中曽根語良氏が昭和天皇のご聖徳を語る

昭和天皇を「国父」と仰ぐ、志グループの布川廣志代表(84)は「昭和の日記念講演会」を4月29日、同グループ本社のプラザ志ビル44(大阪市浪速区恵美須西)で開催する。講師は布川代表と20年近い交流がある、中曽根語良氏(昭和聖徳記念財団・昭和天皇記念館元参事)が毎回、務めており、「昭和天皇に関する講演会を参加無料で、一経営者がボランティアで毎年開催している例はないのでは…」と話題を呼んでいる。
布川代表が取り組む〝ボランティア講演会〟が話題
布川代表が昭和天皇を強く意識するようになったのは、高校生の頃から。父親が事業に失敗し、夜逃げしした際、母から「これからは昭和天皇を父と思って生きなさい」と言われた言葉がきっかけで、昭和天皇を〝父〟としてあがめ、心の支えとしている。
新たな力を昭和天皇からいただく
朝起きると昭和天皇の写真に向かって手を合わせ、万歳三唱を行うことを日課としており、「新たなエネルギーを昭和天皇からいただいている」と感謝する。
こうした昭和天皇への強い尊敬の念を形にしたのが、昭和の日記念講演会の開催と昭和天皇記念史料館の運営。講演会では、中曽根氏が昭和天皇のご聖徳について、タイムリーな話題を交えながら語り継いでおり、参加者(50~60人)の多くが毎年のように聴講。関西圏以外からの参加者も見られる。
昭和天皇と母を心の支え
昭和天皇について、布川代表は「私は昭和天皇と母親を心の支えとして、様々な厳しい体験を乗り越えてきました。昭和天皇が亡くなられたときは、ショックで1カ月ほど仕事も手に尽きませんでした。『立ち直らなければ、昭和天皇に失礼』と、その後は必死で働き続けました。世界が驚くほどの戦後復興を成し遂げることができたのも、国民の精神的支柱として昭和天皇がおられたから。私が今も仕事に打ち込めるのも昭和天皇のおかげ」と敬意を寄せる。
さらに長年、講演会を継続していることについて「昭和天皇への熱い思いが力になっていますが、一番は講師の中曽根先生のおかげ。昭和天皇記念館を20年ほど前に訪ねて知り合ったのが縁で、親しくさせてもらっています。中曽根先生は全国各地で講演されており、弊社の講演会にもファンの方が参加しておられます。中曽根先生の話は、豊富な情報をもとに、昭和天皇の人柄やご事績を具体的に紹介されており、参加者の皆さんもうなずくように聞いておられます。20回も続けることができるのも、中曽根先生がおられたから」と感謝する。
中曽根氏ならではの資料を作成
中曽根氏は講演に合わせて、昭和天皇に関する資料を作成。激動の昭和史を彷彿させるような資料もあり、「昭和天皇が戦後復興に果たされた役割の大きさを再認識した」「国民に寄り添われた昭和天皇の温かい人柄に感心した」といった参加者の声も聴かれた。
参加者が高い関心を寄せた近年の資料では、「終戦の御聖断」を紹介。「身はいかに
なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民を思ひて」「国がらを ただ守らんと いばら道 すみゆくとも いくさとめけり」の短歌を交えて、昭和天皇の「国民を守り抜く」という臨場感溢れる心理描写を記述している。
御前会議での昭和天皇のお言葉
御前会議で述べられた昭和天皇のお言葉として「本土決戦に突入したらどうなるか、私は非常に心配である。あるいは、日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではないかと思う。私の任務は先祖から受け継いだこの日本という国を子孫に伝え継ぐということである。今日となっては、一人でも多くの国民に生き残ってもらい、その人たちに将来再び立ち上がってもらうほかに、日本を子孫に伝える方法はないと思う」と記述。
「耐え難きこと、忍び難きことではあるが、この戦争を止める決心をした」と、ポツダム宣言受諾への流れが決まった様子を紹介している。
また、マッカーサー(当時のアメリカ陸軍参謀総長)との敗戦処理に伴う会見で、マッカーサーは「日本の陛下は、まさに自分の欲望を一つもお持ちにならないということを発見して、こういう立派な人が天皇である以上、この天皇によって日本国民は救われるだろうと思った」と感想を述べている。
国民に寄り添われた昭和天皇
さらに「全国をくまなく歩いて国民を慰め、励まし、勇気を与え、復興に立ち上がらせることが自分の責任と思う」と話された、戦後の地方巡幸では、昭和二十一年二月十九日、神奈川県を振り出しに、九年の歳月を経て四十六都道府県を回られた。
「十日くらい風呂に入らなくても平気だよ…」「私のパンだけ白いのは困る。配給のと同じにしてくれ」と仰せになられたことなど、人柄がしろばれるエピソードも紹介されている。
こうした資料を収録したテキストに、布川代表は「昭和史と昭和天皇に詳しい中曽根先生ならではの情報が網羅されている。昭和天皇が戦後復興に果たされた功績を後世に伝えていかねば、という意識が自然と高まる」と話している。
【布川代表プロフィル】 「世のため 人のため お国のために」奮闘続けた84年
昔の人への恩返しに必ずやる 「100歳まで生きる‼」「現役でやる‼」

