最期をどこで過ごす? 住み慣れた自宅という選択

 大阪市で10年以上多くの患者を自宅で看取ってきた「武井クリニック」(大阪市城東区)の武井雄一郎院長に、終末期医療(がん末期のケア)と自宅での看取りについて話を伺った。

ー武井 在宅医療では医師は調整役と私は考えますが、唯一主役になる時があり、それは看取りのときです。平成26年の厚生労働白書では、死を迎え“たい”場所として自宅が49.5%であるのに対し、現実は80.3%が病院で亡くなっています。なぜこの解離があるのか、私はみんなで一緒に考えたいです。まさかのとき延命措置をするかしないか、胃ろうをするかしないかと急に聞かれても、ふつう家族や患者本人がすぐに答えられるわけがありません。かといって、医者も職務上聞かざるを得ません。

 私が今まで受け持った中で一番印象に残っている患者さんを紹介します。みなさんで考えるときの参考になればと思います。

「もう一度家のご飯が食べたい」

 大阪市内の病院に入院していた石原スエさん(89歳)が食事を摂れなくなったのは、平成26年の3月だった。医師からは胃ろうを勧められた。しかし、スエさんは「ベッドで寝てばかりは退屈。早く家に帰って大好きな豚足が食べたいね」と言った。娘の美智子さんは母の願いを叶えようと、胃ろうはせず自宅での介護を決断。その決断によって、ケアマネージャーが主導し退院後も自宅で安心して生活できるよう医療と介護の支援体制がつくられ、5月にスエさんは退院し自宅に戻った。美智子さんは当初不安もあったが、支援体制が精神的にも大きな支えになり乗り越えることができた。退院後のスエさんは、少量ながら食事ができ、願いだった豚足も食べられた。一時的にデイサービスにも笑顔で通っていた。

“お見送り”に30人もの親族が集まる

 6月に入りスエさんはほとんど食事が摂れなくなった。意識はしっかりしていたが、訪問診療した私(武井医師)は危篤と判断。事実を家族に伝え、会いたい人にはすぐ来るように指示した。スエさんの強い生命力で、危篤だったが苦しむことなく遠方の親類が到着するまでしっかり意識があった。ひ孫や玄孫(やしゃご)など、遠方の離島からも含めなんと30人も駆けつけた。スエさんがきっかけで数十年ぶりに再会した人もおり、スエさんを中心に集合写真を撮った。

自宅で看取るということ

 写真を撮った翌日、スエさんは親族が見守る中息を引き取った。美智子さんは「母は集まってくれたみんなに向かってありがとう、ありがとうと何度も言っていました。家に帰れて、大好きな人たちに会えて母は嬉しかったと思います」と当時の様子を語った。

…取材後記…

 これまでの取材でさまざまな職種が連携してチームを作り、充実した在宅医療を提供していることを初めて知った。そして、数年前に亡くなった祖父のことを考えた。当然のように入院し、そのまま亡くなったのだが、そこに本人の意思はあったのかと疑問に思う。遠方の病院だったため、家族と離れて過ごすことになった祖父は毎日何をし、何を考えていたのか。自宅で過ごす選択肢があれば選んでいただろうか、と。

 入院しなくても、在宅でも必要な医療が受けられる。患者本人が最期まで自分らしく過ごすために、そしてできれば健全なときから必要な選択肢を用意しておくことも親族の務めではないか。武井院長の訪問診療に対する情熱を間近に見た。本当に良い機会をいただいた。(西山)