「思い出深い、旧将棋会館」 指導棋士の來海さん 地元島根から6年通う

 大阪は将棋熱が高い。その象徴的な施設「関西将棋会館」が昨年12月、大阪市福島区から高槻市に移転した。1981年の開館から数々の名勝負を生んできた建物も老朽化に伴い、新天地・高槻で新たなスタートを切ったが、旧会館に思いをはせる人も少なくない。

 阪急宝塚線岡町駅の東に延びる桜塚商店街。ここで「豊中将棋センター」を主宰する日本将棋連盟の指導棋士二段、來海(きまち)孝之さんもその一人だ。
 島根県松江市出身の來海さん。小学2年から地元の将棋教室に通い、全国大会で上位入賞するほどの実力の持ち主だった。中学1年でプロ棋士の養成機関となる奨励会の試験に合格。「だが、プロ棋士にはなれなかった。将棋の世界は甘くなかった」と振り返る。

豊中市内で将棋教室を主宰する指導棋士の來海さん
豊中市内で将棋教室を主宰する指導棋士の來海さん

 奨励会員はプロ棋士に弟子入りし、プロの卵となる。会の規定では21歳までに初段、26歳までにプロ棋士として扱われる四段に昇段できなければ退会となる厳しい世界だ。
 「結局、私は19歳になる手前で辞めてしまった。会では6年頑張ったが、2級止まり。奨励会に入れるのも一握りなのに、そこからプロになるにはさらに狭き門をくぐらなければならない」と明かす。実際に会からプロ棋士に昇格するのは1年に4人だけだ。

 來海さんの場合、島根の地方在住の不利もあった。奨励会員になるとアマチュアの大会には一切出場できないから腕を磨くチャンスは限られる。加えて地方では強い相手と対局する機会も少ない。
 このため、主に経験を積む場は福島区の将棋会館で会員同士が対局する月2回の例会だった。「高校卒業ごろまでの6年間、島根からバスで通った思い出深い場所。前日に大阪入りした地方組の会員が、会館の和室で雑魚寝していた風景が印象に残っている。地方勢からすれば、大阪在住の会員がうらやましいと思っていた」
 この経験が「地方出身者を応援したい」という來海さんの原動力となり、地元島根で将棋教室を開くことに繋がった。
 しかし、大阪の教室と掛け持ちするのは容易ではなかった。「深夜に高速道路を行ったり来たりして体力的にも限界だった」と、島根教室は閉鎖することになってしまった。

JR福島駅の北側にある旧将棋会館。奨励会員だったころの來海さんは月に2回、島根からバスで通っていた
JR福島駅の北側にある旧将棋会館。奨励会員だったころの來海さんは月に2回、島根からバスで通っていた

 「有望な子もいて断腸の思いだったが、後の指導を継いでくれる良い人が見つかった」と來海さん。
 現在は豊中教室だけに集中し、約100人の受講生を抱えて後進の指導に当たっている。その甲斐あって、教え子の山下淳之介君(中1)がこのほど、同教室から初めて奨励会試験に合格した。
 近年はAIを使って研究し腕を磨けるから地方の不利は解消されてきたのかもしれない。しかし、來海さんは「本質を理解しないまま、AIの打ち手をまねるのは危険。自分の将棋を見失いかねない。うまく活用するためにも、ある程度の実力が必要だ」と明かす。
 來海さんは週に1度、将棋会館で女性向けのセミナーも開催。将棋の普及に努めている。「女流棋士の福間香奈さんと西山朋佳さんが活躍しているが、将棋界はまだまだ男社会。女性の競技人口を増やしたい」と未来を見据えている。