国交省が今年公開した全国の空き家数は900万戸に迫り、地域の不活性化要因や危険な老朽化不動産として社会問題になっている。ネガティブな話題が多い〝空き家〟だが、実は〝地域活性の財産〟として再生させる仕掛け人も存在する。12月5、6日にインテックス大阪(大阪市住之江区)で開かれる「賃貸住宅フェア」(入場無料)で、この仕掛け人たちがそれぞれの成功談を講演する。彼らの再生のアイデアを一足早く紹介する。
再生のアイデア① 千鳥土地(大阪市)
北加賀屋をアートの街に
土地・建物の賃貸業などを行う千島土地が、大阪市住之江区の北加賀屋でアートによるまちづくりをけん引している。仕掛け人は、地主としてまちづくりを行ってきた同社の芝川能一名誉会長だ。借地権の解消で返還された土地や建物を、DIY可賃貸物件として安く貸し出し、若手クリエーターの活動拠点をつくってきた。現在は150人ほどのクリエーターが活動し、活気あふれるアートの街になった。
造船所跡を〝芸術の実験場〟に
同社はもともとアートとは関係のない会社だった。きっかけは1988年に名村造船所に賃貸していた土地が返ってきたことだ。当初はプレジャーボートの基地にしていたが需要は少ない。芝川さんが別の活用法を探していた時、アートディレクターの小原啓渡さんに出会う。
京都市の三条通りで「三条あかり景色」をプロデュースしていた小原さん。明かりの少ない土地を求めており、暗くて広い造船所跡地が気にいったという。
そして始まったのが、「ナムラアートミーティング」だ。2004~34年までの30年間を一つの時間単位と考え、跡地を芸術の実験場として再活用する試みで、知識人やアーティストなどを招いたシンポジウム、展覧会、パフォーマンスなどを行っている。重要視しているのは、連続性を持って同じ場所で行うこと。プロジェクトは現在も進行中だ。
安価な賃料 DIYも可
アートによるまちづくりが進んだカギは底地だ。借地権が解消し、返還された土地と一緒に建物を引き取るケースが多かったため、北加賀屋には同社所有の空き家が点在していた。それを最低限改修し、アーティストやクリエーターに比較的安価な賃料で貸した。原状回復なしのDIY可能物件にしたため、借り手は空き家に手を加えながら活動拠点にできる。貸し出しは増え、北加賀屋はアトリエ、ギャラリーなど芸術・文化が集積する「アートの街」として再生した。
芝川さんは「底地返還時に建物をそのまま引き取るため、次の借り手に安く貸すことができる。貸す相手がアーティストなら自分で建物を修繕し、居心地のいい場所をつくれる。互いにリスクが少なく、好きなことができるというのも活動を推進できた理由」と語る。
再生のアイデア② 美想空間(大阪市)
開業後も継続して集客支援
大阪市の難波や大阪港、奈良県大和郡山市で空き家を借り上げ、地域一帯の不動産価値を上げるエリアリノベーションを実践する美想空間(大阪市)。鯛島康雄社長は複数の空き家の借り手となり、テナント発掘も自ら行う。個人事業主が多いテナントを支えるため、開業後も集客面を中心にサポートする。
どのような工事にいくらかけるかは、借り手の存在を見据えて決めていく。「この場所(立地、条件)なら、このテナントにいくらで貸せる。空き家を借りるにはいくらかかる。ならば工事費用にいくらまでかけられる、と考える」(鯛島社長)
さらに、どんな事業なら、その場所で経営しやすいかを企画者として見定めている。「例えば、エステを始めた人が現れたら、近くにネイルショップができるようになる。周辺にも女性向けのテナントができていく。一つ軸ができたら、そこから広げる」(鯛島社長)
テナント集めは、地域住民からとは限らない。大阪市港区築港でビールを醸造するブルワリーを始める人は、奈良県宇陀市から移住してきた。大和郡山市では、三重県から地元に帰ってきた人もいる。リスクを背負って他地域から出店に挑む人の背中を押すには、地域の魅力や、手頃な賃料だけでは足りない。
そこで、鯛島社長は自治体やメディア、地域の大手企業との連携も重視する。イベントの後援を取り付けたりして集客と同時に、地域店舗の集客支援につなげる。
同社が港区で運営する複合施設「クラシカレッジ」は、まちづくりを推進する立場で同区と地域協定を結んだ。大和郡山市のシェアアトリエ「オカマチ荘」でも同市との連携を積極的に行う。こうした活動をメディアに取り上げてもらい、住民に対する認知度や信用を築いていく。
