「いただきます」の精神 仏教の視点から紐解く 次世代へ伝えられますか?

 1日の中で何度も口にする「いただきます」という言葉。当たり前のように親から教えられ、私たちも当たり前のように子どもに教える。しかしこの言葉の持つ意味について、立ち止まって考える機会はそう多くない。この言葉は仏教の視点から紐解くと「放生会(ほうじょうえ)」という行いにたどり着く。お寺から見た「いただきます」の精神について、興徳寺に話を伺った。

お勤めの様子

 大阪市天王寺区に位置する興徳寺。ここは「放生池(ほうじょうち)」を所有する、大阪府では数少ないお寺だ。「放生池とは、殺生を詫びるために魚を放つ池のことを指します」と説明するのは、住職の青木隆興さん。

 そもそも日頃の殺生は、仏教において「悪いこと」と認識されている。だから代わりとなる命を池に放つことで、日頃の殺生を詫びることが善行と考えられているのだ。青木住職は「私たちは日頃から食事を通して命をいただいています。人間は一人で生きているわけではないので、放生会はそうしたことを改めて見直すキッカケにもなります」と話す。

 興徳寺では、お堂でお勤めをした後、放生池に鯉を放つという流れで行われる。大阪ではあまり耳にすることが少ないが、他の地域では福岡県の筥崎宮(はこざきぐう)をはじめとし、天神祭くらいの規模で祭りを開催する地域もあるほどだ。

 海外へ目を向けると、中国では放生会が文化として浸透し大切にされている。「夢の中で『善行をしなさい』と見たものだから、放生会ができるところを探して訪れる方もいます」と話す、青木住職。実際にお勤めを終えた人を見ていると「どこかスッキリしていて、安堵の表情を浮かべる方が多い」という。

お勤めを終えてから、コイを放生池に放つ

「『いただきます』という言葉は、感謝の気持ちから来るもの。人間はありとあらゆる自然の〝命〟をいただきながら生かされています。全てに対して感謝の気持ちを持って放生会をすると、心が整う感覚があるはず」と青木住職は笑顔で話す。

 放生会でお勤めをすることで「いただきます」の言葉の意味を捉え直すきっかけになりそうだ。

<取材協力>高野山真言宗 隆法山 興徳寺/大阪市天王寺区餌差町2-17/電話06(6761)7040