上方落語協会総会が4月26日、大阪市北区の天満天神繁昌亭で開かれ、任期満了にともなう会長選挙で笑福亭仁智会長(71)が最多得票を獲得。4期7年目に船出することが分かった。5月中旬の理事会で正式承認され、任期は2年。
協会総会は非公表で選挙結果を公表していないが、関係者の話を総合すると前会長で8期16年を務め18年に勇退した六代桂文枝(80)が12票差まで肉薄し、接戦だったことが分かった。
なぜ、現会長と前会長がポストを競い合う事になったのか?
かん口令が敷かれた協会員の噺家から丁寧に話しを聞くと、その背景が次第に浮かんできた。
事の起こりは3月。同じ笑福亭一門の銀瓶(56)が協会定席「天満天神繁昌亭」の出番決定の活性化などを求め、会長選に出馬表明したことに始まる。それまでは米朝事務所社長を退任した現協会副会長の桂米団治(65)の名が、次期会長として浮かんでは消え「結局、仁智会長の4選」が有力と見られていた。
波乱含みの中で、文枝前会長が同じ五代目文枝門下のおとうと弟子から担がれる形で「文枝一門の総意」として出馬が固まり、選挙戦の行方がにわかに見通せなくなった。文枝一門はすでに大阪・繁昌亭、神戸喜楽館と落語定席館の整備に尽力してきた文枝の力量を再び発揮し、新たに京都に3カ所目の定席館を開場することを公約として掲げた。また、高齢の文枝を再び担ぐにあたり「1期だけの短期で、後は最も知名度がある鶴瓶に会長職を禅定」と後継指名することで、笑福亭一門の票の行方はさらに複雑な様相を呈し結果が見通せないまま総会当日を迎えた。
ここで上方落語協会の会長選手順を説明しておかねばならない。通常の選挙のような立候補制ではなく、協会員280人全員が不在者投票も含め、自身が意中の会長名をいきなり書く。過半数を得なくても最多得票の者が1回の投票で当選となる。
結果は仁智現会長が90数票、文枝前会長が80数票と10票ほどの際どい票差。若手支持が頼みだった銀瓶は3位ながら10数票の大差をつけられた。他に1票だけ入った者も含め、計14人が得票者名として並んだ。
仁智会長は過去6年、実務派として繁昌亭リニューアル工事に取り組み長期休場。ようやく完成した途端にコロナ禍が直撃する不運もあったが、中堅や若手とも積極的に対話を重ね、堅実な寄席運営を目指してきた。総会終了後「理事会で正式決定するまで、僕からは何も言えません」と慎重に言葉を選びながら、協会の課題として「問題山積でやらなアカンことがたくさん。繁昌亭の出番だけでなく各地の地域寄席に協会員を派遣できるように寄席営業体制の見直し。財政再建もしっかりとやらないと」と構想を説明。
文枝は総会開始後30分ほどで途中退席、報道陣に囲まれると「終わってから話します」と言葉少なに立ち去った。
候補者で唯一会見に応じた銀瓶は「もう少し票を取れると思っていた。アクションを起こしたことに悔いはない。事前の予想に比べ僕が少なく仁智会長が多く得票したと言う事は、若手が現状維持を望んだ結果」と分析。
現在の協会員の状況について「最近は〝ひとつになる〟という感覚が薄れていた。協会はずっと一つだが、噺家の所属は松竹芸能や吉本興業、米朝事務所などに分かれ、さらにフリーの者も数多い。考え方も違う」と話し、「僕は請われれば今後も協会の劇場運営に全面協力する。文枝師匠は最高顧問か名誉会長に就いて頂き、ぜひ会長を支えて頂きたい。それでこそ協会は一つになれる」と強調している。
(畑山博史)