期間貸しでテナント育成
テナントの事業支援という側面では、小スペースを期間貸しする役割も大きい。同社がクラシカレッジで運営するシェアキッチン「カリキチ」は、五つのテナントに3週間単位で貸し出す。月替わりの店を楽しみに来店するのは地域住民だ。
借り手はプロの事業者だけでなく、自分の店を持ちたいと考える人も。
「その地域でやりたいビジネスを実現できるよう受け皿をつくるのが僕らの仕事」と鯛島社長は話している。
再生のアイデア③ 島本センター(島本町)
息吹き返す、シャッター街
大阪府島本町を走る阪急京都線「水無瀬駅」の改札を出た先に商店街「島本センター」の入り口がある。30店舗の小さな通りだが、平日の午後は高齢者や親子連れを中心に人通りが絶えない。だが、2年前まではシャッター街だった。
近年の同町はマンション建設が活発。人口が増加する恵まれた状況にあるが、旧住民と新住民との交流が求められるようになった。
綿島光一さんが、同センターでラーメン店を開業する知人に「スペースが空いているので何かやらないか」と誘われたのは2022年の初め頃だ。人通りは少なかったが、改札のすぐ横でテナント料も安く興味を持ち、無人のギョーザ販売店「水無瀬餃子」をオープンした。SNSで呼びかけると、利益を出せる程度に売り上げを確保できた。だが、どうにも人通りが少なく、それ以上は売り上げを伸ばせないことは明白だった。
理事長就任後はイベントを企画し、折り込みチラシやSNSで集客に奔走。ハロウィーンの時期には空きスペースを風船で埋め尽くし、撮影スポットとしてアピール。昨年末の「ガラポン大抽選会」ではチラシとLINEで抽選券を発行し、1800人を集めた。その間、空きスペースに出店する店が増え始め、自身も新たな店を開店。昨夏ごろには、すべてのスペースにテナントが付いた。
コストコ再販店
「商店街に人を呼ぶ最初の課題はクリアした。島本センターに店があることを多くの人に思い出してもらえた」と綿島さん。
次の課題も見えた。イベントの時ほど、店ごとの売り上げに差が開く。「商店街が継続して人を集めるには強い店が増えなければ。店が軌道に乗るまでは経営を相談できる顧問が必要。実績のある経営者にリアルな助言を得られる体制を整えたい」(綿島さん)
島本センターの建物を所有するのは島本町商業協同組合だが、土地は阪急電鉄。同社の元にも、にぎわいを取り戻す商店街のうわさは届いていた。「駅利用客や近隣住民にとって利便性が高まり、商店街がにぎわうことは駅や街のバリューアップにもつながる」(広報部・正岡裕也さん)
コッペパン専門店開業
コッペパン専門店「ふわこっぺ水無瀬店」の店主、竹村孝清さんが同センターに開業したのは22年11月だ。1カ月あたりの来店者数は650~700人。リピーターを増やすため、SNSでの情報発信に余念がない。
店は商店街の中ほどにあり、多くの人に知ってもらわなければならない。最近、朝の1時間は人通りの多い駅前の場所を借り、販売を始めたのもそのためだ。いずれデリバリーにも挑戦したいと考えている。
にぎわい、町が後押し
同町には五つの商店街があったが、24年には三つに減ってしまった。同町のにぎわい創造課が「商店街サミット」を始めたのは18年。毎月1回、店舗関係者やまちづくりに興味のある人で情報交換している。
綿島さんもこのサミットに参加し、イベントの集客法について話をした。同課の佐藤成一課長は「他地域から来て新しいビジネススタイルを貫く綿島さんが刺激をくれる」と話す。
最近では、島本町に興味を持った人がサミットに参加して知り合いをつくり、開業するケースもある。「商店街のキーマンは新規事業者も育む。今後もその活動に期待している」(佐藤課長)
住民主導で、街づくり
島本町ににぎわいを生み出すために、島本町商工会が中心となり14年に「しまもと・にぎわい地域活性化交流会」が立ち上がり、情報発信としてフェイスブックページ「しまもと・にぎわい・ねっと」が誕生した。同町で3代続く長井工務店の長井正広社長は、当初から活動に参加し、地域活性化に尽力してきた。
その長井社長が島本センターの話を耳にするようになったのは22年の春ごろ。にぎわいに乏しかった商店街で、京都から来た若者が、新しいことを始めているという。それが綿島さんだった。
「皆がそれぞれ、これまでと違うやり方で、消費者やテナントを呼び寄せている。こうした人が増えれば、町のにぎわいにつながるかもしれない」(長井社長)