会計時に〝逆クレーム〟 函館出身夫妻がもてなす北新地の日本料理店「慶喜」

こんなところに名店が「灯台もと旨し」
猫田しげる

知らずに暮らしているなんてもったいない!あなたの街の、あんなイイ店、こんなイイ店。「入りづらい」「高そう」「怖そう」? 大丈夫!グルメライター猫田しげるが、扉を開ける一歩をお手伝いします。

 「このホヤの一夜干しね、全然嫌なにおいがしないの。食べてみてー」と奥様の茂子さんがニッコリ。北海道弁ってどうしてこんなにやわらかいんだろう。特に函館の港町独特の抑揚あるイントネーションと語尾の余韻。自分の出身地なので耳になじんでいるせいもあるが、やっぱり人懐っこい。

1万5000円コースより抜粋。ある夏の日の前菜盛り合わせ
写真は1万5000円コースより抜粋。ある夏の日の前菜盛り合わせ。右の小鉢は黒毛和牛すじ煮で、「北新地の人はみんな大好きだよね」と茂子さん。
鱧かりんとう、フルーツトマトシロップ煮など。真ん中のホヤ一夜干しは、磯の香りが前に立って、臭みを感じない。
お2人は、なんと高校時代からお付き合いされているそう。仲良しでうらやましい。
お2人は、なんと高校時代からお付き合いされているそう。仲良しでうらやましい。

 新地本通のビル2階、いわゆる北新地ド真ん中に構える日本料理店「慶喜」。庶民の私からすれば一生縁がなさそうな世界線の店だが、訪れる機会を得たのは店主の石橋慶喜さんご夫妻が同じ函館出身だと聞いたからだ。そして、同郷というフィルターを抜きにしてもその味と空間の心地良さに感動してしまった。とにかく細やかで丁寧な仕事。茂子さんいわく「ずっと一人で仕込みしてるの。ほんとに好きなんだよねえ、料理」。

 石橋さんは函館高専を出て飲食業界へ進んだという異例の経歴。卒業後は、親戚の紹介で千葉のすっぽん割烹や喫茶店の店長を経験し、弟子入りした寿司店の親方に「和食やるなら関西」と勧められて大阪へ来た。それが25歳の時。「最初から北新地、それから38年間ずっと北新地。この街が気に入っちゃって。みなさん本当に良くしてくれるんです」。

個室は接待にピッタリ。カウンターは1人客も大歓迎。
個室は接待にピッタリ。カウンターは1人客も大歓迎。
4時間ほど蒸してから焼いた、鮑ステーキ。肝ソースは太白胡麻油でコクを出してクリーミーに。付け合わせの冬瓜がジュレのようにとろける!
4時間ほど蒸してから焼いた、鮑ステーキ。肝ソースは太白胡麻油でコクを出してクリーミーに。付け合わせの冬瓜がジュレのようにとろける!

 2002年に「料理人慶喜」をオープンし、2年後に天ぷら・鍋の「宝来慶喜」も近くに構えた。15年、2店を統合する形で「慶喜」と改め、日本料理のコース1本という今のスタイルに落ち着いた。

 会計時に客が「本当にこの値段? 安すぎやで」と逆のクレームを入れるほど、価格が良心的。コースは1万3000円、1万5000円、1万8000円の3段階で、先付けから前菜盛り合わせ、お造り、焼き魚、洋菜、ご飯、デザートまでしっかり約10皿、品数にして17品ほど。「作れるものは全て手作り」が信条で、例えば前菜の鱧かりんとうは、鱧を揚げて甘ダレを塗ったオリジナル創作だったり、お造りの鯨ベーコンは生のナガスクジラを塩だけで燻製にしたり、鱧温しゃぶの梅肉に至っては「梅を自分で育てる」(!)ところからのハンドメイドだったり。

「鱧はぬくい方が美味しい」と冷製ではなく温しゃぶに。件の梅肉ソースは酸味がマイルドでふくよかな甘さ。
「鱧はぬくい方が美味しい」と冷製ではなく温しゃぶに。件の梅肉ソースは酸味がマイルドでふくよかな甘さ。
白甘鯛の鱗焼きは油をかけてうろこを起こしてから焼くことで、皮がパリッパリに。スマホ撮影なんかしてないで、アツアツのうちに食べるべし。
白甘鯛の鱗焼きは油をかけてうろこを起こしてから焼くことで、皮がパリッパリに。スマホ撮影なんかしてないで、アツアツのうちに食べるべし。

 もちろん、食材の仕入れは北海道との太いパイプを存分に生かす。アワビやウニ、タコ、ホヤ、とうもろこし、アスパラ……と、旬の時期は地元の長年付き合いのある漁師や農家から、その時一番いいものを直送してもらう。コース内容は仕入れ次第なので、昨日と今日で料理がガラッと変わることもある。だから、接待や同伴で連日訪れることになっても、新鮮な感動を味わえる(笑)。

 作家に特注する陶器や切子のガラス皿など器も愛でながら、箸が進む。隣の客が「もう入らんわ、シメも無理かも……」と自ら戦力外申告するのが聞こえたが、「烏骨鶏卵の卵かけご飯」が出てくると急に眼の色が変わり、しれっとペロッと完食していた。さすが天然記念鶏TKG。

浪速割烹の雄・上野修三氏が率いた「大阪料理会」のメンバーでもある。
浪速割烹の雄・上野修三氏が率いた「大阪料理会」のメンバーでもある。
日本酒はほぼ純米系。「田酒」「作」など季節により変わる。
日本酒はほぼ純米系。「田酒」「作」など季節により変わる。
お造りは、燕三条の作家によるモダンな器で。マグロのトロ、活鯖、明石のタコ、鯨ベーコン。絶妙な温度で低温調理したタコは、生よりみずみずしい弾力がある。
お造りは、燕三条の作家によるモダンな器で。マグロのトロ、活鯖、明石のタコ、鯨ベーコン。絶妙な温度で低温調理したタコは、生よりみずみずしい弾力がある。

 最もすごいところは、カウンター6席、座敷2室のキャパを全て一人でワンオペでこなしていること。茂子さんが配膳や接客を担当するが、石橋さんは、甘鯛を串打ちしながら個室の分の造りを用意し、カウンターの食の進みも見計らって次の料理の皿を並べて……と、とにかくハイスピード。倍速の動画を観ているようだ。全ての客の料理を逆算して、グループごとに一気に出せるよう、マルチタスクをこなす。しかもその間にカウンター客とのトークにも応じている。頭の中はどうなっているんだろう……と考えて、はっと気づいた。石橋さん、高専出身だった。理系脳の人は意外と、料理人に向いているのかもしれない。

■慶喜/大阪市北区曽根崎新地1-5-2 大川ビル本館2階
tel.06-6348-1456
午後5時30分~同10時30分
日曜、祝日休
土曜日は前日までの予約時に限り営業可 
※税・サービス料各10%別。

猫田しげる 20年以上、グルメ誌、旅行本、レシピ本などの編集・ライター業に従事。各地を転々とした挙句、現在は関西在住。「FRIDAYデジタル」「あまから手帖」「旅の手帖」などで記事執筆。めったに更新しないブログ 「クセの強い店が好きだ!」もどうぞ。SNS苦手。