自民動かす「改革のアクセル」に 自維連立〝閣外協力〟の真意

今、最も注目される政治家 日本維新の会藤田文武共同代表に聞く

 自民との連立政権がスタートした大阪発の国政政党、日本維新の会。閣外協力のカタチをとった狙いは何か。「副首都構想」は、府民が気になる「都構想」に関係するのか? 同党の共同代表で今、最も注目の政治家、藤田文武衆院議員に聞いた。

日本維新の会の藤田共同代表

政策実現」が第一優先。信頼で踏み込む大政党への挑戦

 自民党という〝巨大戦艦〟との連立に踏み切ったのは、保身ではなく「政策実現のため」と話す日本維新の会の藤田文武共同代表。「改革のアクセル役」として、停滞した日本をどう動かすのか。そして、大阪をはじめとする地方の未来を担う副首都構想は、「日本全体の未来を描く国土構想」と語る藤田議員。公のために尽くすという父の教えを原点に、関西経済圏の発展、そして日本の再起動に挑む若き政治家に阪本晋治が迫った。(佛崎一成)

政策実現の近道

 ─自民党との連立政権に踏み切った経緯は。
 少数与党の国会では、与党にも野党にも真摯に向き合い、政策を議論する局面が非常に増えた。かつての自民党のような巨大な与党が勝手に決める時代からの大きな転換だ。多様化した民意を実現する機会が増えたとも言える。その中で、自民党総裁選の候補者から連立を拡大したいという話があり、我々維新にも声がかかってきたのが経緯だ。特に高市総裁から政策協議をしたいという真摯な申し出があった。

 ─公明との26年に渡る連立解消は想定していたか。
 全く想像していなかった。ある種の緊張感の中で意見を言い合うことはあるだろうとは思っていたが…。長く続いた関係でも、一つのボタンの掛け違いで信頼関係は崩れてしまう。驚いたのと同時に我々も政党間の関係について深く考えさせられた。
 ─維新の「改革」のスタンスからすれば、連立に参加すること自体に抵抗や葛藤もあったのではないか。最終的に「閣外協力」を選択した理由は。
 党内にはさまざまな考えがあったが、我々には創設者の橋下徹さんや松井一郎さん、馬場伸幸顧問へと続く〝党の流儀〟がある。「言うべきことは言い、一度決めたことは徹底的に実現」する捨て身の姿勢だ。
 今回の連立合意は12領域に渡る幅広い政策合意。閣内に入って行政を進めるよりも、政党間で「議員立法」として国会で仕上げるべき大きなアジェンダ(行動計画)がたくさんあった。
 そこで、連立のスタートでは党と党での政策実現を最優先した。高市政権に提供する「日本のために最強の布陣は何か」と考えた結果が閣外協力だった。
 「逃げやすい」と言う人もいるが、それは違う。徹底的に政策実現にこだわるためだ。自民党という大政党の中にはさまざまな意見があり、押し切らないといけない場面もある。政党の力と信頼関係を醸成し、改革のアクセル役を担うことが、現状では最も政策実現への近道だと判断した。

 ─そんな中で、公設第1秘書が代表を務める会社への税金還流疑惑が「しんぶん赤旗」で報じられた。
 しんぶん赤旗は公平性を重視する報道機関ではなく、共産党が運営する政党の機関誌だ。今回の事案は、法的にはすべて適正な取引であり、「還流」という表現は誤りだ。専門家にも相談した上で行っており、違法性はない。ただ、松井元代表が過去に「たとえ法律的に問題がない取引であっても、国民から見て少しでもおかしい、怪しいと思われるような構図・形は排除していかなければならない」と言われていたことを思い出し、その教えに従い、疑惑を生む構造を断ち切ることにした。
 今回の件を受けて、吉村代表と中司幹事長のもと、党の内規を新たに定めるという意思決定をした。

