です。こういう人たちが労働市場にいる限り、時給や給料は上がっていかないでしょう。

 仕事のできる人たち、しかるべきポジションにいる人たちは、往々にして時間を基準に仕事をしていません。任された責任を全うするために必死に働き、求められる結果を出していきます。それが出来ないときは仕事を失う事もあります。アメリカなどは特にその傾向を強く感じますが、アジアやその他の地域でも私が出会った人たちの多くは、できる人であればあるほど長時間労働や週末出社などいとわず働いています。

 起業した人たちにいたっては24時間寝る間も惜しんで働きますが、それを疑問視する人はいません。しかし、日本ではこういう人たちにも労働基準法を適用して労働時間の規制をかけているので、真面目に法律に従えば、世界に通じる優れた企業やビジネスモデル、製品などが出にくくなるのは当たり前です。

 そんな中でも、組織力や創意工夫でこれまで世界を相手に戦ってきた日本のビジネスモデルや雇用形態は、海外の企業が取り入れたり、大学で学ぶべきモデルとして教科書に掲載されたりしてきたのは事実です。私が受けた授業でもジャストインタイムや終身雇用について時間を割いて教えていました。今後、その優れた仕組みの中に、グローバル化したビジネスのやり方をうまく融合出来れば最高なのですが。

 機会の平等は担保されるべきですが、評価の対象は結果の中身であるべきです。日本お得意の「みんなで沈む」から「できる人から上がっていく」に切り替えていけるかどうかが、今後の日本の浮沈を分けるだろうと思いますが、皆さんはどう思いますか?


【プロフィル】 State University of New York @Binghamton卒業。経営学専攻。ニューヨーク市でメディア業界に就職。その後現地にて起業。「世界まるみえ」や「情熱大陸」、「ブロードキャスター」、「全米オープンテニス中継」などの番組製作に携わる。帰国後、Discovery ChannelやCNA等のアジアの放送局と番組製作。経産省や大阪市等でセミナー講師を担当。文化庁や観光庁のクールジャパン系プロジェクトでもプロデューサーとして活動。