徳島県出身で、1941(昭和16)年8月6日、父・兆、母・園江の三男として誕生。昭和、平成、令和と3世代を生き抜き、今も現役の経営者として汗を流している。
青色が目立つビル「プラザ志」を、大阪を中心に44棟を運営。ビルにはテナントとしてスナックを中心に飲食店が入っている。
「プラザ志」のテナント店舗全体を「スナック村」として活性化させていく青写真を描いており、「生かされた命」を世のため、人のため、お国のために、役立てることを肝に銘じ、「目標に向けて挑戦していきます」と今なおチャレンジ精神旺盛だ。
「お水の大学」で開店ノウハウを伝授
特に今、力を入れていることは、スナックママの育成。布川代表は「お水の校長先生」と慕われ、「お水の大学」をプラザ志ビル44の2階で開講している。
布川代表や法律の専門家らを講師に、無料で「店のファンづくり」「開業のノウハウ」「繁盛店への条件」などのテーマで講義を行っている。
受講者には布川代表の著書『お水の神様〝ひろし〟が語る水商売完全マニュアルーあんたかてママ』をプレゼントしている。また希望者にはテナントの紹介も行っており、仲介手数料無料、初期費用特別割引などの特典を設けており、布川代表は「資金面であまり負担がかからず、即開店できるような開業プランを提案しています。小さなスナックを中心に繁盛店が相次いでいます」とPRしている。
オリジナル曲を制作
布川代表は、2年前、同グループ創業50周年を記念してオリジナル曲を制作。布川代表が作詞(ペンネーム=志ヒロシ)をし、作曲家の中島シンさん(ペンネーム=堤ひろし)が作曲。
曲名は「浪花天国!お水村は志(こころざし)」。布川代表の半生をつづった歌詞を布川代表が名調子で〝布川節〟を披露しており。


「昭和天皇記念史料館」開設
今宮戎神社前のプラザ志ビル44では「昭和天皇記念史料館」を開設している。
昭和天皇に関する多彩な史料が展示されており、昭和天皇が大阪を巡幸された際の写真や書籍、本物を忠実に模した艦艇など、1000点を超す史料が展示されている。
だれでも見学が可能で、予約(フリーダイヤル(0120)855634)すれば無料で史料を見ることができる。

■志グループ
本社:大阪市浪速区恵美須西2-10-15 プラザ志ビル44
代表:布川廣志
概要:㈱昭和志、㈱大エース、㈲お水の学園など10社からなる志グループを構成。大阪、尼崎市内などで、青色のビルが目立つビルを44棟を所有し、スナック、居酒屋などが入る商業ビルの経営を中核に、多角化を進めている。
電話06(6644)3444 ファクス 06(6647)3444
フリーダイヤル(0120)855634
【事業内容】
・「浪速天国 志のスナック村」
・お水の大学セミナー
・志の水商売図書館
・志の昭和天皇史料館
・志の昭和資料と図書室
・志の「母上様に感謝」資料室
・志の自然塾(伊賀)
・志のシニア村(伊賀)
・志の国土防衛隊訓練基地(大阪、伊賀)
