5月11日は「母の日」。週刊大阪日日新聞は、「母の日」にちなんで、大阪府内の小中学生を対象に「第63回母の日作文」を募集しました。大切なお母さんや家族への想いを綴った秀作が数多く寄せられました。審査の結果、大阪府教育委員会賞に、浪速中学校1年の東野雅希さんが輝いたのをはじめ、大阪市教育委員会教育長賞、週刊大阪日日新聞賞各1点、特選3点が決まりました。この6作品を紙面で紹介します。掲載はほぼ原文のままとしました。掲載にあたり、ご協賛いただきました各企業に御礼申し上げます。

大阪市教育委員会教育長賞
根拠の無い自信
関西創価中学校3年 井阪 杏紗
「できる。やれる。大丈夫。」
こう言ったお母さんは私にとびっきりの笑顔をむけてくれた。私はこの場面をスローモーションのようにせんめいに覚えている。
「ファーストとれなかった。」
私は吹奏楽部でトランペットを吹いている。ファーストとは、パートの中でメロディーを吹く、いわゆる名前のことだ。私は一年生の頃からファーストにあこがれていた。三年生になって、こもんの先生にファーストを任された。うれしかった。この言葉以外、頭にないぐらいうれしかった。音が高くてあきらめそうになった。それでも、理想の自分、先輩像になれた気がしていた。
ファーストを任されて三ヶ月後。四月。いよいよ新学期。そして夏のコンクールに近づいた。ここで急に変わる。
「パート変更します。」
ドキッとした。そしてこもんの先生が私の一番聞きたくなかった言葉を言った。
「井阪さんサードに行ってくれる。」
そこからは頭が真っ白になった。サードはハモリが基本のパート。
私にはこのことを一番言いたくない人がいた。お母さん。だれよりも応援してくれていたからこそ言えない。何日泣いただろう。言わないと。そう思った。
くやしかったこと、どうしたらいいかわからないこと。話し疲れた。お母さんを見た。
「できる。やれる。大丈夫。」
最後にお母さんは言った。親は不思議だ。それだけで何でもやれる。くやしかったサードもこの一年私ならできると証明してくれている気になった。
「さぁ。頑張れあず。」
できる。やれる。お母さんのこの二つの言葉で私は大丈夫。根拠は無い。でもそれが、私の自信だ。
大阪府教育委員会賞
ごめんなさい、お母さん
浪速中学校1年 東野 雅希
最低な自分だ。なぜこう思ったかは、最近母に対してすごく口が悪い。気をつけてもなぜか口が悪くなる。これは反抗期なのか。
朝、お母さんによく「起きなさい」と言われる小学生のときは、素直に聞けた。でも、中学生になると反抗するようになった。時には、「うるさい」や「うっとうしい」などの悪口も言ってしまう。気をつけてもでてしまう。
ある日、学校で悪いことをしてしまった。家に帰るとお父さんは怒っており、とても怖かった。「降りてこい」と荒々しい声で言われ、ふるえがとまらなかった。下に降りるとお父さんの説教が始まった。怒られている途中、お母さんが僕をかばってくれた。その時はどうも思っていなかったけど、説教が終ると心がモヤモヤした。お母さんはなぜ、僕に悪口を言われているのにかばうのか。その日の夜、お母さんは泣いていた。その姿を見て心が苦しくなった。僕は悪口を言って、悪いことをして、お母さんには、ほんとうに申し訳なかった。今にでも謝りたい。
こんな自分だけど、ささえてくれるお母さんがとっても大好きだ。そして、僕はお母さんを泣かせたりするのではなく、喜ばせたり笑わせたりしたいです。
週刊大阪日日新聞賞
おかあさんのぎゅー
関西創価小学校3年 今西 英史
「ぎゅーして」
さみしいときやおこったときいろいろなときに、いうことば。ぼくがこのことばをゆうとままはぼくのことをぎゅーしてくれます。そうするとぼくはなんだかこころがあったまりげんきになります。
ぼくは、2ねんせいのとちゅうから、よくがっこうをやすむようになりました。がっこうにいこうとするととてもふわんになります。
そんなときおかあさんは、「だいじょうぶだいじょうぶ」といってだきしめてくれてきょうしつまでついてきてくれます。きょうしつにつくと、こんどはせんせいがぎゅーっとしてくれます。ぼくはたくさんの人のぎゅーでしあわせなきもちになります。その中でおかあさんのぎゅーはせかい一です。
おかあさんのげんきがないときはぎゅーしてあげるね。
特 選
ぐうたらさんとテキパキさん
関西創価小学校5年 相澤 優子
私のお母さんは、家ではぐうたらさん。私が気づいたらもうねていた。そして、いつも「つかれた~。」とか、「今日はゆっくりする~。」と言っている。いつもゆっくりしているのに、まだゆっくりしたいのかな? と思ってしまう。だって、私とあまり遊んでくれないので、さびしい時もあるから。私は、学校から帰ってきてもとても元気でダンスの練習や、宿題もしてるのに。どうしてそんなにぐうたらさんなんだろう?と、とても不思議だった。だけど、最近になって少しなぞがとけてきた。
