一般社団法人テラプロジェクトの理事長で、大阪大学名誉教授である小林昭雄先生は、昭和20年、長野県中央アルプスの裾野の町、伊那で生まれた。「戦後間もないころでしたから、遊び場は近くの雑木林しかありませんでした。野球をしようにもグローブやバットがない。グランドなんかも整備されていない。木にぶら下がってターザンごっこをしたり、お腹がすいたら、おやつ代わりに木の実を取ったりしていました」。
小林先生は4歳のときに重い肺炎を患う。「戦後の田舎の街に、奇跡的にペニシリンが入ったのです。ずっとうなされていたので記憶がないのですが、後に母から、『お前はペニシリンで命を取り留めたのよ』と聞かされました。その治癒力の凄さから、抗生物質に興味を持ったんです」。一本のペニシリンが、小林先生の運命を変えた。
「自分が子どものころから親しんできた木の葉っぱや花の茎なんかが薬になる。こんなに素晴らしいことってないですよね。薬の、特に抗生物質の研究を、とにかくやってみたい!と、父親の母校である京大の農学部で学びたいと思うようになりました」。毎日山に入り、木のにおいをかぎ、花にふれる。そうした環境で過ごすなかで、小林先生が植物がつくる薬用成分に興味をひらいていったのは、自然な流れだったのかもしれない。
大学卒業後は、米国ミシガン州立大学やロードアイランド州立大学で博士研究員として働き、大阪大学大学院工学研究科(応用生物工学)教授を勤めました。植物バイテクや化石燃料代替植物(杜仲)の研究、さらに、高度分析技術の開発を通じて100名を超える学生の指導に携わってきた。
「緑が身近にある環境って、みなさん素晴らしいと感じますよね。人間は、数百年前より、長い歳月を森の中で暮らしてきました。『我々が生命を維持できているのは植物のおかげだ』という感覚が、無意識のうちに刷り込まれているんじゃないかと思うのです」
21世紀は植物と食糧と健康を強く意識する時代だと小林先生は言う。「私が幼いころに山からいろんなものを教えてもらったように、今の子どもたちにも、幼少期にさまざまな自然体験をして、好奇心や探求心を育んでもらいたい。そして、磨いた知力を使い、豊かな想像力を持った若人を育てたいのです」
テラプロジェクトでは、学内での狭い研究にとどまらず、「植」、「食」、「健康」をテーマにした事業を支援。市民、研究者、企業を束ねる産学連携の仕組みつくりに傾倒し、企業の関心を引いている。小林先生は、「心からやりたい!」と手を挙げる人に快く手を差し伸べる支援体制の必要性を強調している。合言葉は、「やってみなはれ」。
その試みのひとつに、「大阪にもっとみどりを! One Greenから始めよう!」を合言葉に大阪市北区と連携して取り組む、Joyful Agri事業、〈レモンの樹によるみどりの回廊づくり〉がある。「長期的に活動を続けるためには、社会的ニーズに主眼をおくだけではだめで、楽しさやおもしろさという〝遊び心〟が大切」と唱える小林先生が、植栽に果実が実るレモンを選んだというのはなにかわかる気がする。レモンには、その響きや黄金色に夢が宿る。レモンの酸っぱさは人生のつらさと重なり、「イギリスでは、『レモンをもらったら、誰もが欲しがるレモネードに変えなさい』ということわざがあるんです。酸っぱいレモンを、あなたの力であまいレモネードに変えなさいってね」。努力を惜しまず、愛を注ぎ続ければ、より素晴らしい明日がやってくる。レモンは「やってみなはれ」を信条とするテラプロジェクトの、あかるいシンボルなのだ。
「訪阪する世界各国の人たちにも、みどりでおもてなしの心で明るく、快適になった大阪を、たっぷり楽しんでもらいたい」。信州の風土に育まれた小林先生の「やってみなはれ」精神は、大阪から世界へと広がっている。
てのひらと宙のあいだに1000年のレモンの樹々のそよぐ夜です
【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版) 。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)