【外から見たニッポン】ペンシルベニア州は米国の縮図?

 9月10日に行われた米大統領討論会は、まるで子どものけんかのようなお粗末な結果に終わってしまいました。そして敗者は間違いなく投票権を持つ国民。そのうえトランプ候補への2度目となる暗殺未遂事件まで起きてしまいました。大統領選は一体どうなってしまうのでしょうか?                (Spyce Media LLC代表 ・ 岡野健将)

米ペンシルベニア州の南西部に位置する都市ピッツバーグ

 そんな救いようのない状況の中、大統領選の結果に大きな影響を与えると思われる激戦州の一つペンシルベニアは新たな火種を抱えています。

 同州は鉄鋼業で栄えたピッツバーグ市など州全体が製造業で栄えてきました。しかし、現在の米国の経済状況の中で、一番しわ寄せを受けている労働者階級が多い州でもあります。

 両候補とも「中産階級の支援を打ち出している」ことと、大統領選の度に民主、共和どちらが勝つかわからない激戦州のため、ペンシルベニアを取れば勝利に大きく近づける重要な州なのです。

 そこに火種を提供したのが日本製鉄によるUSスチールの買収提案です。ペンシルベニア州はUSスチールの発祥の地で本社があります。経営不振にあった同社は昨年8月から身売り先を探していて、複数の候補の中から日本製鉄を選択。昨年12月に経営陣が賛成し、今年4月には株主総会も賛成多数で可決。企業間では買収は成立しています。

 日本製鐵は新規投資によって老朽化した設備を最新のモノにし、雇用の確保も約束しています。会社が復活すれば地元へ落ちる税金も増えます。経済的に見れば、この買収は関係者全員がウィンウィンになれる内容なのです。

 ところが、買収のニュースが広がると反対の声が上がりました。全米鉄鋼労働組合(USW)の代表は「USスチールは米製造業のシンボルで富の象徴。米国の宝だから外国企業の傘下に入るなどありえない」と強烈に反対の意思を表明したのです。

 このことと大統領選に何の関係があるか。

 先ほど両候補とも「中産階級の支援を打ち出している」と書きましたが、USWの組合員はUSスチールも含めた鉄鋼業に関わる労働者で、大部分が落ちぶれた元中産階級なのです。その数は全米で85万人。家族も含めると100万票を超える大票田になることから、この団体から支持を受けられるかどうかは、ペンシルベニア州での勝敗に大きな影響を与えるのです。

 その中でUSWの代表が買収反対と言ったわけです。これに対して買収賛成を表明する理由が両候補にあるでしょうか?

 現職のバイデン大統領、ハリス副大統領兼民主党次期大統領候補、そしてトランプ共和党次期大統領候補の全てが買収反対の立場を表明しているのは、当然の選択でしょう。

 ところが、この話はこれで終わらないのです。実はUSWは各州に支部があり、渦中のペンシルベニア州の支部は買収に賛成なのです。賛成というより是が非でも買収を成功させてほしいと期待しているほどなのです。

 経営不振のUSスチールは、もし買収が成立しなければ州内の工場を閉鎖し、社員を解雇せざるをえなくなります。また、日本製鉄の買収提案額は約2兆円。次点候補のクリフス社の提案額は1兆円。もし競争力に劣るクリフス社の提案を受け入れれば、敗者同士の買収合併になり、人員整理などの経営縮小は免れられません。

 このため、同支部の組合員にとっては、自分たちの仕事と生活を守るために日本製鉄に買収してもらうことが絶対に必要なのです。

 ところが、USWの代表はこうした地元の声を一切聞かず、感情論で反対を表明し、両大統領候補は100万を超える票ほしさに買収反対を唱える結果になっています。

 最終的に外国企業による買収の許可を出すかどうかを判断する対米外国投資委員会は、両候補が反対する案件に承認を出すことが出来るのでしょうか。両候補の態度が委員会の判断に影響する可能性は否定できません。

 企業買収は企業が短期間に成長したり競争力を高めるためには有力な戦法で、これまでも数えきれない買収がなされてきました。最近でもカナダ企業によるセブン&アイホールディングスへの買収提案がありましたし、GAFAMなどのビッグテック企業が次々とライバルを買収し、急成長してきたことは広く知られています。

 大統領選に振り回される買収案件。そして外資による買収に振り回される大統領選…。

 しかし、最も振り回されているのは同支部の組合員とその家族です。果たして結末はどうなるのでしょうか。

【岡野健将プロフィル】米ニューヨーク州立大ビンガムトン校卒業。経営学専攻。NY市でメディア業界に就職後、現地で起業。「世界まるみえ」「情熱大陸」「ブロードキャスター」「全米オープンテニス中継」などの番組製作に携わる。帰国後、ディスカバリーチャンネルやCNAなどのアジアの放送局と番組製作。経産省や大阪市等でセミナー講師を担当。文化庁や観光庁のクールジャパン系プロジェクトでもプロデューサーとして活動。Spyce Media LLC代表。