
京都の四条烏丸の一角、その書店は静かに存在感を放っていた。2019年に開店した大垣書店京都本店は、「本を売る場所」という枠を超え、京都の文化と人々の暮らしに彩りを与える存在となっている。その成功の陰には、試練を乗り越えてきた大垣守弘会長の過去がある。
「私は、小学校2年生ころまで体がめちゃくちゃ弱かったんです。視力も悪く、目の手術も4回受けました」。同時期に、大垣少年は交通事故で右足を骨折。全治2カ月の大怪我を負う。両親は、「これはあかん」と息子の運命が少しでも好転するよう改名を考える。そうして、現在の名前、「守弘」を授かったという。

体が弱く、学校にもなじめなかった大垣少年は、常に孤独を抱えていた。「学校もたまにしかいけないから友達もできない。勉強にもついていけず、学校のトイレでよく泣いていました。だから今も、社内で一人孤独にしている従業員がいたら自分のように思ってしまう。『あの人は使えない』と言うスタッフがいたら、だめなところではなく、人のいいところを見つけるようにと伝えています。どんな人も、誰一人として取り残したくないんです」
大垣書店は、1942(昭和17)年、大垣会長の祖父が京都の北大路に有った小さな本屋を引継いだことに始まる。2024年現在、京都を中心に50店舗を展開する。京都本店は、「思いがけない発見ができる店」がコンセプト。京都に関するガイドブックから小説、料理本まで幅広いラインナップを取り揃えている、と思えば、その隣には京都の手づくり雑貨がずらりと並び、珈琲の香りに誘われて顔をあげればお洒落な内装のカフェや、その斜め向かいのカウンターBARではワインやハイボールに自家製の薬膳カレーを嗜みながら静かに談笑する客の後ろ姿が見える……というように、店全体から“旬の京都”の息遣いが聴こえてくる。
「わざと迷路のように棚を配置して、わくわく感を演出しているんです。書店には目的の本を買いに来る人もいますが、おもしろい本はないかと、ふらりと立ち寄る本好きの方も多い。地域に密着し、魅力を発信することが地方書店にとっては非常に重要なんです」。大垣会長は、地元の人が「時間が空いたな、ちょっと行ってみよか」と、ふと大垣書店を思い浮かべてもらえるための店づくりを常に考えているのだ。
インタビューさせていただいた社長室の本棚に、端のよれた一冊の本を見つけた。タイトルは『二十歳の原点』。大切な本なんですか? と尋ねると、「17歳のころ、将来の夢やすべきことがわからない毎日でした。暗い本なんですが、これを読み、悩んでいるのは自分だけではなかったこと、真剣に生きることの大切さ、生きることの意味……一言では言い表せないくらい、たくさんのことを教わりました」

17歳の大垣青年は、この本の著者、高野悦子さんと同じ立命館大学に入ろうと決意する。「当時の立命館大学は、どちらかというと地味で暗いイメージがありましたが、何の取り柄もなかった私が立命館大学を受験するという目標を立てたことで、彼女と同じ、暗いけれど純粋で、筋の一本通った精神性を持てた気持ちになり、かすかな明かりが見えたんです」。大垣会長は言う。「17歳の私が一冊の本に救われたように、書店を訪れた人がたまたま手に取った本から、かけがえのない何かを得る。そういう、人と本の豊かな出会いができる書店であり続けたい」
「守弘」は、姓名判断の先生につけてもらったのだという。「歳を追うごとによくなる名前らしいです。大垣書店のさらなる飛躍のために、まっすぐ夢に向かって歩み続けたいですね」。そう言って笑う大垣社長の目尻のシワは、幾度も試練を乗り越えてきた者の生の深淵を湛えていた。
ひらいたら「それでいいの?」と純潔が暗き眼をして頁に立ちぬ

【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版) 。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)