
「黒田の名前で会社に入るなら、人の3倍は働きなさい」。幼いころから祖父にそう言われ続けてきた黒田英邦社長は、今なおその声が心の奥底に残っている。

黒田善太郎氏が帳簿の表紙をつくる店を開業したのがコクヨの始まりだ。コクヨを大企業に育て上げたのが、黒田英邦社長の祖父、コクヨ二代目社長の黒田庄之助氏。「祖父は、幼い私の手を引き、よく文房具の工場へと連れて行ってくれました。お絵描き帳をもらえることが楽しみで足を運んでいましたが、成長するなかで自然と、『家業はモノをつくる会社なのだ』と理解していきました」。
祖父も父も、正面から家業を継げと言ったことは一度もなかったという。静かに、いつも目の前にあった大きな背中が、黒田社長の人生を決定づけていった。
黒田社長の経営者としての原点は、家業への憧れではなく、試練と挑戦の現場にあった。コクヨファニチャーの責任者に就いたとき、事業は業績悪化に直面していた。推薦されて社長となったのは、単なる家柄の継承ではなく、不振事業を5年の歳月をかけて改革し、回復基調へと導いたという確かな実績があったからだ。創業家という重圧を背負いながらの改革には並々ならぬ苦労があったことは想像に難くない。その過程には、祖父からの「人の3倍働け」という教えを胸に刻み、実直に歩んできた精神があった。
インタビューの席でふと、黒田社長の姿がフクロウに重なって見えた。フクロウの羽は夜空を飛ぶときに音を立てないよう、しなやかに作られている。翼の先端にある小さな突起は、風の塊を細かく散らし、予測不能の空気を制御する役割を果たすという。黒田社長の経営手腕もまた、静かに、しかし確実に環境の変化を読み解き、社内外に広がる摩擦を柔らかく散らしていく。その冷静さと危機管理能力は、未来の不確実性を飛び越えるための何よりの武器だ。
コクヨの歴史を振り返れば、文房具ひとつをとっても、常に「新しい価値」を社会に提案してきた。帳簿やノートはただの消耗品ではなく、人の思考を助け、記録を未来に残すための道具である。そこに企業としての存在意義を見いだし続けてきた黒田家のDNAを、黒田社長は確かに受け継いでいる。祖父、そして父から伝えられた「勤勉」と「柔軟」の精神を、次代の事業創造へと昇華させているのだ。
「家業を継いだ」というのはたやすい。しかし実際には、家名に甘えることなく、最も厳しい現場で改革を担い、成果を積み重ねた末にこそ、経営の座が与えられたのだ。これからも、その歩みは羽音を立てず飛ぶフクロウのようにしなやかに、しかし確実に未来へと届くだろう。
時代が変わっても、人々の暮らしのそばにあり続ける道具をつくり続けるという使命。黒田社長はその伝統を継ぎながら、未来に向けてきょうも翼を広げる。
おえかきちょうの表紙でしん、と目が合ったフクロウさんにいつかなるんだ



【プロフィル】歌人 高田ほのか 大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰。関西学院大学文学部卒。未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員。「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示。小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始。短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う。著書に『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)、『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)、『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』、『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版) 。連載「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)