政治家の原点

 ─藤田共同代表の政治家としてのバックボーンについて伺いたい。政治を志した原点は。
 幼少期は大阪の寝屋川市で一般家庭に育った。父親は正義感が強く、幼い頃から「自分のためよりも社会のため、国のために働きなさい」と言う人だった。この教えが私の価値観に大きく影響している。

 ─政治家への思いが具体的になったのは。
 大学時代に父親から「人の5倍努力して、社会のために働きなさい」という手紙をもらった。これをきっかけに経営者や政治家になりたいとぼんやりと思い始めた。ちょうどその頃、9・11(米同時多発テロ)が起こり、「日本はこのままでいいのだろうか」という問題意識が芽生え、社会に関心を持つようになった。その後、ベンチャー企業の経営を経て、2012年の維新政治塾に参加。集まった数千人の熱量を肌で感じて「日本にも希望がある」と思い維新の門を叩いた。

 ─経営者としての視点が政治活動にも生きているのか。
 痛感しているのは、日本の停滞原因の一つが自民党という巨大組織の大企業病的な硬直にあるということだ。自民は優秀な人材は多いが、族議員などとの利害調整が仕事になり、スピーディーな意思決定や改革が遅れている。
 例えば、介護や福祉の現場もそうだ。市町村ごとに届け出の書式が異なり、一つの施設が複数の市町村とやり取りするなど膨大な非効率が生じている。
 民間企業の経営なら、もっと効率化・デジタル化できるはずだが、行政ではそれが進まない。その理由は利権や既得権益、そして行政運営の非効率が絡み合っているからだ。この非効率を変えないと少子高齢化や人口減少が進む日本は生き残れないという危機感を抱き政治家になった。

東京一極集中の打破へ

 ─大阪府民が最も関心のある副首都構想について聞きたい。維新の「一丁目一番地」は大阪都構想だが、現在は副首都構想を進められている。
 副首都構想は大阪のためだけではなく、日本全体の国土構想だ。今の日本は人・物・金がすべて東京に吸い寄せられる〝東京一極集中〟という危険な力学が働いている。
 副首都構想には二つの視点があり、一つは政治行政機能のバックアップだ。災害などのリスク管理の面からヘッドクォーター(中央省庁など)機能を分散する必要がある。
 もう一つは多極分散型の経済圏を作ることだ。東京だけが繁栄するのではなく、東京と並び戦える特色ある経済圏を日本国内に複数作るべきだと考えている。欧州や米国を見ると、それぞれが発展する極を複数持っており、その方が国家モデルとして健全だ。大阪がその「もう一つの極」を担い、関西経済圏全体を活性化させていく必要がある。

 ─副首都構想と、過去に二度の住民投票で否決された大阪都構想との関係は。
 都構想は大阪府と大阪市がそれぞれ広域成長戦略を別々に考える「二重行政」を解消するための必要条件だ。司令塔が二つあると一貫したまちづくりができないから、まずは行政を一本化し、成長に向かうための土台を固めるのが都構想の役割だった。
 一方の副首都構想は、その土台の上で国からみて大阪をはじめその他の都市をバックアップ拠点に位置づけ、規制緩和や特区制度を進めることで投資を呼び込み、関西全体を活性化させる大きなビジョンだ。
 かつて議論された道州制の入り口に立つようなもので、広域の発展に資する「関西経済圏」をどう盛り上げていくかという責任を大阪が担うということになる。

 ─万博が閉幕し、次はIR(統合型リゾート)だ。大阪が国際的な都市として飛躍する期待が高まっている。
 まさにそうだ。大阪は国際色豊かなポテンシャルを秘めるが、現状では東京に本店を置く企業が多すぎるなど、情報やコミュニティーが東京に偏っている。副首都を実現させれば首都機能が分散し、経済圏がバックアップされ、知識や投資の集積が大阪にも起こるはずだ。
 そうなれば日本の停滞を打破し、「希望があるかも」とみんなが思える社会心理が生まれる。こうした元気を与えることこそが、政治の重要な役割だと信じている。

藤田共同代表(左)とインタビュアーの阪本晋治=10月25日、藤田共同代表の大阪事務所(寝屋川市)

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