「ひん死の新聞」「致命傷のテレビ」生き残り懸命
約150日続いた通常国会も6月23日で会期末。安倍派に端を発した自民党裏金問題の幕引きとなるはずだった政治資金規正法改正案の修正、再修正審議に関する与野党の駆け引きが予断を許さない。新聞・テレビの既存メディアでは、保守(国家主義)の「右派」VSリベラル(自由主義)「左派」双方の議論が入り乱れ、国民は「何を信じたらよいのか?」と見分けがつかない。さらに大阪では万博に関するポジティブな報道はほとんど見かけず、ネガティブな報道ばかりが目立つ。読者の目には、なぜメディアはマイナス報道ばかりをするのか、と映っているかもしれない。そこで、1980年代にはグリコ・森永事件やトヨタ商事事件、日航123便墜落事故などを担当し、第一線で半世紀以上、新聞記者をしてきた私がメディアの裏顔を語ろう。
〝情報は無料〟がニッポンの大原則
新聞・TVはホントに必要!?
新聞社が産んだ民放
そもそも日本の新聞は、明治維新の反体制派による自由民権運動と共に生まれ育ち、大衆メディアへと発展した経緯がある。しかし途中、軍の台頭や日中戦争の拡大もあって、 〝非常時〟の名の下に新聞とNHKラジオ放送(民放とテレビは戦後生まれ)は、軍の優位性に偏った情報を一方的に流すことで戦争協力。1945年の敗戦によって、新聞・放送は再び反体制メディアに戻り、戦後は「新聞はどこを読んでも(論調は)同じ」とまで言われた。
日本新聞協会の「新聞倫理要綱」には〝正確公正〟と〝記者個人の立場信条に左右されない〟と定義されている。報道に関しては〝不偏不党〟という表現で、中立が理念だ。
報道は中立だが、言論は…
しかし、この中立はあくまで〝報 道〟部門のみで、調査報道や社説といった〝言論〟部門では、右派と左派に分かれて互いを批判し合う対立状態にある。
新聞で右派に位置するのは産経と読売。産経は経営危機の時に財界から支援を受けて立ち直ったことで〝物を言う新聞〟と右派志向になった。読売はもともと大衆紙で自由な雰囲気だったが、政治部出身の渡邉恒雄(98)が30年以上経営トップに君臨し、自民党支持を明確にした。
左派には朝日、毎日と共同通信(地方紙に記事提供する組織)。日経は経済専門紙という性格上、財界と極めて近いから真ん中からやや右寄りだ。
TVの民放は新聞社が中心となって作ったから今も関係が深い。読売は日本テレビ(関西では読売テレビ)、朝日はテレビ朝日(同ABCテレビ)、毎日はTBS(同MBSテレビ)、産経はフジテレビ(同カンテレ)、日経はテレビ東京(同テレビ大阪)だ。NHKを含む放送局はすべて放送法で圏域が保護されている代わりに総務省の監督を受ける。
既存メディアは経営危機
新聞とテレビは、人口と世帯数のダブル減に加えて、インターネットが普及したことで存続の危機にある。経営を維持するために希望者退職という名でリストラを行い、新聞紙面とテレビ番組を簡素化させて経費を削減。それでもスポンサーが離れていることから収入減は顕著だ。新聞の発行部数は2000年の5千万部超から3千万部を割り込み、テレビも若年ほど見なくなったことで視聴率の低下に歯止めが掛からない。
このため、既存メディアはインターネット収益で補完を目指しているが、日経電子版が83万ユーザーで唯一の勝ち組になったものの、紙の新聞の減部分をすべてカバーするには至っていない。民放の見逃し配信サイト「TVer」も収益化にはまだほど遠い。
「調査報道」も 楽じゃない
メディア各社では生き残りを賭け、事件・事故や商品・イベント告知などの一般ニュースには、PR会社やAI(人工知能)を活用して合理化を進め、数少なくなった記者には専門性を磨かせて「言論・社説や特ダネなどに特化させたい」という思惑が透ける。
