9人乱立の自民党総裁選を勝ち抜き、第102代内閣総理大臣になった石破茂氏(67)。彼は鳥取・倉吉両市を中心とした衆院鳥取1区選出。かつて毎日新聞鳥取支局長と日本海新聞(鳥取)取締役編集制作局長をやった私は、鳥取市内にある彼の自宅で語り合う仲だ。
所信表明演説で「うそつき!」「変節漢!!」と袋だたきに遭っている〝人間・石破茂〟を冷静に分析してみよう。
「総選挙」勝たずして権力なし!
「孤軍奮闘」石破総理の行く末は?
鳥取で内緒話の仲
まずは石破総理と私の関係性から。私が毎日新聞鳥取支局長に赴任したのは1997年秋。現地では当時、開発が進む大山リゾートの域内に弥生時代の巨大集落跡が出土し、「開発か、保存か」で大論争。交渉が暗礁に乗り上げた時、私が開発母体だった在阪企業の経営トップとつながりがあり、県知事と図ってトップ同士の交渉をさせ、一気に開発から保存へと両者を合意させた。懸案事項が解決したので翌年早々、県知事は勇退を表明。後任争いはし烈を極めた。県知事の真意を密かに知る私は石破邸へ呼ばれ、後継者の選定でさまざまな話しをした。
それ以前の98年2月、私は石破氏に1枚の写真を手渡したことがある。当選同期で、共に離党と復党を経験し、院内議席も隣同士だった石破総理の親友、新井将敬議員。本会議場で倒れたままの彼の名札をぼうぜんと見入る石破氏の姿を収めた写真だ。
新井議員は金融犯罪に巻き込まれ、自ら命を絶ったとされる。私は石破氏に「いずれ総理総裁を目指すのでしょう? それには無理・無茶・無駄も必要。新井さんのように命を落とすかも知れない。最後は覚悟です」と諭した。以来、四半世紀の付き合いがあり、会えば「ようよう」と言い合う仲だ。
地元〝石破王国〟盤石
彼は二世議員と紹介されるが、実際は祖父が鳥取県八頭町前身の村長だから三世議員。定数4の中選挙区時代に29歳で初当選して以来、12回連続当選している。96年に小選挙区になってからも無所属当選を含め、一度も対立候補に比例復活当選を許していない。私は石破氏に「あんたは日本共産党から出ても通るよ」と軽口を叩いたこともある。変革を極端に嫌い、「前例踏襲が最善」とされる保守的城下町気質の選挙区で、手足となる地方議員はもちろん、県知事だった父親の代から地域に細かく張り巡らされた後援組織は「何があっても石破」で徹底されている。
だから総裁選に過去4度敗れても、「終わった…」との突き上げは地元から一切無く、「盟友議員がいない、金がない、言いたいことを勝手に言う」と議員仲間に批判されても平気。地方選出議員に致命的な「こまめに動かない、気配り目配りがない」との苦言も、ポワンとして人当たりが良く〝普通に子育てする奥さん〟の佳子夫人が地元で絶妙にカバーしているから心配なかった。
「ひょうたんからコマ」総理誕生
石破氏自身、年齢から考えて「最後の戦い」と位置付けた今回の総裁選。1回目の投票で高市早苗候補に地方票数で敗れた時点で、鳥取の誰もが「また負けか…」と観念した。国会議員票に至っては362人のうち46票しか取れず、どう考えても勝ち目はない。それが決選投票で(国会議員票が)142票も上積みされ、地方票は逆転。佳子夫人が「ホント?」と頬をつねったが、一番驚いたのは本人だっただろう。
「なぜ?」の答えははっきりしている。直前に迫った総選挙で多くの無派閥議員は「どちらが自分の選挙に有利か?」と考えた。同時に高市候補を支えた旧安倍・麻生両派に対する、旧岸田派と菅系の強い反発の現れだ。
