▲安倍元総理が銃撃された現場付近に設けられた献花台で手を合わせる人々=7月10日、奈良県奈良市(週刊大阪日日新聞撮影)
安倍晋三・元総理(享年67歳)が奈良で凶弾に倒れ2週間がたった。戦後の総理大臣経験者としては吉田茂、佐藤栄作、中曽根康弘の各氏に次ぐ4人目となる勲章最高位の大勲位菊花章頸飾の受章、吉田茂氏に次いで戦後2人目となる国葬儀開催が矢継ぎ早に決まった。生前は総理通算在任期間が憲政史上最長3188日(約8年8カ月余に相当)を達成しながら、自民党最強派閥トップとして君臨し続ける事に賛否の声があったが、テロによる突然の最期で存在は神仏領域へと昇華した。私が個人的に安倍元総理を知る部分も含め、彼の原点と今後の自民党の行方を考えてみた。
〝安倍なき政界〟に再編急ピッチ〝モリカケ・桜〟追及はここまで!?
戦後は激減の暗殺
▲安倍元総理が撃たれた近鉄「大和西大寺」駅前の現場(矢印が応援演説していたゼブラゾーン)=7月8日、奈良県奈良市(週刊大阪日日新聞撮影)
私と安倍氏の付き合いは長い。長くなるので詳細は省くが2012年秋の自民党総裁選で石破茂氏らを下し、2度目の就任が決まった直後の事だ。私自身が石破氏と近しい関係だったこともあり意識してしばらく会っていなかった。久しぶりに話し「名刺ちょうだいよ」と水を向けた。彼は「どうしたの?今さら何よ?」といぶかった。私が「自民党総裁に返り咲いた記念にね」と返すと、「そうかぁ…、そうだね」と秘書から名刺を受け取り、笑顔で手渡してくれた。
「撃たれた!」との一報が入った時に、私はテレビの前で凍り付いた。長年、事件事故を直接取材してきた経験から「銃創による心臓、大動脈、頸(けい)動脈への損傷は即、出血多量で命にかかわる」と直感した。
総理が現職または元職で暗殺されたケースは、第2次大戦前は伊藤博文、原敬など数例あったが、戦後は初。現職国会議員に広げても、戦後テロで亡くなった方は1960年に浅沼稲次郞社会党首(61)が右翼少年に刺殺されたケースと、2007年に民主党・石井絋基衆院議員(61)が右翼構成員に刺殺された例があるぐらいで極めて珍しい。
岸田総理は、叙勲と国葬について「多年にわたる功績と外交や経済、安全保障に尽力」と理由を述べた。ほぼ全世界の国と地域から弔意弔電が届いたのは長い総理の間に外交に特に力を入れたのだから、諸外国から見ればおなじみの存在であり当然の礼儀だ。
保守地盤再構築の功績
現在の自公政権の安定と、維新・国民を併せた改憲勢力3分の2以上の成長は安倍氏の功績大。次第に目減りしていた保守層の再構築に①日本会議などコア保守層②保守化する若年層③反中国色が強い急進保守層④アベノミクスによる景気浮揚で業界団体や伝統的保守層⑤ベンチャーなど若年経営者の取り込みに成功した結果だ。
その手法は国論を二分する安保関連法などを成立させ保守の求心力を高め無党派層が反発すると、アベノミクスで好況を演出して経済を浮揚させ支持率を上げるパターンだ。
安倍氏とはお互い若い頃からの長い付き合いだが、岸信介総理の孫で父は安倍晋太郎外相。物心付いた時から回りが忖度(そんたく)してくれるおぼっちゃま育ちで、会社勤め時期を含め「無名の青二才」時代は一度も経験したことがない。何でも言う事を聞いてくれるのはいい人、逆に耳に痛い事をいうのは悪い人という切り分けが自然に出来ていった。さらに最初の総理の座を1年で降りた事で、手のひらを返し周囲から去って行く人々を目の当たりし悔しい思いも強く味わった。結果として「味方は絶対信頼し、敵は徹底的にたたく」という行動規範 が出来上がった。2回目の総理辞任への遠因となった「森友学園」国有地払い下げ、「加計学園」許認可便宜と「桜を見る 会」地元後援会優遇などの不適切な出来事も、身内や味方へのちょっとしたお返しであり、総理自身が「どこまで指示し関与をしていたか」が今後明らかになる事はもうないだろうし追及自体をしづらい状況だ。
