文武一道〈7〉誤解が広がる〝根性〟の本当の意味

新極真会・阪本師範の〝強育〟コラム

 昨今の教育現場では、「根性論」が不要とされる傾向にあるようです。「今どき、根性なんてダサい」と思われたり、会社でも「お前は根性がない」と上司が部下に言えば、パワハラのように扱われていたりします。

 読者のみなさんにとって「根性」とは何でしょう。「やりたくないのに、無理やりさせられる」―。このような強迫観念に似たジャンルで捉えていないでしょうか。

 昨今の指導者は、根性の意味を履き違えているようです。空手を始めたばかりの白帯の選手に「根性で勝て!」と言ったところで、黒帯の選手に勝てるはずがありません。これは〝誤った根性論〟で、使い方を間違っています。

 根性という文字をよく見てください。「根」は土台であり、「性」は自分の内なる性質です。空手で優勝するために、ゲームを我慢したり、友人と遊ぶ時間を犠牲にしたり、自ら進んで全ての時間を練習一本に費やそうと思っている状態。これが根性です。「言われ、強いられ、させられ」は誤った根性論です。

 根性とは、泥の中に身を置いて周りが見えなくても、決して輝きを失わない光のようなものです。心の中のこの光が、「ここは引けない、あきらめてはダメだ」と最後の最後で自分自身を奮い立たせる。自分自身がここに賭けてきた価値。その「価値」が「勝ち」に繋がるのです。

 光が見えている子と見えていない子では、空手の試合に負けたときの反応も異なります。同じ負けでも2パターンあり、ただ「あぁ、負けた」で終わるか、「負けた理由は何やったんや」と考えるか。

 夢や目的意識を持っている、つまり泥の中でも見失わない光を持つ子は後者の反応をします。光が見えるから、いつかは勝てるように他を犠牲に努力し続けられる。

 私は指導者として、試合の勝ち負けで門下生を怒ったりはしません。試合に負け、悔し涙を流す子に「自分が涙を流す理由は何か、を考えることが大事やで」と声を掛けます。試合に勝ちたい思いは共通していても、思いの強さは人それぞれ。自分の夢が、ぼんやり絵で見えているのか、写真で見えているのか、リアルに見えているのかが思いの強さ。より鮮明に見える子の方が強くなります。

 一方、大人でも「泥の中でも見失わない光」が見えていない人がいます。この原因は教育にあると私は確信しています。勉強でいい成績を取る、良い大学に行き、良い企業に就職する―。親や指導者が良いと思うものを押し付けられたまま大人になれば、表面的には優秀な道をたどっているように外部から見られますが、果たして泥の中で見失わない光を持っているかどうかは疑問です。

 実は、指導者が教え子に根性を芽生えさせる、とっておきの声掛けがあります。私は試合で負けた子に「根性が足らんからや」と言いません。「そうか、あかんかったか。試合で相手と戦うのは師範ではないし、お父さんでもない。自分自身やもんな」とまずは子どものことを理解してやる。その後、「なんで負けたんだろう。理由を考えたら、自分で一つぐらいわかっているんじゃない?」と聞く。すると2つくらい見つけてくれます。

 そして最後に「師範はお前ができるとわかっているし、できることも知っている。もし、わからないことがあったら聞いてきなさい。師範でわかることなら答えてあげられるし、師範にもわからんことやったら一緒に考えよう」

 泥の中の小さな光は決して人に照らしてもらうものではありません。自分自身で輝かせるものなのです。

 過去の私のコラムでも、人間は土台が一番大事、つまり「根っこが大事」と繰り返してきました。人体の根は地面と唯一接する「足の裏」。一方で、精神の根っこは「根性」です。つまり、文武はどちらも根は一つ。勉強はできるが運動は苦手、なのではなく、勉強ができれば運動もできるのが真であり、文武一道なのです。


■阪本晋治(さかもとしんじ)プロフィル
1975年大阪市生まれ。空手選手として全日本大会準優勝、ワールドカップ(ハンガリー)ベスト8、日本代表として全世界選手権大会に出場する一方、NPO法人全世界空手道連盟新極真会の師範として7つの道場を統括し、門下生は約600人。空手の普及だけでなく、大阪観光大学講師や門真市との事業連携など社会、地域活性化で幅広く活動している。