党総裁から内閣を率いる立場になって、彼は「はて?!」と困ってしまう。党の要は幹事長、内閣の要は官房長官。これを担う腹心の部下が一人もいない。かつて田中角栄には二階堂進、中曽根康弘には後藤田正晴、そして小泉純一郎には武部勤と、大きな野望を抱く総理には忠実な党幹事長や内閣官房長官を務めた腹心がいた。総理の意を受け党内と官僚を差配し、自らの手を汚しても政策と人事を断行。そしてトップが去っても、けっして自身が後釜を目指さぬ参謀役。
石破内閣の官房長官は共に総裁選を競った林芳正が留任。これ自体びっくりだが、旧岸田派の正統後継者で次期総理を狙う器のエリート。対照的に党幹事長の森山裕は定時制高を出て鹿児島市議からのたたき上げ。少数の森山派トップで党内調整の達人。いわば石破総理が持っていない物を全部持っている人たちだが、政局と院内運営を重んじており人間・石破に殉じるタイプではない。
そう考えると総理が腹を割って話せる相手は政務秘書官に起用した石破事務所のベテラン政策秘書・吉村麻央しかいないのだから寂しい。
「行けるところ」まで行け!
政界には「総理は選挙に勝つたび強くなり、内閣改造するたび弱くなる」という格言がある。しょっぱなから森山党幹事長に「早期解散」を求められ、「解散総選挙は慎重に」の持論に封印させられた石破総理はあらゆる手を使って総選挙に勝つ工作を自ら始めた。
9日に解散した衆院は、定数465議席だから過半数は233。与党は自民会派258、公明32で絶対多数を持っていた。15日公示、27日投開票の総選挙で、石破内閣の合格ラインは 〝自民会派で単独過半数〟が最低線。
今回争点の一つとなった「裏金議員51人の党公認を含めた処遇」だが、旧安倍派を中心に衆院立候補予定者が約40人。この内、党員資格停止中の下村博文・元文科相と西村康稔・元経産相はじめ数人は無所属出馬させざるを得ないが、短期の党役職停止や戒告、処分なしの議員まで再処分するのは、当時の岸田政権の措置に異議を唱えることになりかねず、支持してもらった手前簡単にはいかない。第一、40人全部を公認から外すと、開票時に保守系当選者を追加公認しない限り、肝心の「自民党で単独過半数」実現におぼつかなくなる。
しかし、総選挙を前にしての総理総裁は「党内を怒らせても、国民を喜ばせる」というアピール力が必要。そこで総理主導で打って出たのが「説明責任と地元からの推挙があった者は小選挙区で公認するが、比例復活名簿には搭載しない」という6日発表のウルトラCだった。これなら総選挙での自民党獲得議席を減らすことなく国民に「裏金議員は小選挙区で有権者の信任を受けた者しか許しません。彼らの退路は断ちました」との大義名分が立つ。
石破総理の「敵」は野党以上に身内の旧安倍・麻生両派であり、虎視眈々(たんたん)と総理の座を狙う高市・前経済安保担当相。自民党の活力源は本来こうした党内抗争。主流と反主流が疑似政権交代を目指し争うことで政権を維持してきた。
そういう意味で彼は、麻生太郎・前副総理を最高顧問に就ける必要はなかったし、高市・前経安相に党総務会長を打診する必要もなかった。やさしさは無用で「勝つか負けるか」しかない非情な世界だ。
石破総理は党内人気のない分、国民人気に頼るしかない。選挙に勝てば、党内人気は勝手に付いてくる。それには目前の総選挙と来夏の参院選に連勝するしかない。在任期間の長短に関わらず〝鳥取県初の総理大臣〟という果たした夢はもう消えはしないのだから、後は自身が党総裁選時に述べた「議員や総理になることは手段であって目的ではない。大切なのは〝何をするか?〟ということ」の言葉を、勇気を持って実践する番だ。