「鍋」といえば、すき焼き、寄せ鍋、キムチ鍋などさまざまな種類があるが「水炊き」を思い浮かべる人はどれほどいるだろうか。味付けぽん酢の発売60周年を迎えたミツカンと、フードライターの第一人者・曽我和弘さんが「水炊きの逆襲」と題して、だし文化の原点である関西から、知られざる鍋の歴史と魅力を再発信している。(加藤有里子)

鍋は「新しい食文化」
今でこそ日本の冬の風物詩となった鍋料理だが、意外にもその歴史は浅い。曽我さんによると、鍋料理が登場するのは江戸中期から。一般の家庭に普及したのは明治時代に入ってからだ。
「いろりで煮炊きする鍋を思い浮かべる人もいるが、汁物や煮物としての活用であり、鍋料理ではない」と曽我さん。
1615年ごろ、能登で珪藻土を使った七輪が生まれ、江戸の遊里・吉原で「台の物」と呼ばれる仕出し店が流行。七輪に小鍋を載せて提供したのが鍋料理の原型とされる。
本格的に広まるのは明治に入ってから。日本人も牛肉を食べるようになり、横浜の居酒屋「伊勢熊」がみそで煮る牛鍋を考案しヒットした。さらに明治天皇が食したことで大流行する。
関東大震災以降、食卓を囲む「ちゃぶ台」が普及したことで、料理店で食べるものだった鍋は家庭に入り、一つの鍋を囲む文化が定着したという。
水炊きと関西の昆布だし
水炊きの誕生は関西、長崎にあるといわれている。関西の水炊きは昆布だし、長崎では鶏肉を用いた料理が中心。それが福岡に伝わり、現在では白濁スープを「水炊き」と呼ぶようになった。
関西で昆布だし文化が根付いたのは、北前船の寄港によるもの。江戸時代から集積地となった大阪は、軟水が昆布だしを引き出すのに適しており、水炊き文化が継承された。なお水炊きは、湯豆腐、ちり鍋、しゃぶしゃぶも含まれ、素材の味を引き出してぽん酢に付けて食べる鍋料理を指す。
ぽん酢は実はオランダのリキュールだった
今では鍋に欠かせないぽん酢だが、もとはオランダから伝わったリキュールだった。ぽん酢の語源は、江戸時代に長崎の出島を通じて伝わったオランダ語「ポンス(pons)」に由来する。柑橘果汁と砂糖を混ぜたリキュールのことで、明治時代に日本独自の調味料として発展した。しかし、そのときは柑橘のしぼり汁のみで、しょう油は混ぜていなかった。
味付けぽん酢を世に広めたのはミツカンだ。創業家の7代目・中埜又左エ門が、博多で味付けポン酢と出合い、1964年11月10日、「ミツカンぽん酢 味つけ」として関西でテスト販売し、普及させた。
「当時、関西では定着していったが、東京では水炊き文化がなかったため、なかなか売れず、築地の仲買人に鍋をふるまい、ぽん酢を配って回ったという話も残っている」(曽我さん)
泉州水なすのしゃぶしゃぶ
曽我さんは今回、ミツカンの節目に合わせて「水炊きの逆襲」企画を立ち上げた。
「水炊きが下火になっているのは、新しい提案が少なかったから」と話す。
吉兆創業者の孫で「日本料理 湯木」の湯木貞一社長、有馬温泉「御所坊」の金井啓修社長、灘の酒蔵「神戸酒心館」の久保田博信副社長といった関西を代表する名店と連携し、地域素材を生かした新しい鍋を開発した。
湯木社長は地元・泉州水なすを黒豚と合わせたしゃぶしゃぶを、金井社長は有馬山椒の復活とPRを込めて、鶏肉に山椒を注入した「山椒鍋」を。
久保田副社長は、自社の酒「福寿」と明石ダイの骨でとるだしを用いた「灘の美酒鍋」を企画。いずれも素材を食べる鍋としての水炊きを再定義する試みだ。
「鍋は煮る料理ではなく、味をつなぐ文化だと思う」と曽我さん。
関西のだし文化を次代につなぐ〝逆襲〟は静かに、しかし確かに始まっている。
名店が挑む〝素材鍋〟刷新
【湯 木】 泉州水なすしゃぶしゃぶ 【御所坊】 有馬山椒鍋 【神戸酒心館】 灘の美酒鍋