米国のオバマ、トランプ両大統領(当時)やEU各国首脳と良い関係を持てたのは総理の人柄に負うところが大きい。逆にロシア・プーチン大統領、中国・習近平主席から十分な成果が得られなかった点は「専制主義国家のしたたかなトップに取り込まれ、簡単には利用されなかった」とプラスに考えた方がよい。
安倍派は集団指導体制へ
元総理が率いた党内派閥の通称「清和研」は、参院選後の入会者を加えると最多100人に乗る党内最大派閥。派閥の役割とは夏の氷代、冬のモチ代などの名目での活動資金提供と議会と党内のポスト分配。さらに各省庁への支持者陳情処理でも派閥の先輩に世話になる事が多い。
主を失った清和研だが、まず安倍直系の「四天王」とは、派閥会長代理の下村博文・前党政調会長(68)=元東京都議・衆院当選7回、派閥事務総長の西村康稔・前コロナ担当相(59)=元通産省官僚・同7回、萩生田光一経産相(58)=元東京都議・同6回、松野博一官房長官(59)=元松下政経塾・同6回=を指す。この4人を含め「七奉行」という言い方をする時は、派閥会長代理の塩谷立・元文科相(72)=元団体職員・同10回、派閥副会長の高木毅・党国対委員長(66)=元会社役員・同8回、参院安倍派会長の世耕弘成・参院党幹事長(59)=元近畿大理事長・参院当選5回=の3人が加わる。さらに清和研創設者、福田赳夫・元総理の孫で福田達夫・党総務会長(55)=元会社員・衆院当選4回=が在籍。
よく勘違いされるのは、先の党総裁選で岸田総理と決選投票まで争った高市早苗・党政調会長(61)=元近畿大教授・同9回=の存在。「なぜ清和研の次の総裁候補じゃないの?」と不思議に思う人も多いが、高市氏は無派閥で清和研のメンバーではない。
安倍氏は「将来の自身の3回目再登板を見据え、あえて派内に後継者を置かなかった」と言われ、その急死によって当面は塩谷、下村両会長代理を中心に「集団指導体制を執る」といわれている。これは表側のきれい事で、実際には下村氏は前回党総裁選に出馬しようとして安倍氏の同意が得られず断念。なのに急死した安倍氏への叙勲や国葬を積極推進したのはその下村氏で「これこそ〝派内リーダー〟の位置を固めようとした」と見られている。彼と親しいのは西村氏、金と腕力では次期選挙で衆院くら替えを狙う世耕氏も負けない。自他共に〝安倍直系〟の萩生田氏と、岸田総理に一本吊りされ入閣中の松野氏の現職閣僚2人は不利な立場。不気味なのは福田氏で、もし同志と共に派を割って出て行けば一気にニューリーダーになる可能性もある。
菅・前総理の処遇がカギ
受けて立つことになる岸田総理の身内は、岸田派「宏池会」44人を中心に、麻生太郎・元総理(81)率いる麻生派50人、茂木敏充・党幹事長(66)の茂木派54人。どうみても弱い。
分からないのは菅義偉・前総理(73)のグループ30人。岸田総理とも安倍派とも結びつかず「派閥横断的に勉強会を開いて行く」と言う。前の総裁選で、麻生派に属する河野太郎・前ワクチン担当相(59)を「神奈川連合」と称して、小泉進次郎氏も一緒になって担いだ経緯がある。麻生派に属する河野氏の去就次第で、党内波乱も。
かつて一大権力を誇った二階俊博・元党幹事長(83)の二階派42人も動きが読めない。二階氏はかつて小沢一郎氏と共に離党し小政党を渡って復党。思想信条より勝ち馬に乗るタイプだ。
今の自民党には無派閥議員が旧石原派の森山派7人を除いても80人以上いる。彼らは大臣・副大臣・政務官などのポストを得たいから、当然党内力学を最優先して読み解く。
岸田政権の次期内閣改造は今秋。その時に岸田総理が、まず菅・前総理に対してどのように処遇し、それを菅氏が受けるのか否かが当面のポイントだ。既に政界は〝安倍なき政界〟新地図に向け、水面下で大きくうねりはじめている。