私のお母さんとおじいちゃんは、同じ会社で働いている。
二人がそろうとぜったい仕事の話をしている。私は、テレビを見ながら横できいている事が、多い。お母さんが、おじいちゃんに、「それは、こうしたら。」、「そういう時は、こうしたら。」「あれはあそこにやったら、きっとうまくいくと思います。」とテキパキと話をしている。おじいちゃんもお母さんの言うことを、「そうやな。」と聞いている。私の言うことはそんなに聞いてくれないのに。
私は、お母さんの会社には、行った事がないけど、おじいちゃんに話を聞くと、お母さんは、仕事のことになるとテキパキさんに変身するみたい。テキパキさんに変身すると、ずっと動いて、働いているらしい。私の考えでは、きっと会社でいっぱい働いて、つかれて帰ってくるから、家ではぐうたらさんに変身するんだと思う。
ぐうたらお母さんは、遊んでくれないから少しいやだったけど、今では家族のために、いっぱい働いてくれているテキパキお母さん、家ではいつもぐうたらお母さん、私はどっちのお母さんも大好きになった。
特 選
尊敬するヒーロー
大阪信愛学院中学校2年 赤間 珠里
私の両親はとても変わっていると思います。例えば父はとてもこだわりが強いです。父は料理が好きで毎日ご飯をつくります。その時にも、毎日献立を考えるのではなく、一週間の献立を立てて料理します。そのことを友達に話すと必ず、「そんなことをしてる家、なかなか無いで」と言われるくらい家族思いで優しい性格です。母は、とにかく仕事が大好きな性格です。大人になると平日は嫌でも仕事に行かないといけないのに、休日まで仕事に関する勉強をしています。「大変じゃないの。」と聞くと「この仕事が好きだから大変じゃないよ。」と答えるほど、仕事熱心な性格です。このように、私の両親はあまり他の家では聞かないような性格を持っています。二人とも私にとってはとても尊敬できる人です。
私の両親は二人とも看護師をしています。看護師はとても大変な仕事です。計画通りに一日が過ごせることはおそらくあまりないでしょう。いつ患者さんの容体が急変してもおかしくないという状況で臨機応変に対応できる両親は、とてもすごいと思います。
新型コロナウイルスが蔓延していた頃は、二人とも夜遅くまで働いていました。そんな姿を見て私はなんだか誇らしくなりました。新しいウイルスが出てきても冷静に対処していたり患者さんと真摯に向き合ったりしているところが、悪者に立ち向かうヒーローのように思えたからです。どんな状況でも冷静に他の看護師さんに指示を出している両親を想像すると、なんだか他の人にとても自慢したい気持ちになります。
このように、両親は私にとってのヒーローであり尊敬できる人です。私は将来パティシエになるのが夢です。しかし、大人になっていくにつれて、別の夢ができるかもしれないです。どんな夢でも、私は誰かにとってのヒーローのような存在、尊敬できる人になりたいと思っています。
特 選
母の日サイコウ
城南学園小学校6年 船口 桃李
母の日作文を書こうとすると、普通あらためて考えることのないお母さんについてのことを、再考することになる。
去年の作文は、「最近、お母さんとはよくけんかをする」と書き始めた。気が付けば、いまはそんなことはなくなった。
たまにお母さんが、冗談で抱きついてきたりすると、嫌がって遠ざけてしまう。本当に嫌なわけではない。でも恥ずかしいというか何というか、やめてくれと思う。
「桃李、これ開けて。」新品のジャムの固いふたを開けるのは、僕の役目になった。ずっと野球をやってきたので身体ががっしりしている分、力は僕の方が強くなった。
体重も僕の方が重い。やったことはないけれど、もしお母さんを持ち上げるとしたら、ひょいと簡単にできると思う。身長もそうだ。ずっと下から見上げていたお母さんが、今は横に並んでいる。見下ろすようになるのも、きっとあっという間なんだろう。
このあいだ買いかえた靴は27・5センチだった。当然お母さんよりも大きい。「あんなにかわいい足だったのに…」とお母さんは笑いながらなげいていた。
「男の子はいつかは、お母さんを守る側になる。」お父さんがそう言っていた。どんな気持ちなんだろうと思ってきたけれど、今は少しわかるような気もする。どうやって守ったらいいのかは、まだわからないけれど。
お父さんは中学の時、お母さんの呼び方を「おかん」に変えたらしい。僕のお母さんは、全然「おかん」という感じではない。だから僕はそう呼ばないと思う。
ご飯にお弁当、掃除に洗濯。感謝していることはたくさんある。それをあらためて感じられる母の日は素晴らしい。けれど、今までみたいに単なるありがとうではない。今年は、そんな、「ありがとう」をお母さんに伝えたい。