ただ、経営幹部が「社論を作れ! 特ダネを取ってこい!」と経験のない者に即席記者をやらせても簡単ではない。取材相手の政治家や官僚、財界人たち、いわゆる世の中を動かす人たちは外部に出ると困る秘密を数多く抱えている。それを暴こうと広報に問い合わせたとしても教えてくれるわけがない。一つ間違えれば犯罪行為の教唆にもなりかねない情報や資料を入手し、「メディアに公開する」という正義感だけで根気よく追い求めるのが〝特ダネ〟と呼ばれる『調査報道』を行う敏腕記者の世界だ。
記者の能力低下
私にも経験がある。詳細は明かせないが、猟犬のように特ダネを追っている時にコンプライアンス(法令順守)など気にしていられない。清濁あわせ飲む〝結果がすべて〟の実力社会。名誉毀損が頭をかすめ、下手をすれば違法性を問われ、刑事と民事で訴追されるリスクさえいとわなかった。
新聞・放送各社でしのぎを削り、現場の競争意識が特ダネを生む。情報を入手しても紙面化・番組化には何重ものハードルがあり、まずデスクを含めた自社記者の通読に耐え、次は紙面化後に競争相手の他社記者に特ダネ記事による抜き返しを仕掛けられる。そういう相互監視と競争の世界では、同業者間でつるんだり、発表情報タレ流しは「記者の恥」と教えられてきた。それが今や「こたつ記事」とやゆされる当事者自身がSNSで発信した情報を、メディアが裏取りもせずにニュースとして報じることに違和感を抱かない時代になった。自ら奪いに行かず、一方的に与えられる膨大な情報から当たり障りのないネタを拾い上げるだけで、新聞・テレビの取材力は確実に衰えている。
新聞社の社説や論説は通常、論説委員がローテーションで書くが、憲法や原発、対中国政策など社是(行動指針)で方向性が定められているものは委員が勝手に論ずることはできない。だから立場を踏まえた総論をサラッとなでるようなつまらない論評が多くなりがちだ。
本人が直接発信する時代へ
政・官・財など権力側は、記者クラブ制度で集う多くの記者を冷静に値踏みする。記者会見では耳の痛い質問をする記者はわざとマイクを回さず、俗に〝ちょうちん記者〟と呼ばれるお友達記者に出来レースで手を上げさせる。ネット時代に入り、会見場で「これはオフレコでお願い!」と頭を下げても、ネット上で会見自体が生中継される時代では無意味な抵抗だ。
記者に話す言葉は、全世界に同時発信するのと同意語。そうなると記者に記事の形で紹介して貰わなくても、ネットさえ使えば巨大組織は一方的に情報を発信できる。世界企業となったトヨタはすでに「トヨタイムズ」というニュースサイトを立ち上げ、既存メディアを飛び越えて自社で紹介する方式にかじを切った。
存在価値示すため
安倍・元総理は在職当時「放送法に基づく政治的公平性」をたてに左派と言われたテレビ朝日番組などを徹底批判。逆に自身に友好的な読売新聞に「現役総理の改憲素案」を独占して掲載させるなど、メディアを露骨に選別した。賛否渦巻く中で、ネット社会の急速な進歩がメディアの存在そのものを否定し始めた。当事者が直接発信したものを、求める側が直接入手すればよいだけの頭越し社会は目前だ。
情報仲介者としての既存メディアが後世に生き残る可能性は薄い。資本主義市場では全てが「需要と供給」。需要が無くなれば市場から退場だ。特ダネの代名詞「文春砲」は週1回発行の週刊文春だから、ある程度じっくりとネタに取り組めるが、毎日情報発信する新聞・テレビはそうもいかない。
ポジティブな発信ばかりをする当事者情報が主流になった今、広報されていないネガティブな事柄こそが既存メディアの存在価値となる。冒頭の自民党裏金問題をはじめ、大阪では万博批判などマイナス報道が散見するのは、メディアの存在価値を示そうと、懸命になっている構造的な仕組みも背景にある。