四代目・桂梅枝と五代目・桂慶枝 上方落語でダブル襲名

 上方落語協会・前会長の六代桂文枝(80)の弟弟子に当たる桂枝光(64)が「四代目桂梅枝(かつら・ばいし)」に、直弟子の桂三風(62)が「五代目桂慶枝(かつら・けいし)」へと、共に1世紀を経て復活した大名跡を今秋襲名することが1月31日、所属の吉本興業から発表された。

「これからが落語家として第2章」と話す桂三風

 近年なじみがない名跡だが、先代梅枝は大正時代末頃に没したから約100年前、元々江戸落語家だった先代慶枝は大阪で活動していた時期に名乗ったが1910年(明治43年)に東京に戻り再び改名したためやはり100年以上たっての復活。

 枝光は1996年に小つぶから二代目枝光を襲名した際、師匠の五代目桂文枝(2005年、74歳で死去)から「まだ上には梅枝ちゅう名前があるさかい頑張りや」と言われ、先代の妻・長谷川君枝さん(93)からも師匠の着物や羽織などを託され励まされていた。「ずっと気になっていたが30年近くたってやっと襲名することに。ただただうれしい」と感慨深げ。三風は「今年が芸歴40周年、師匠に〝よい名前をぜひ〟とお願いしていました。これが落語家人生第2章のスタート」と自身に言い聞かせた。

噺家の記者会見らしく笑顔が絶えない。左から小文枝、三風、枝光、文枝、奥谷副社長

 枝光は1991年に北海道に拠点を移し、北海道民健康大使に任命されるなどすっかり北の大地にもなじんだ。「札幌は住んでみるとリトル東京。江戸落語の噺家さんもドンドン訪れる地。おかげでお付き合いもできて、上方落語に江戸落語のよいところを取り入れ、自分だけのスタイルを築いていきたい」と抱負。三風は京都学園大時代に慣れ親しんだ京都を中心に活動。師匠譲りの創作落語だけでなく客席参加型落語に新境地を見い出した。「名前の通り、落語界の新しい風を目指し、学校回りをして子ども達と交流したりしてきました。名跡に恥じない大作を作って後世に伝えたい」と意欲をのぞかせた。

寄席文字の新名跡を手にする三風(左から2人目)と枝光(右から2人目)

 文枝は2人の名前の漢字を取って「慶(よろこ)びの 一門枝に 梅一輪」と即興で俳句を作り祝福。「本当は30、40代で襲名披露してお客さまに覚えて頂くのが一番良いのですが、2人ともこの年になるまで苦労してきた。アドバイスは何もない。体に気を付けて、上方落語界全体を盛り上げてもらいたい」とエール。文枝のすぐ下の弟弟子に当たる小文枝は「秋から半年ぐらいかけて、5大都市(札幌、東京、名古屋、大阪、福岡)はもちろん、できるだけ全国各地で襲名披露興行を行ってほしい」と期待を寄せた。

先代文枝の師匠の羽織を手に話す枝光

 吉本興業と上方落語は、創業者吉本せいと初代桂春団治の戦前のエピソードに始まり、昭和から平成に掛け笑福亭仁鶴(21年、84歳で死去)・桂三枝(現在の六代文枝)の2トップがテレビを通じ人気スターに育ち、現在の〝笑いの総合商社〟へと飛躍する礎を築いた。

 この日同席した同社の奥谷達夫副社長は「大阪吉本には80人以上の上方落語家が在籍している。我が社だけでなく、すべての落語家さんに協力して頂き、襲名披露を大成功させて頂きたい」と頭を下げた。

(畑山博史)