
幼い頃、テレビから流れる映像に心を奪われた少年がいた。有馬兵衛向陽閣のCM、ウルトラマンの特撮ドラマ、大阪万博の熱気——それらは高度成長期の日本を象徴するものであり、彼の心に深く刻まれた。
「広告や宣伝に興味を持ったのは自然な流れでした。私は昭和35年生まれなんですが、物心がついた5歳くらいのときに白黒テレビが家に入ってきた。それから毎日、かぶりつくようにテレビを見て育ちました。マスメディアに毒された世代と言っても過言ではありません」。そう笑うのは、京阪神エルマガジン社の谷正典社長だ。

谷社長は広告宣伝業界特有のきらびやかな世界に憧れ、1983年に神戸新聞社に入社。広告営業としての道を歩み始める。「テレビや雑誌、新聞に載る広告は、ただの商品情報ではなく、人々の心を動かす力があると感じていました。結構ミーハーなんですよ(笑)」。その後、神戸新聞事業社の代表取締役社長を経て、2023年、現職に就いた。
京阪神エルマガジン社の独自性について尋ねると、「一番、街にくっついているのがうちの雑誌なんです」と即答。「新しい店ができれば、以前取材した店主などからすぐに情報が入ってきます。それは、編集部が直接足を運び、人とのつながりを大切にしてきた歴史があるからです」
街は生きものだと彼は言う。人々の動きや新しいスポットの出現、流行の移り変わり——エルマガジンは40年以上前から目に見えない関西の街の〝今〟を肌で捉え、読者に届け続けてきた。
紙媒体が厳しいと言われる時代にあっても、谷社長の紙へのこだわりは揺るがない。「神戸新聞の時代からずっと紙で飯食ってますからね。紙は物質。デジタルでは伝えきれないぬくもりや質感があります。これからも何とか続けていきたいと思っています」
一方で、デジタル版の『Lmaga.jp』や『SAVVY.jp』にも力を入れる。「より気軽に、関西の街と店を楽しんでほしいという思いで立ち上げました。どのような形であっても、dるマガジンのコンテンツを通して、街と人のコミュニケーションを深めたい、という思いは変わらないですね」

最後に、これからの展望を尋ねた。「やはり、直接街と触れ合うというスタイルは変えないでいたい。これからも人とのディープなつながりを大切にしながら関西の街の〝今〟を発信し続けたい。それがエルマガジン独自のカラーであり、私たちの存在意義だと思っています」
谷社長のことばには嘘がない。メディアに魅了された少年は、街と人に向ける真摯な眼差しを携えて、これからも関西の街の〝今〟をアクティブに紡いでいく。
最新号のミーツめくれば街とひと酒場と店主がドキュメンしてる
【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版) 。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)