豊臣秀吉の時代から続く「ちょうどええ街守口」 教科書では教えてくれない郷土の魅力再発見

講師の解説に耳を傾ける参加者ら

 「ちょうどええ街守口」の魅力は、豊臣秀吉の時代から続くものだった──。市民も知らないような守口の歴史を解説する講座「第2回図書館で守口の歴史を知ろう【淀川と街道】」が、11月19日に守口市立図書館で開かれた。講師は守口門真歴史街道推進協議会の副会長である、木村政信さん。「守口は昔は海だった」から講座は始まり、写真も交えて次々と守口や近隣地域の成り立ちを解説した。

 「ちょうどええ街守口」の理由は「東海道五十七次」にある。東海道といえば、歌川広重が描いた浮世絵で有名な「東海道五十三次」だが、現在では東海道〝五十七次〟まであったことが分かっている。この五十七次とは徳川家の時代、江戸から移動する人の宿泊や、人馬の交代地点として利用されていた宿場のことだ。そして守口は、終点である五十七次目の宿場町として栄えていたという。さらに時代を遡ってみると、豊臣秀吉の時代から守口市駅近くの「文禄堤」は交通の要衝として使われていたというから、驚きだ。伏見城と大阪城の移動を便利にするため、整備された文禄堤。当時から「交通にちょうどええ街やなぁ」と思われていたはずだ。

 しかしこうした歴史はあまり知られておらず、参加者からは「守口市民だったのに初めて聞いた。郷土歴史は教科書で学ばないので、とても勉強になる」という声が上がった。講師を務めた木村さんは「守口の魅力は、なんといっても交通の要であるところ。文化的な資産もたくさんあるので、伝える活動をもっと積極的にしていきたい」と意気込んだ。

 今回の講座、実は定員20人規模のところ、予約が殺到して増席したにもかかわらず、キャンセル待ちが出るほどの盛況ぶり。守口市立図書館の担当者は「郷土イベントは今後も力を入れていきたい。来年2月には守口市をモデルとした朗読劇『Mの航跡』を上演予定。市民の皆さんに興味を持っていただけるようなイベントをたくさん企画したい」と話す。

■守口市立図書館/守口市大日町2丁目14番10号