「自己決定」のための学びをデザイン 学ぶ意欲の差はどこで生まれる? 数学専門塾が寝屋川で示す新たな教育の形

 寝屋川市で算数・数学に特化した専門塾の「松下理数教室」はコロナ禍の5年前に開校。元公立中学の教員、代表の松下周二さんは、現在は私教育の立場から「寝屋川の教育を変える」と意気込み、従来の学習塾の枠を超えた可能性を示している。その教育理念の根幹について話を聞いた。 (濱田康二郎)

「寝屋川の教育を変える!」と熱弁する松下周二塾長

数学に特化する背景

 松下さんが以前働いていた学習塾で親御さんや塾生のニーズを丁寧にひも解いていくと算数、数学の需要が全体の約9割を占めていた。「大手塾の補習の位置づけで算数、数学だけ学びたい子達がいる。大手の馬渕教室がある寝屋川だからこそやっていける」とコロナ禍の5年前に数学専門塾として独立した。折しも広瀬慶輔市長が就任し、次々に改革を打ち出し、市としていじめ対策に力を入れ始めた時期とほぼ重なり、「広瀬市長が市民の声に耳を傾ける姿勢に共感しました。行政が動いている今だからこそ、現場からも〝教育の温度 差〟をなくせるのではと心強かった」と振り返る。現在は市役所すぐの豊野町と香里園成田に2教室を構えている。

教員時代の葛藤

 教育に意識が向いたのは松下さん自身の原体験が大きい。プロを目指す!とバスケに熱中していた松下少年だったが、高3でケガに見舞われ、バスケ選手としてのキャリアを断念した。大学受験まで残り半年、父が借金を負い経済的に余裕もない。「ノー勉で予備校に通わずに大学まで行けたらキャリアは開ける」そう覚悟を決めて猛勉強、見事関西大学に入学した。入学後の学生生活で実感したのは「学ぶ意欲の個人差」だった。教職課程に進み、卒業後は南大阪で採用試験に合格し、公立中学校で教員を務めた。
 しかし、同じ自治体で起きたいじめ問題の対応について、教育委員会に憤りを感じる事態が起こった。「子どもを守るための仕組みが、逆に子どもを守らない現実。正しいことを言っても通らない状況が本当に悔しかった」と当時を振り返る。教育の理想と制度の壁。その狭間で苦しみ、松下さんは退職を決意した。
 退職後は、まったく異なる保険の営業に挑戦した。どの仕事も勉強になったけれど、どこか〝空回り〟していた。そんな時、妻からの何気ない一言が胸に刺さった。「あなたのやりたいことは教育でしょ?」その言葉にハッとさせられ、再び教育の現場に戻る決意を固めた。

個別指導で塾生らの意思をとことん応援する

「自己決定」と「自由と責任」

 寝屋川では定期テスト2週間前になっても遊び続けている子たちも多く、松下さんが生まれ育った北摂あたりとは教育熱の違いを実感した。
 一方で中学生、特に受験期になると2週間おきぐらいのペースで定期テストに実力テスト、英検や受験模試が立て続けに実施される。これでは学ぶ本人が分析する力をつけられない。「勉強をやらされている状態では、子どもたちは疲弊し、高校生になると上位校を除くと半分は学ぶ意欲を失ってしまうと思います」と今の状況を危惧する。
 同塾では塾内でテストはしない、公開模試も本人からの受験意思がなければ、強制したり圧力をかけることもないという。「自分で勉強するって決めたんやったら、やり続けたらいいと思っています。一方で小学生や中学生の段階で多くの選択肢の中から本人が選択、決定するのは、かえって負担が大きい。周囲の大人やプロである私達が最低限の道を引くための学びのデザインをしていく必要があります」と松下さんは語る。
 生徒一人ひとりと丁寧に向き合ってきた結果、今では松下塾長と講師4名で110人を指導している。結果としてベネッセの全国模試で全国1位を獲得する熟生を輩出、豊野校では大きく結果を掲出している。理由は「寝屋川の子たちの学力の底上げ」を目指しているからだ。

幼児教育にもシフト

 松下さんは、小学校入学前の幼少期から始める「ほしぞら幼児教室」を開校した。「現在は、共働き家庭も多く、みんな忙しい。情報過多ですぐに正解っぽい情報に たどり着くことができる一方で、常に親として不安にさらされている」とし、子どもの発達の遅れやグレーゾーン、小学校入学後の環境変化、学校への行き渋り。様々な社会のひずみから子ども達のいきいきとした生命力を守り、自己決定の土台を作るために、保育士の先生達と共に幼児教室を立ち上げた。これからも、松下さんの行動に注目したい。

松下理数教室
寝屋川市豊能町13−2
電話072(395)4283
https://matsushita-risu.com/

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