中小企業の後継者問題 黒字廃業60万社を救え!
オフィス家具の販売から内装工事、営繕、空間デザイン、建築などを手がけるニチネン(大阪市福島区)。もともと燃料装置・自動車部品の販売業として1950年に創業。時代と共に事業を変革させながら、70年余りの歴史を紡いできた。そのニチネンが初めてのM&Aに踏み切った理由は何だったのか。
内装設計や空間デザインを行うデザイン部門と、オフィス家具の設置や施工を行う施工部門の2つを柱に、順調に事業を進めるニチネンだったが、服部哲史社長は悩んでいた。
将来の見通しが難しくなってきたうえに、主力のオフィス家具の売れ行きが鈍化していたからだ。
会社の将来を明確に描くために何か手を打つべき時期に来ていたが、従業員は取引先の案件を回すのに手いっぱい。新規開拓する人材を社内で教育できそうもない。職人の方も全国的に不足しており、人材の確保が難しい中、内部で新しい何かに取り組むのは困難な状況に陥っていた。
服部社長は「余裕のある今のうちに、事業の柱を作る必要性があった。その選択肢がM&Aだった」と判断した。
何でも出来る一方、何の会社かわからない状況に
ニチネンの従業員は職域が広い。背広を着て顧客に営業をするし、ヘルメットを被り現場監督を務める時もある。一人で何役もこなすスタイルが長年の企業文化で培われた一方で、外部からは「何をしている会社なのか」が分かりにくくなっていた。
「すべての建設業許可を持っているので内装もできるし、空調工事や水道工事もできる。ワンストップで仕事を依頼できるから旧顧客は便利に感じてくれている一方、ニチネンを知らない相手からは強みや特徴が見えにくくなっている。このため、人材採用でもミスマッチを起こしていた」と服部社長は説明する。
こうした背景から、3~4年前から事業発展の道を模索していた服部社長は、数社のM&A仲介会社との打ち合わせを重ねてきた。その中で、特殊な施工技術を持つ会社が売りに出ていたことがあった。服部社長は「他にない技術に魅力を感じ、買おうと思ったが、相手から係争中の裁判費用の肩代わりや、借金の引き継ぎを求められたため、折り合いが合わなかった」と振り返る。
紆余曲折を経ながらも、買収先を焦らずじっくり探した服部社長。その後、バトンズを通じて、大阪府内でニチネンと同じ業務用ラックの設置工事を行っていた運命の1社、サンコーと巡り会う。
社長が健康不安を抱えていた同社は、後継者も不在。雇用する5人の熟練技術者の将来を案じて、承継先を探しているところだった。「同業者だったことで、こちらに十分なノウハウがあると認めてもらえた。財務内容も良く、最高の条件だった」と服部社長。
サンコーは先に四国の会社と話を進めていたが、ニチネンを信頼。社長と家族の方からも「頼みます」とお願いされ、わずか半年でスピード調印に至った。
互いの社員を融通し大きな仕事の受注も
すぐにM&Aによる効果は出た。お互いの職人を融通し合い、大きな仕事も受けられるようになった。
「事業のシナジーを出すには従業員同士の交流が大事だと捉えていたので、お互いの会社が近いのも良かった。これまで職人が足りない時は外注するしか術がなかったが、2社の従業員を効率的に回すことで受注の幅が広がり、お金が社内に残るようになった。やってよかったという思い」(服部社長)
今回のM&Aで施工部門が落ち着いたニチネン。次なるステージはデザイン部門の充実という。
「現段階では店舗の内装工事をやっている会社が親和性が高いと思っている。デザイン部門を充実し、キャリアアップの道筋も立てたい」
会社の将来像が徐々に固まってきた服部社長。「企業として尖った先に広がりがある」と未来を見据えている。