いじめゼロに向けた新アプローチ「寝屋川モデル」 広瀬市長がシンポジウムで熱弁

 いじめ問題をテーマにしたシンポジウム「そうだったのか!いじめ事件の真実と対策」がアットビジネスセンターPREMIUM新大阪で4月18日に開かれた。会場には、いじめ重大事態を経験した被害児童の保護者や遺族、元教員、弁護士、そしてスペシャルゲストとして、寝屋川市の広瀬慶輔市長らが集まった。当日は元教員、いじめ当事者の親族、弁護士の視点による講演の他、広瀬市長の特別公演、パネルディスカッションと質疑応答が行われた。

 主催した「ヨリドコロの会」が語ったのは、「自分たちの自治体に、寝屋川モデルがあったらよかったのに」という率直な思いだ。背景には、被害に遭った当時、「どこに相談すればいいのか分からなかった」「頼れる場所がなかった」という共通の原体験がある。

熱弁する広瀬市長(シンポジウム事務局より提供)

 講演で市長が繰り返し強調したのは、いじめを学校内で完結させる「教育問題」だけでなく、子どもの安全と尊厳に関わる「人権問題」として捉える視点である。学校や教育委員会は、関係修復を目的とする教育的アプローチを担う一方で、被害者が「今すぐ安全を確保したい」という切実な要請には応えきれない場面もある。だからこそ、行政的・法的なアプローチという別ルートを併走させる必要があると市長は語った。
 この説明に対し、被害当事者の一人は、「『寄り添います』という言葉は何度も聞いてきました。でも、本当に助けてほしい時に、どこにも出口がなかった。そのズレを制度の話として整理してもらえたのは初めてでした」とコメントした。

 「寝屋川モデル」の画期的な点の一つは「相談できる出口」を制度として常設したことだ。同モデルでは、市長部局である監察課が教育委員会とは独立して通報を受け、原則1カ月以内にいじめの停止を目指す。
 さらに、市内の小中学校では通報促進チラシを毎月配布し、子ども・保護者・教員に相談先を繰り返し示している。「これは、問題が起きてから動く仕組みではありません。起き続けないように、学校の空気そのものを変えていく取り組みです。相談先を毎月示し続けるのは管理のためではなく抑止のため。外につながる出口があると分かるだけで、学校の中の空気は確実に変わっていきます」(広瀬市長)。

パネルディスカッションでは、それぞれの立場からの意見がシェアされた(シンポジウム事務局より提供)

 パネルディスカッションの終盤には、「なぜ寝屋川市にはできて、他の自治体では難しいのか」という問いが共有された。市長は、人口規模や学校数などの条件差を認めつつも、最大の壁は「理解」と「覚悟」だと語る。制度自体は比較的少額かつ短期間で導入できるが、本質を理解せず形だけをなぞっても、うまく機能しないという。

 学生時代にいじめや不登校を経験し、現在はエンターテイナーとして活動するJACK12さんは、シンポジウムを通して「いじめはどんどんエスカレートしていくのが特徴です。だからこそ、初期段階で食い止める『寝屋川モデル』は本当に素晴らしいと思いました。いじめの当事者や家族など、いろんな人のリアルな声を聞いて、心が震えました。『いじめを絶対になくしたい』という思いが、より強くなりました」と話した。
 同様にいじめを受けた経験を持つシンガーソングライターのことりさんは、「いじめ問題は、大人に向き合ってもらえないことで自己否定感を募らせていく」と指摘。「『寝屋川モデル』は、仕組みとして心に寄り添ってくれる点がとても大きいと思いました」と話した。

 一方で、いじめが原因の自死で娘を亡くし、現在いじめ撲滅活動に取り組む齋藤信太郎さんは、モデルの意義を認めつつも課題に言及する。「『寝屋川モデル』は画期的ですが、市長自身も話されていたように、まだ課題はあります。だからこそ、このモデルを各自治体に広げ、地域の垣根を超えてブラッシュアップしていく必要があると思います」(齋藤さん)。

広瀬市長(左)と齋藤信太郎さん(右)(シンポジウム事務局より提供)

 いじめの事例によっては、被害者にとって転校や転居といった「環境を変える選択」が最善となる場合もあるが、その選択には大きな負担が伴う。自治体が費用を補助できたとしても、精神的なダメージや生活環境の変化など、金銭だけでは解消しきれない影響が残る。
 また、被害の再発を防ぐためには、加害側への対応も欠かせない。加害行動に至った背景を把握するための調査や心理的支援、再発を防ぐための再教育など、長期的な取り組みが求められる。現行の寝屋川モデルでは、そうした加害児童生徒への制度的対応について、まだ十分に具体化されていない部分も残っている。
 それでも、寝屋川モデルがいじめ問題の解決に向けた非常に大きな一歩であることは間違いない。現実に機能している数少ない先行事例として、今後の広がりと改善が期待されている。

 今回のシンポジウムの参加者の多くが共通して感じ取ったのは、「助けを求めても無駄だった」という絶望を社会の側で繰り返さない仕組みが、現実のものとして示されたという点だった。子どもを守るとは、声が途切れてしまう前に、必ず誰かに届く出口を社会の中に残し続けることではないだろうか。
 齋藤さんは「いつ、自分の子どもや身近な人がいじめの当事者になるか分かりません。私も我が子が被害にあうまでは、ニュースをどこか他人事として見ていました。日頃から関心を持ち、連帯してほしいと思います」と話した。

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