ニューロドライバーVol.2

~〝個性〟を自由に乗りこなす人たち~

 〝ニューロドライバー〟はニューロダイバーシティー(神経多様性)と運転手のドライバーを掛け合わせた造語。ニューロダイバーシティーは神経発達に特徴的な点があるという考え方で、主に神経発達症(発達障害)のある方の特性を指しています。それらの特徴を「個性」ととらえ、運転手が自動車を操るように、その個性を存分に発揮して社会を生きる人達をインタビューしていきます。

ユニバーサル推進委員会 
ケアマネジャー、相談支援専門員 栁澤 洋行さん

 第2回目は30代でうつ病と診断された栁澤洋行さんを紹介。小学生の2人の親であり、寝屋川市立の小学校でPTA会長を務め、18歳の壁(※1)、8050問題(※2)などの制度の狭間で苦しむ人のサポートを実践している。

愛車の自転車にまたがり、どこにでも出かけていく栁澤さん

今では担当する利用者の人達にマッチしたサービスや施設を探す日々を送っている栁澤さんですが、自身の生きづらさを感じだしたのはいつ頃からなのでしょうか?

 一人っ子で子ども時代は1人遊びばかりしていました。大学生になってもずっと一人で、コミュニケーションは苦手だったんですよね。明らかになったのは結婚後、子育てを始めた時でした。いわゆる「大人の発達障害」(※3)です。

 僕は家計を支えるために3つ、4つの仕事を掛け持ちして、家に帰らない。妻は育児の悩みを誰にも伝えられない孤独感が募り、僕と妻、子どもたちのそれぞれの思いがすれ違い、かわいい子どもに手を上げてしまう事態にまで発展して、家庭内ではもはや解決できない程に。僕は精神科を受診することになりました。福祉職ですから自分の生育歴からしてもADHDやASDの特性を感じていたのですが、脳波検査でははっきりとしない。ところがお医者さんからは「今はそれより、うつ状態になっている。まずはしっかり休むこと」とお守り替わりに薬をもらい、皆さんのサポートで家庭環境は少しずつ改善していきました。

自分の価値観に合った福祉に出会うまで

 同志社大学を卒業後、高齢者福祉の領域へ。NPOの活動にも参加しましたが、2年以上続いた職場はなく、常に違和感はあって・・・。12年前、人づてに聞いた徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」を知って、すぐに見学に行きました。90歳ぐらいで半身まひのおばあちゃんが庭で育った葉っぱを摘んで、めちゃくちゃ元気に稼いでいたんです。「老人ホームに入るより家で仕事した方がいい」と言ってたのが衝撃的だった。僕がこれまでやっていた介護は自立を阻害しているかもしれないと気づかされ、「不便さを乗り越えられる仕組みを作れる支援者にこそ価値がある」と福祉観を改めました。それから数年して「ハンデがあってできることに制限はあっても制限の中に自由を保障する」という会社の理念が合致する今の勤め先「ゆいまぁ~る」に入職できました。

今後の展望を教えて下さい!

 大きく分けると二つあって、一つ目が寝屋川市の小学校でPTA会長になり、学校そのものを変えるための取り組みにチャレンジしています。子ども、保護者、家族、学校、教育委員会、それぞれに少しずつ認識や思いにズレが生じて、それがやがてギャップ(溝)となる。単純にコミュニケーションで埋められる溝ではなく、傾聴する、フラットな立場で関わり合うことで少しずつ解消していくようなものだと、僕の経験からわかっています。PTA会長自身が当事者として発信していくことで、行き渋りや不登校、保護者の悩みを少しずつ話してもらえるようになってきました。知名度のあるフリースクール活動の「トーキョーコーヒー」を小学校で開催したりすることで、私が会長を務める学校だけではなく、近隣の小中学校からも相談が舞い込むようになってきました。草の根で発信して、行動しているのが、少しずつ実を結んでいる実感があります。

 二つ目が65歳になると障がい福祉から高齢者福祉にサービスが切り替わりますが、その両方の領域に明るい専門家はほとんどいない現実があります。障がい領域で言えば8050問題がありますよね。
 親が高齢になる頃には、子どもが中年になっていて家に引きこもっているケース。
 実は引きこもりの人たちの多くが「不登校」を経験しています。15歳~18歳前後で引きこもりや行き渋りで、社会とのかかわりを拒絶するサインを出している子がいれば、そのご家族の存在にその時点で気付いて関わりを持っていないと、ひきこもり状態になり時間が経過すると、親の介護の段階となる30年近くたって初めて顕在化する。ここをなんとかしたい。社会とゆるやかに関われる場所はあるけど、当事者はもちろん支援する側にもあまり知られていない。
 そこで教育、介護、医療、障がい福祉、それぞれの分野を横断した支援者のネットワーク「ユニバーサル推進委員会」を立ち上げました。

 ユニバーサル推進委員会は「障害の社会モデル」(ハンデのある本人ではなく、社会が障壁を作り出している考え方)から様々な領域を横断し、「ゆるくてある意味、無責任なネットワークづくり」「正しさよりも楽しさでつながるネットワーク」として専門職や役職者の立場を前提とせず、他者への配慮をしながらちょっぴり匿名性も担保されて言いたいことが言える空間です。
 そこでは学会の偉い先生に対してでも素人ならではの素朴な疑問をぶつけることで議論が活性化し、新たな発見や親和性のありそうな話題が生まれています。

取材後記

 栁澤さんの存在を初めて知ったのは5月27日都島区民センターで行われた「おとなの発達障害」についての講演会だった。その告知のチラシが都島区のNPO法人「ママコム」のポストに投函されていてママコムのスタッフが私にチラシを見せてくれた。

 栁澤さんに連絡すると「闇雲にチラシを配るのではなく、まずは参加してくれそうな方や拡散してくれそうな団体、利用者さんや支援員さんに知らせたかったんです」とはつらつと答えてくれた。まんまと栁澤さんの策にハマってしまったのだ。結果、都島区民センターのホールはほぼ満員だった。

 当日、取材に行き講演会を聞いた。おとなの発達障害の専門家「後藤智行」さんが「いのちの電話」のもう少し手前の救済措置として「クライシスセンター」というものが北欧では上手く機能していると紹介していた。講演後、栁沢さんが主催したスタッフ達に「都島にクライシスセンターを創ろう!」と呼び掛けていたのが印象的だった。
(濱田康二郎)

■取材協力/みやこじま障害者相談支援事業所 ゆいまぁ~る

都島区東野田町4-5-12-F/電話06(6232)8495

(※1)児童福祉法に基づき18歳まで通える特別支援学校と放課後等デイサービスが18歳を境に使えなくなるため、日中、夕方まで就労を目指すか、居場所を探すかなど、環境が大きく変わるタイミング。

(※2)8050問題・・・親が80歳、子が50歳ぐらいになり、長年引きこもる子どもと支える親などの論点から日本に発生している高齢者問題。孤立死や一家離散、介護疲れによる痛ましい事件も起こっている。

(※3)大人の発達障害・・・他人とのコミュニケーションが苦手、その場の空気が読めない、遅刻や忘れ物が多い…。こどもの頃には気づかずに過ごしていたけれど、大人になってから周囲に適応しづらくなり気がつく場合がある。発達障害(神経発達症)は、生まれつきみられる脳の働き方の違いによるもの。環境が大事とされ、困り感が少ない環境もあれば、その特性を強みとして活躍できる環境もある。